憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

イタリア生活十数年。イタリア人ダンナとの結婚生活も十数年。

“イタリア生活”…なんてステキな響きなの~キラキラ…と思ったら大間違い!

人生そんなに甘くないのね。

甘いこともあるけれど、苦いこともあるのです。

それが日本でもイタリアでも。

私のイタリア生活の甘いも苦いも御紹介。


イタリア・フィレンツェで日本語を教えています。
2017年3月に息子が誕生しました。3か月早い早産でした。

日本語講師の仕事の事、

私・ダンナ・息子・ねこの3人と1匹家族のイタリア・フィレンツェ生活を綴っていきます。


※ブログに掲載されている写真を無断で転載したりしないよう、よろしくお願いします。



テーマ:

イタリア、フィレンツェにて、イタリア人の夫と暮らしています。

2017年春に第一子となる息子ピピウ(仮名)を出産。

ただ、26週というかなりの早産で生まれてしまった息子。

息子が生まれてからNICUを卒業するまでの過去の出来事を当時の日記をもとに書いています。

 

 

~腸1回目の手術後~

 

ピピウの手術が行われたのは週末でした。

 

なので翌日もダンナと一緒に朝からNICUへ。

 

保育器の中のピピウには相変わらずたくさんの管がついていて、薬でずっと眠っています。

 

 

少しして、NICUの医局長Dr.Fが私たちの所へ来ました。

 

「手術の結果はとても残念だ。でも、小腸が全くないわけではない。希望はある。未熟児で生まれているため、小腸が伸びてくれることを祈ろう。今は、繋げた腸がしっかり機能するかが課題だ。」

 

とても冷静な説明でした。

 

でも、「希望はある」と。

 

その言葉にすがる気持ちでした。

 

 

 

ダンナとNICUを一旦出て、週末で外来もなくガランとした院内の大きなホールの椅子に座りました。

 

ダンナが、「大丈夫。僕たちの息子は大丈夫。小腸が短くても、生きてくれさえすれば。小腸延長の手術もあるとドクターも言っていたし…。」と言いました。

 

私に話しかけるのではなく、自分に言い聞かせているような話し方でした。

 

私もそのダンナの言葉を聞いて、「うん、大丈夫。私たちがいる。何があってもあの子には私たちがいる。」と言いました。

 

ダンナに言ったのではなく、自分にそう言い聞かせました。

 

 

 

 

 

その次の日も、ダンナとNICUへ行きました。

 

NICUに着くと、ドクターが「便が少し出たよ。」と。

 

それは、短い腸が機能しているということ?!

 

ダンナがドクターに尋ねると、「まだ分からない。その可能性もあるが、肛門に近い場所にあった便が出ただけの可能性もある。」と。

 

 

 

それでも、私たち夫婦は望みを捨てませんでした。

 

大丈夫。

 

この子は大丈夫。

 

ずっと、ずっと、自分たちにそう言い聞かせました。

 

そうしないと、おかしくなりそうだったから…。

 

 

 

次の日はダンナはどうしても外せないアポがあったため、私一人でNICUへ行きました。

 

朝、NICUに入るとNICUの医局長やその他のドクター、ピピウの手術をしてくれた外科医局長が集まってデスクのところで何やら話しています。

 

「腸が…」という言葉が聞こえたような気がしました。

 

私はピピウの保育器の側でピピウを見つめながら、

 

「ピピウのことを話してるんじゃない。」

 

「お願い、私の所のに来ないで。私の所には来ないで。」

 

と、強く繰り返し祈りました。

 

 

 

 

 

今日もKUROと町の写真を応援クリックお願いします!
 

↓ ↓ ↓ ↓



にほんブログ村




 

AD
いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:
アクセス数とランキングがすごいことになってました。



たくさんの読者登録、いいね、コメント、メッセージ、ありがとうございます。

ピピウは今日もお家で寝返りゴロゴロ頑張ってます!

一人一人の方のコメントに返信できず申し訳ありません。
でも、本当にありがとうございます。
励まされています。
嬉しいです。

皆さん、ご親切にありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

シェコ
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

前回の記事がアメバトピックに掲載されたこともあり、

沢山の「いいね」、読者登録、メッセージ、コメント、

本当にありがとうございます。

 

多くの方に応援していただいていること、

同じような境遇のお子さんを持ったお母さんとブログでつながれること…

大変うれしく思います。

 

 

 

 

 

前回のブログでは、未熟児で生まれたピピウが腸閉塞になり、腸の“一部”を切除するための開腹手術だと思っていたら…

小腸のほとんどを失うという、思っていたよりも悪い結果になったことを書きました。

 

当時のピピウの体重は1000g前後。

 

麻酔をかけることも、手術も、ピピウにとっては命がけでした。

 

