『科学との正しい付き合い方』(内田麻里香) | ほたるいかの書きつけ

『科学との正しい付き合い方』(内田麻里香)

あちこちで評されているようなので、ごく簡単に。なお、前エントリで述べたような事情で、このひと月ぐらいの間に出た書評については押えていないので、指摘済みの点もあるかもしれませんがご容赦ください。

 さて、最初に言っておくと、内田氏の問題意識については評価する。というか、大事なポイントだと思う。身の回りの科学技術(この用語については後述)に目を向けよう、とか、科学技術と社会の二項対立的把握は良くないのではないか、とか。血液型性格判断への甘さなどは各所で指摘済みなので措いておこう。

 その上で、読んでて思ったこと。
 最大の疑問点は、「それだけの問題意識を持ってて、出てくるのがこれ?」というものだ。率直に言って、科学コミュニケーション研究業界のレベルってこの程度のもんなのか、と思ってしまった(実際のところどうなのかわからないけど)。端的に言えば、「身の回りの科学コミュニケーション」にもっと目を向けるべきでは、ということだ。あるいは自分(たち)がやってきた/やろうとしてきたことに発想が縛られすぎて、視野が狭くなっているのではないか、ということだ。
 例えば、科学コミュニケーションの方法の一つとして文学が挙げられている。寺田寅彦や東野圭吾といった人物が出てくる。それは良い。しかし、SFについてまったく触れられていないのはどういうわけだ?それはマニアのものだから触れる必要もない、とでも言うのだろうか。SFが科学コミュニケーションに果たしてきた役割は絶大なものがあると思うし、その分析だけで博士論文にでもなりそうな大きなテーマだと思うのだけれど、ここまで無視されるといっそ清々しいというか、一体なにやりたいの?というか。
 またマンガについても鉄腕アトムが出てくる(手塚治虫とあわせて)。でも、手塚治虫に限らず、多くのマンガ家が科学を取り込み、国民に多大な影響を与えてきたはずだ。藤子不二雄や石森章太郎はもちろん、岡崎二郎やあさりよしとおなど(後者は別の意味でマニアと言われそうだが^^;;)。そのあたりの考察もおざなりだと思う。学研の学習マンガもそうだ。これだって分析すればいい論文が書けそうな気がする。
 
 科学業界へのルサンチマンが感じられてしまうのは仕方がないとして、それよりもむしろ科学コミュニケーション研究業界への不満がいろいろあるのかもしれない。その中で、自分なりにこれだけやってきたという自負があるのかもしれない。「カソウケン」も、問題がないとは言えないにせよ、試みとしてはいいものだと思う。それだけに、「科学コミュニケーション」があまりに狭く捉えられすぎているのでは、ということが(著者の主張とは裏腹に)気になった。

 もう一点。「科学技術」と「社会」の二項対立モデルの克服が語られるが、この本の主張を客観的に分析すれば、「科学技術と社会」と「科学コミュニケーション」の対立が、意識されぬまま仮想されているように思える。それはおそらく上で述べた「身の回りの科学コミュニケーション」への意識の薄さと一体のものではあるのだろうけれども。

 中途半端なのだよね。誰に向かって書いているのかがわからない、という指摘はいくつかあったと思うけれども、それだけではなくて、どうせ書くなら「科学コミュニケーターがいなけりゃダメなんだよ!」ぐらいの啖呵を切って欲しかったと思う。実際、その存在は(必要不可欠かどうかは別にして)とても大事なものなのだから。

 そういうわけで、大学院に入りなおしたのだったら、ぜひ「身の回りの科学コミュニケーション」にも目を向けて欲しいと思う。それはもちろん、ノーベル賞の益川さんが語っていた、子どもの頃に父親からいつも聞かされた科学の話、なんていうのも含むだろう。加古里子(かこさとし)の絵本だってそうだ。「双方向でなければいけないというわけではないだろう」というのであれば、見えてくるものは色々あると思う。

 最後に「科学技術」という言葉について。
 著者は「科学技術」という単語をあえて選択しているが、私としては、「科学」と「技術」をひとまとめにして書くのであれば、「科学・技術」としてほしいと思う。「科学技術」だと、どうしても scientific technology あるいは science-based technology になってしまうと思うのだ。呪術に基づく技術、ではなくて、科学に基づく技術、と。
 国策と結びつくとき、科学ではなく技術に目が向けられる。「役に立つ」かどうかの話にされてしまう。その一方、教育政策においては「理科離れ」と結合し、「技術科」が忘れ去られ、「理科」一辺倒になる(このあたりはもはや「理科離れ利権」とも言うべき状況と言っても差し支えないのではないかと思う)。たとえば小柴さんがノーベル賞を取ったスーパーカミオカンデでは、浜松ホトニクスの業績は脇に追いやられてしまった感がある。そのあたりが「科学技術」という単語がもたらす問題点であるように感じている。

 というわけで、あちこちで色々言われて大変だと思いますが、各所で言われている指摘(特に血液型性格判断の問題とか)にはしっかりと耳を傾けつつ、科学コミュニケーションのあり方を探っていって欲しいと思います。期待を込めて。

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