能見正比古もろもろ(2) | ほたるいかの書きつけ

能見正比古もろもろ(2)

能見正比古『血液型人間学』に書いてあることの続き。お次は言語に関するトンデモ理論を。同じく第二章 p.115 から。
言語はだれが作ったか
人間の思考は言語によって支えられている。言語がどのようにして発生したかは大きな謎に秘められる。それが一カ所で発生し、次第に拡散して行ったと考えたいのだがもしそうなら言語系統は一通りでなければならぬ。実際は、全く言語系統が異なる言語が各地にある。なぜそれが、ほぼ同時代に発生したかは、全く不思議というほかない。
 私の推測は、言語はA型種族とB型種族の接触によって発達したのではないかということだ。言語といっても、感情の表現や、単なる指令伝達の信号なら、サルやイルカも持っている。人間の言語は、事物に対応した"概念"という独立性を、言語に付与したところに特徴があるのだ。これは相互に異なる見方を一致させるのに役立つ。思考方向の反対が多いA型とB型が最初に接触したとき、考えの喰い違いに難渋したことであろう。同じ花を論じても、A型の考える花とB型の見る花を一致させるためには、"花"という共通概念を持つ言葉の設定が必要になる。そしてA型民とB型民の接触が各地で別々にあったとすれば、言語が各地で多発した説明はつく。
 言語がA型B型の共同発明としても、その言葉の使用が、一番巧妙になったのはO型である。言語も生活のための有効な道具である。道具使いのうまいO型は、この方面でも存分に才能を発揮した。O型は言語も文章も明快であり、その論理の組み立ても一番たしかである。A型は言語の細かな部分にとらわれすぎるようだ。それに一語一語を、細かく、定義しようという傾向があり、かえってその論理を判りにくくさせる。B型は逆に一語に幅の広い意味を持たせたがる。そのため、その論理はやや不透明であいまいになりやすい。
 言語AB合作説に従うなら、AB型はその頭脳の中でAとBの対話を無限に繰返しているということになる。AB型が抽象的な思考に強かったり、分析的能力に長じたりするのも判るというものだ。一方、AB型は合理的なわりに、一つの理論を組み立てようとする人はすくないが、考えて見れば、無限の討論から、理論がまとまるわけがないのである。
…誰かなんか言ってやってください。
 この「理論」に従えば、他の血液型の集団と未接触の特定の血液型だけの集団は、言語を持たないことになる。少なくとも、「サルやイルカ」なみの言語であったということになる。しかし、サルにだって複数の血液型がある。さらに、一種類の血液型のみの集団では、概念定義がなくとも意思疎通に困難がない程度の文化しか発達し得なかった、ということにもなる。
 もちろん、時系列的に、血液型の分化と言語の発生のどちらが先なのかは私にはわからない(何をもって言語の発生とするのかもわからないけれども)。だから、血液型が分化した後に言語が発生した、ということは無論あり得るだろう。しかし、同じ血液型であっても随分と異なる性格の者がいることは能見も認めるところである(血液型が性格に及ぼす影響は限定的である旨述べている)。だとすると、ここでの言語発生理論は意味を成さなくなるのではないだろうか。


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