そして、その初めての腸の手術の後、残念ながら更に状況は悪化します。

 

去年の4月、5月は本当に私たち親子にとって、とても苦しい時期でした。

 

 

 

 

今、こうして日記を読み返しながらブログを書いていても、涙が出てきます。

 

これからも少しの間「ピピウが生まれてから」の記事は暗い内容が続きます。

 

そういった内容のブログを読んでいただき、とても心配してくださる方がいらっしゃることを考慮し、

時間が前後してしまいますが、現在のピピウの様子を今日は少し書かせていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

去年の10月にNICUを退院し、それから今まで入退院を繰り返してはいるものの、現在、ピピウは順調に成長しています。

 

生まれてから約11か月ですが、予定日より3か月早く生まれているので、発育の月齢は8か月になります。

それを修正月齢というそうです。

 

修正月齢8か月のピピウ。

他の8か月の赤ちゃんに比べると少し小さめです。

幸いにも、今のところ、腸以外に問題はありません。

 

腸が極端に短いため、必要な栄養の半分をミルク(特別な粉ミルク)で口から、あと半分の栄養は外科的に太い血管に入れられたカテーテルをつかって点滴で得ています。

 

昨日までその点滴の時間が一日16時間でしたが、今日の外来でドクターと話したところ14時間に。

一日のうち10時間、点滴に繋がれていない自由な時間があるというのは、24時間点滴に繋がれていたことを考えると、私たちにとってはとてもうれしいことです。

 

ピピウがこれまで何度手術をし、大変だったかを知っている人が点滴に繋がれていないピピウを見ると

「え?どこに問題があるの?元気な赤ちゃんじゃない。」と言われるほど。

 

ピピウは病人のようには見えません。

一見、何の問題もない普通の赤ちゃんです。

 

6回にわたる開腹手術のお腹の傷、胸のところに埋められたカテーテルが痛々しいのは事実ですが…。

 

しかし、それはピピウが今まで頑張て来た証。

今、頑張ってる証。

今、生きている証。

 

いつか、お腹の傷でピピウの心が傷つくことがあっても、その傷は私とダンナにとっては誇りだと、君が戦った証なんだと伝えたいです。

 

 

 

現在の目標は点滴からの離脱です。

 

前回の退院から1か月。

順調にきています。

 

このまま、油断せず、順調に成長し、徐々に点滴を減らしていけることを祈ります。

 

 

 

 

 

と、言うわけで、現在も治療中ではありますが、よく笑い、よく喋り(喃語を)、元気な赤ちゃんのピピウです。

 

 

 

 

「ピピウが生まれてから」のブログ記事もそのうちリアルタイムに近づくと思います。

 

それまで、私たち親子が過ごしたNICUでの生活を書いていこうと思います。

 

初めての子育て。

しかも、ここはイタリア。

言葉も、文化も違うこの国で、子供を育てていくこと自体不安でしたが、生まれた息子は大変なことに…。

でも、子供のためならなんだってできるということを知りました。

そして、イタリア人ってやっぱりあたたかいなと感じました。

子供ってすごいなと思いました。

そんな私のイタリアのNICUでの記録です。

 

 

 

今、NICUでお子さんが戦っているご両親を応援しています。

 

病気と闘っているお子さんが、一日も早く元気になりますように。

 

NICUに通う親の気持ち、病気の子供を持った親の気持ちを多くの方に理解してほしいとはいいませんが、もし伝わる何かがあれば幸いに思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もKUROと町の写真を応援クリックお願いします!
 

↓ ↓ ↓ ↓



にほんブログ村



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)

テーマ:

イタリア、フィレンツェにて、イタリア人の夫と暮らしています。

2017年春に第一子となる息子ピピウ(仮名)を出産。

ただ、26週というかなりの早産で生まれてしまった息子。

息子が生まれてからNICUを卒業するまでの過去の出来事を当時の日記をもとに書いています。





〜腸の手術1回目 悪夢の始まり〜


手術は開腹してみてどういう状況かにもよるが、2時間半くらいだろうということでした。


手術室の前でダンナと待ちます。




約3時間が過ぎた頃、手術をしてくださった外科医局長のDr.Nが出てきて、手術が終わったことを告げられました。


別室へ通され、手術の説明を受けます。


Dr.Nの説明を、NICUのドクター一人も一緒に聞くことに。


別室に入って着席したときのDr.Nの表情は暗かったのを覚えています。


いいニュースじゃない予感…。



「残念ながら開腹したところ、お腹の状況は良くなかった。

レントゲンでは確認できなかったが、お腹は胎便でいっぱいで、小腸の大部分がダメージを受けていたため、切除するしかなかった。

残存小腸は約12cm。

少しでも多く小腸を残すために人口肛門はつけなかった。

このまま繋げた小腸がうまくくっついて機能してくれることを祈るが…。

とりあえず、24時間、48時間、様子を見よう。」


とにかく、悪い状況だというのは理解できました。


しかし、残存小腸12cm というのが、どのくらい短いのかわかりません。


ダンナが質問すると、「25cm はあってほしいところ…。」と。


最低ラインの半分もない…。


成長と共に腸は伸びるものかと聞くと、「伸びるが、パーセンテージとしてはずっと短いままだ。」と。



目の前が真っ暗になりました。


吐き気がしました。



これからこの子はどうなるの?


