善意 | ほたるいかの書きつけ

善意

 以前の記事で、雑誌『an・an』の記事中、献血ルームで占いを行っていることについて批判したところ、色々と反論というのか批判をいただきました。他のブログでも話題にしてもらっていてなんかコメントせんとと思いつつ、連休後半からなんだか忙しくてなにもしていないのですが(申し訳ないです)、簡単ではありますが私が批判したことの意味をもう少し掘り下げてみたいと思います。

 以前の記事でいただいた批判コメントは、要するに「献血ルームの苦労を思えば占い程度に目くじら立てるな」ということになろうかと思います。あるいは「献血に協力してくれる人を集めるのに大変な苦労をしているのに足を引っ張る気か」という感じでしょうか。違ってたら言ってください。

 さて、では、この問題、以下の問題とどう違うのでしょうか。
  1. パーティーの場を盛り上げるためのネタの一つとして血液型性格判断を出すぐらい目くじら立てるな。場を盛り下げる気か。
  2. 市民の環境への興味関心を盛り上げる活動の一環としてEM団子を川にまいたぐらいでなんで批判されなきゃならんのだ。環境なんかどうでもいいっていうのか?
  3. 子どもが落ち着かない、親や教師に対する言葉遣いも悪い。このままでは社会に出たときうまくやっていけるのか。人との関係を構築し、正しい言葉遣いを教える便法として『水からの伝言』を教材にして何が悪い。大事なのは結晶の形が実際どうなるかより、子どもたちが正しい言葉遣いができるようになることだ。
  4. 知りあいから勧められたこの○○水、飲み続けたら健康になったんですよ。だから、いま入院している姪っ子にぜひとも飲んではやく病気を治してもらいたくってね、いまから持っていくとこなんですよ。え?そんなの意味がない?なに言ってんだ、うちの姪がどうなってもいいっていうのか?
まあ他にも色々例は考えつきますが、このくらいで。どれも現実に起こりそうでしょ?

 読めばわかると思いますが、無論、これらにはそれぞれ論理の飛躍が含まれています。どういう飛躍かは違いますが。しかし、「こっちは必死に頑張ってんだ」というあたりは共通するわけです。そういう「善意」の問題は、ニセ科学の蔓延の問題を考えていると、必ず出てきます。蔓延の driving force の大きなものの一つ、というわけです。

 しかし、あなたも私も同じ社会に生きているわけです。とすれば、他人事では済まないわけですね。

 このブログで取り上げるトピックの主要なものの一つが、『水からの伝言』(水伝)です。左側のサイドバーにもいくつかリンクを貼っていますのでご覧いただけると嬉しいです。水伝が大きく批判されるきっかけになったのは、教育現場での使用(特に道徳教育)でした。共通していると思われるのは、水伝そのものについてはあまり深く考えず、水伝を使った教育効果を考えての使用です。上でも書きましたが、荒れる子どもたちをどう教育しようか、と悩んだ挙句に飛びついた、と(無論、色んな先生がいますから、単に「いい話」と思って紹介しただけの人もいるとは思いますが)。少なくとも私が直接話をしたことのある「水伝」を広めてしまった先生は、情熱的な大変いい先生で、こんな先生に教わりたかった、自分の子どもはこんな先生に教わって欲しいなあ、と素直に思えるような方でしたよ。真剣に子どもと向き合おうという意思が強く伝わってきました。でも、それでも「水伝」を使っちゃいけないんですよ。使うべきではない(その理由はここではいちいち書きません。サイドバーのエントリ群を参照してください)。

 献血してくれる人を集めるのに必死である、というのはわかります。ヴィゼータさんや謙さんの「いらだち」もよくわかります。私だって、占いを目玉にした献血ルームの人々の「善意」はわかるつもりです。でもね、我々いい年こいた大人は、善意をたてに批判をかわしているようではダメなんですよ。

 たとえば占いじゃなくて、献血してくれた人には毎週水曜日に「ナントカ還元水」飲み放題!だったらどう思います?(ネタが古いのは御愛嬌、ってことで)タダなんだから別にいいじゃん、と思いますか?「ナントカ還元水じゃ人は来ないよ」とかいう話ではないですよ。それだったら、単に人口に膾炙しているかどうかだけの違いですから。

 オカルトやニセ科学について発言している心理学関係の方の文章を読んでいると、ある一つのニセ科学やオカルトを肯定的に捉えている人は、他のものにも肯定的である、という話が出てきます。あるいは血液型性格判断についても、「別に本気じゃないよ、そんなことはわかってる。話のネタとしてやってるだけだから、いちいち言わんでも大丈夫」という人の方が、他人をステレオタイプに合わせて理解する傾向が高い、などという話もあります。

 日本赤十字社法を根拠とする日赤には占いで人を集めようというようなことは、私はして欲しくはないんです。うちも一応は日赤の「社員」ですしね。社員っていっても寄付金納めたら自動的になる、ってアレですけど。今年もその季節ですね。今月はうちがうちの団地の担当なので、集めて自治会に持っていかなきゃいけないんですが。ってどうでもいいですね。

 もちろん占いで人が死ぬわけじゃありませんから、今すぐやめろ、とにかくやめろ、などと言うつもりはありません。内部で話しあって、うまいこと占いから離れたところに軟着陸してくれれば、というところです。しかし、やっていることそれ自体は、批判されて然るべきことだと思いますし、献血する人を集めるために頑張ってるのに、ということとはまた別のことでもあると思います。そこは分けて考えるべきでしょう。

 なお、driving force の一つとして「善意」を取り上げましたが、もちろんニセ科学の蔓延にはもう一つ重要な driving force があります。「金」です。ナントカ還元水もそうですが、占いだってある部分ではそうですね。それこそ細木数子だとかに連続的につながっていくわけですし。今回は、その部分は(献血ルームの話なので)取り上げていませんが、関係はあるということはおさえておいた方がいいでしょう。

 時間が取れなくて乱文になってしまいましてすみません。頑張っているんだから、ということだけでなく、こういう観点からも見てほしいなと思います。