『虹は七色か六色か』板倉聖宣 | ほたるいかの書きつけ

『虹は七色か六色か』板倉聖宣

(追記09.04.19 こちらのエントリもどうぞ。「Pink Floyd も6色だった! 」)

 著者は「仮説実験授業」で有名な板倉聖宣氏。副題に、「真理と教育の問題を考える」とある。
 この本、「本」というより冊子と言った方がいいくらいの、手帳サイズの薄い本である。が、その内容は実に深い。

 虹の色はいくつあるか?という問からこの冊子は始まる。いや、板倉さんの趣旨を汲めば、こんなところで結論を紹介するのはよくなくて、「考えろ」ということになるんだろう。が、まあそれはそれとして、興味を持ったら御自分でまた読み直していただけばいいと思うし、それでこの本の価値が下がるということはない。
 で、その問への答である。大方の日本で教育を受けて来た人々なら、「7色」と答えるだろう。虹と言えば七色、Personz だって "Seven colors ~" と唄っていたではないか。
 ところが、アメリカではそうではない、6色なのだ、というところから話は展開する。

 虹の色が、国(あるいは民族)によって違っているということを聞いた人も多いだろう。私もそうで、そしてそれは文化によって色の認識の仕方が違う、という文化相対主義的なものだと考えていた。もちろんそういう面はあるのだろうが、「七色か六色か」という問題、特になぜアメリカで6色なのか、という問題を考える際には、単に文化相対主義で片付けるわけにはいかない問題がある、というのがこの本の中身なのである。

 実は、アメリカ人も昔-ここでは南北戦争の頃が例として挙げられているが-は虹は7色であるとしていた。当時出版された科学の本には、どれも虹は7色と書いてあったそうである。ところが、ある時から、「藍(indigo)」が抜け、6色になったのである。そして、そもそも7色とされたのも、始まりがあったのである。
 分光学の開祖、ニュートンは、『光学』の中で、プリズムで分光して出現する色は5色である、と書いているそうである。ところが、その後、ニュートン自身が7色に立場を変えた。それは、宗教的な理由(一週間は七日である)もあっただろうが、それだけでは宗教的すぎるので、音階との対比を考えたからだそうである。つまりドレミファソラシの7つの音階と対応させたわけである。しかし、ニュートン自身には、プリズムで分光した白色光は7色には見えなかった。6色しか見えなかった。ところが、7色見える(「藍」が見える)という人が現れ、そこで「藍」と「橙」は半音階に相当するので、幅が狭く自分には見えなくても仕方ない」ということで7色にしてしまった。
 では一般の人はどうだったか。ニュートンが言うのだから虹は7色に違いないが、7色には見えないという人が大勢いたのだろう、その証拠に、7色の覚え方があちこちに残されている。たとえば Richard of York gave Battle in vain. という文章を覚えると、単語の頭文字が red, orange, yellow, green, blue, indego and violet, となるので覚えやすい、というわけだ。そうまでしないと覚えられないくらい、普通の人には7色に見えなかったのだろう。

 では、いつから6色ということになったのか。
 それは、1941年に出版された教科書からだそうである。1940年までの小中学校の理科の教科書には、どれも7色と書いてあったらしい。では、その教科書が6色を押し付けたのかというとそうではない。おそらく、当時の子どもも虹は7色というのが常識だったのだろう。だから、実際に、その教科書では、プリズムを設置して壁に虹色の帯を映すようになっている。そして、「7色のうち、壁に映った虹色の帯の中で、見分けにくい色がありますか」と質問するような授業展開になっているそうだ。つまり、子どもが自ら虹は6色であると納得するように仕向けてあるのだ。上から教え込むのではなしに。
 この教科書の著者は B.M. パーカーという人で、シカゴ大のラボラトリー・スクールに所属していたそうである。この学校は、あのデューイが作った学校とのことだ。
 他の教科書執筆者たちも「虹は6色」を否定しなかったので、やがてそれが広まり、70年代には「虹は6色」が常識のようになっていったそうである。

 ここから読み取るべきは何か。もちろん教科書で教える内容に6色と書くのであるから、その意味では6色と認識するのも広い意味では文化だろう。しかし、6色と7色は対等ではない。自然界が-色を認識する人間の、多数派の人間の目の構造を含め-6色を自然と感じるように出来ているのである。むしろ、それを無理矢理7色にしてきたのが、観念の押し付けであったのだ(無論、色について頓着しない文化であれば、数は減るだろうが)。

 ちなみに日本では、記録を探ると2色だったり5色だったり、あまり数には頓着していなかったらしい。初めて「7色」となるのは1835年の本だそうだが、その著者は西洋の近代物理学をはじめて日本に紹介した人で、つまりニュートンが言ったことが輸入され、それが広まって日本でも7色ということになったということだ。つまり、虹は7色というのは日本の伝統でもなんでもない、ということのようである。

 さて、この本の面白いのはこれだけではない。当時(70年代)、アメリカでは虹は6色とされていることを紹介し、それは文化の違いであると言った4人の学者を名指しで批判している。それは日高敏隆、村上陽一郎、桜井邦朋、鈴木孝夫である。なぜ文化の違いであると公言できるようになったかなどの社会的考察も面白いのだが割愛して(まあ要するに日本が日本として自信を持てる程度に経済的に成長したというのが背景にあるのだろう、ということ)、そこには、村上陽一郎氏に典型的な相対主義的な(あるいは社会構成主義的な)世界観があると指摘する。現実との対応を考えずに、頭の中だけで「それは文化の違いによるものだ」と決めつけてしまう傾向である。ちょっと長くなるが、引用する。

〔4人の学者たちの誤り〕
 しかし、その4人の学者たちは、揃いもそろって、対応をまったく間違えたのでした。アメリカ人が〈虹は六色〉と考えるようになったのは、〈虹は七色〉という考えを知ってのことであったのに、〈アメリカ人の言語文化にはインジゴ=藍という概念が希薄であるからだ〉などと何の根拠もなく考えてしまったのです。
 その人々は、どうしてそんな根拠のないことを考えてしまったのでしょうか。それは、「その人々が〈科学上の真理もその国の文化の伝統や言葉の違いによって変わることがある〉という当時流行していた科学論に魅せられすぎたせいだ」といって間違いないでしょう。
 たしかに、〈科学上の真理もその国の文化の伝統や言葉の違いによって変わることがある〉ということもあり得ないことではありません。しかし、人びとによる科学上の意見の対立があることを知ったとき、〈どちらが正しいか〉と考えても見ずに、その対立をすぐさま〈その国の文化の伝統や言葉の違い〉のせいにすることは、とんでもない間違いです。
 この〈虹は七色か六色か〉の話題は、「日本の多くの学界の指導者たちでも、そういう初歩的な間違いに陥る危険を示している」といっていいでしょう。この人々は、アメリカでの科学教育研究者たちの成果を知りながら、そのことから学ぶこともできなかったのです。

 我々の感覚は間違うこともあるし、惑星の配列のように覚えるしかないこともある。しかし、「実験」抜きに、なにかわかったような気になってしまうことも往々にしてある。この話は、現象に寄り添い、己の感覚を疑いつつ信頼し、真理を探っていくというプロセスの重要性を示し、自戒を迫るものと言えるだろう。

 内容の面白さだけでも読む価値があるが、どう展開して読者を納得させるか、その方法もまた面白い。
虹は七色か六色か―真理と教育の問題を考える (ミニ授業書)/板倉 聖宣
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