生きられるの?


生きられても普通の生活は望めるの?



声も出ず、只々、目から涙が溢れました。


隣にいNICUのドクターが、「ピピウは未熟児で生まれている。生まれるはずだった出産予定日まではまだ時間がある。だから、その間に腸が成長する可能性も正期産で生まれた赤ちゃんよりある。

もし、成長に影響をきたすようであれば、3歳くらいになった時に、小腸の延長手術を受けるという手もある。」そう励ましてくれました。


が…


取ってしまった腸はもう元には戻りません。





どうしてピピウなんだろう?


これまで生きてきて、そんな悪いことをした覚えはない。


ずっと待ち望んで、諦めた頃やっとできた赤ちゃん。


ピピウがまだお腹にいたほんの一ヶ月前までは、人生で一番幸せな時だったのに。


なんで?


なんで?


なんで?


なんでうちの子なの?



そう思わずにはいられませんでした。




手術室からNICUに運ばれたピピウ。


ただ、まだ処置がるので、この部屋で待つように言われました。


ドクターたちが出て行った後、ダンナと声を出して泣きました。


先のことを考えるのが怖くて仕方ありませんでした。



しばらくして、ドクターが呼びに来てくれました。


NICUに入る前にそのドクターが、

「手術後で、今、ピピウの周りにはたくさんの点滴があるが、ビックリする必要はないですよ。」と。


ピピウが入った保育器の周りには10個くらいの点滴のポンプがありました。


保育器の中にはこれまで以上に管に繋がれ、少し苦しそうな顔をしながら寝ているピピウがいました。


悲しくて、怖くて…保育器を抱きながら泣きました。







今日もKUROと町の写真を応援クリックお願いします!
 

↓ ↓ ↓ ↓



にほんブログ村



 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(11)  |  リブログ(3)

テーマ:

久しぶりに日本語授業のこと。

 
私、イタリア、フィレンツェで日本語講師をしております。
 
今年に入って少しだけ仕事復帰しました。
 
 
 
担当している日本語中級クラスに新しい女性の学習者が入ってきました。
 
20代後半くらいでしょうか?
 
その生徒さん、日本にも4ヶ月ほど滞在したことがあるそうですが、
今回の授業で判明したのは、中国、上海にも4ヶ月ほど滞在したことがあると(仕事で)。
 
で、その時に中国語学校にも少し通ってったそうなんです。
 
「中国語はもうほとんど忘れたけど、一つだけはっきり覚えているフレーズがあります。」と。
 
そのフレーズとは…
 
 
 
 
"高すぎる。"
 
 
 
 
中国語学校2回目のレッスンで、"買い物"がテーマの会話文が出てきたそう。
 
そこに「高すぎる」のフレーズが…。
 
でも、このフレーズが大変役に立ったそうな。
 
 
 
 
 
その生徒さん曰く、
ある観光地のある店に革のバッグを買いに行くと
外国人観光客だと思われ(例えば)最初は400ユーロくらいの値段を言われるそうな。
 
ところが、「高すぎる。」というと400ユーロが200ユーロになり、
200ユーロが100ユーロになり…
何度もそれを繰り返しているうちに最終的には20ユーロまで下がったと。
 
 
まじですか?!
 
 
最初の値段、ぼったくりにもほどがある。
 
もちろん、中国のすべてのお店がそういううわけではなく、一部なのだろうけど…。
 
 
 
 
400ユーロくらいの物が20ユーロにまで下がるのも驚きだけど、
日本語講師としては、
2回目のレッスンの会話表現で「高すぎる。」と言うフレーズが出てくるのにもビックリ。
 
 
 
 
いきなり中国語での値切り方を教えるのですね。真顔
(すべての中国語学校がそうではないとは思うけど。)
 
 
 
 
中国…私にとってはまだまだ想像もできない国です。
いつかきっと行ってみたい!
 
歴史、文化、料理…大変魅力的な国だと思います。
 
でも、行くときは、私も「高すぎる。」のフレーズだけは中国語で言えるようにして行こう…。
 
 
 
 
 

今日もKUROと町の写真を応援クリックお願いします!
 

↓ ↓ ↓ ↓



にほんブログ村




 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(1)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。