平和宣言 | ほたるいかの書きつけ

平和宣言

 今日(というか昨日)は長崎原爆の日。あのアメリカでさえ期限をきった核兵器廃絶を口にするようになっているのに対し、麻生首相が放つ言葉の思考停止ぶりが際だっているのだが、このあたりのブクマコメント を見ると、まだまだ「核の傘」や「核抑止」論の軛から逃れられない人々が多いのだろうな、と思ってしまう。核兵器を持つ/頼るということのリスクやデメリットを、一度真剣に考えて欲しいと思う。

 さて、「長崎平和宣言 」はそのような古臭い思考からは既に脱却し、未来へ向かって進もうとしている。全文は見ていただくとして、印象深いところをいくつか引用したいと思う。
 まずは冒頭。
 今、私たち人間の前にはふたつの道があります。
 ひとつは、「核兵器のない世界」への道であり、もうひとつは、64年前の広島と長崎の破壊をくりかえす滅亡の道です。
ここには「核との共存」を明確に否定する発想がある。「核兵器のない世界」へ進まない限り、また広島・長崎の惨状が繰り返されるだろう、と。
 日本政府はプラハ演説を支持し、被爆国として、国際社会を導く役割を果たさなければなりません。また、憲法の不戦と平和の理念を国際社会に広げ、非核三原則をゆるぎない立場とするための法制化と、北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現の方策に着手すべきです。
核兵器をなくそうという立場に立ってこそ、北朝鮮に対しても核開発を断念させる道義ある交渉が可能というものである。こちらが核で迫れば屈服するだろうなどというのは、あまりにも能天気な発想だ。
 オバマ大統領、メドベージェフ・ロシア大統領、ブラウン・イギリス首相、サルコジ・フランス大統領、胡錦濤・中国国家主席、さらに、シン・インド首相、ザルダリ・パキスタン大統領、金正日・北朝鮮総書記、ネタニヤフ・イスラエル首相、アフマディネジャド・イラン大統領、そしてすべての世界の指導者に呼びかけます。
 被爆地・長崎へ来てください。
 原爆資料館を訪れ、今も多くの遺骨が埋もれている被爆の跡地に立ってみてください。1945年8月9日11時2分の長崎。強力な放射線と、数千度もの熱線と、猛烈な爆風で破壊され、凄まじい炎に焼き尽くされた廃墟の静寂。7万4千人の死者の沈黙の叫び。7万5千人もの負傷者の呻き。犠牲者の無念の思いに、だれもが心ふるえるでしょう。
 かろうじて生き残った被爆者にも、みなさんは出会うはずです。高齢となった今も、放射線の後障害に苦しみながら、自らの経験を語り伝えようとする彼らの声を聞くでしょう。被爆の経験は共有できなくても、核兵器廃絶を目指す意識は共有できると信じて活動する若い世代の熱意にも心うごかされることでしょう。
犠牲者を単なる「数」と見るのではなく、一人ひとりの人生に心を寄せて見てほしいものだ。
 長崎市民は、オバマ大統領に、被爆地・長崎の訪問を求める署名活動に取り組んでいます。歴史をつくる主役は、私たちひとりひとりです。指導者や政府だけに任せておいてはいけません。
オバマの演説は確かに画期的なものであった。しかし、歴史を作るのは一部の指導者だけではない。やはり、社会を構成する一人ひとりの声と行動が、歴史を前に進めるための条件を作り出すのだと思う。
 原子爆弾が投下されて64年の歳月が流れました。被爆者は高齢化しています。被爆者救済の立場から、実態に即した援護を急ぐように、あらためて日本政府に要望します。
政府はどのような思いでこの声を聞くのだろうか。ムダ金としか思っていないのではないかと危惧せざるを得ない。少なくとも麻生首相にその気持ちが少しでもわかるとは思えないし、わかろうという気すらないであろう。結局、我々が政府を追い詰めていくしかないのだと思う。

 核兵器が大量に存在するという現実を、ただ追認することをもって「現実的」と勘違いする人がいまだに多いが、ほうっておけば核兵器はどんどん拡散していき、ますます危険になるというのが「現実」である。時間がかかっても、核兵器を廃絶することの方が、人類の未来を開くという視点からははるかに現実的であろう。日本がその道を切り開く名誉ある地位を占めて欲しいものだと切に願う。