昔のアニメは凄かった(今思うと)
ANIMAXで『銀河鉄道999』をやっていたわけですよ。
うおおーと思いながら見ていたのですが(アニメはあまり再放送をやってなかった気がする。なので、全部ちゃんと見た記憶がない。原作は何度も読んだけど)、第一話、すごいね。
鉄郎がメーテルと出会ってホテルに滞在すると、警察がやってくる。機械伯爵を鉄郎が殺したから。それをかわし、車(と言っていいのかわからんけど)に乗って駅へ向かう。その途中、メガロポリスの暗部、999のパスを買うためにやってきた人々がいるスラムを見ることになる。
このスラムの描き方が生々しい。まさに貧困の果て、という感じ。第一話冒頭で、機械化人たちの幸せそうな様子が描かれるだけに、その対比は一層鮮やかである。
で、なにを凄いと感じたかと言うと、当時のアニメって、こういう貧困や格差をストレートに描いていたということに改めて気づいたわけです。999だけじゃない。もうちょっとさかのぼると、『巨人の星』や『明日のジョー』はもちろん、『ど根性ガエル』や『魔法のマコちゃん』なんかもちゃんと貧困や格差が描かれている。サリーちゃんだってそういう雰囲気あるよね。もっとも、『エースをねらえ!』なんかはお嬢様たちのドラマではあるけれど(あ、どれも好きですよ)。
それがいつの頃からか、そういう現実に存在する社会の「暗部」みたいなものを隠蔽するようになってきたような気がするのだ。「みんななかよく」みたいな。今でも思い出すのが、『カリメロ』だ。子どものころ、再放送で初代のカリメロを見ていた記憶があるのだけど(たぶん再放送)、全体的に暗い印象で、でも楽しかったのを憶えている。いじめっ子を中心にした、子ども社会における厳然たるヒエラルキー、プリシラの理不尽な言動、でもその中で必死に前向きに生きるカリメロ。それがバブルのころにリメイクされたものを見て愕然とした。ただの仲良しグループじゃん!深みも何もまったく消え去っている。当時私は大きくなりかけの子どもだったけれども、衝撃であった。
なんなんだろうな。作り手が、リアルな社会というものをイメージできなくなっちゃったんだろうか。自分のごく近い周囲のことしか見えていないんだろうか。自分のいるビルを作ったのはどういう人たちか、とか、そういう想像力はなくなってしまったんだろうか(巨人の星にはそういう場面がありましたよね。星一徹が日雇いで働いているときに、ビルができたら俺たちはもうここには来れねえんだ、みたいなセリフがあった気がします←うろおぼえ)。
そういう意味では、私が子どもの頃の作品というのは、作り手側にも深い問題意識があって、娯楽作品の中にもなんとか自分たちの思いを伝えようと苦心した、その一つの到達点であったのかもしれない、などと思う。なにかこう熱い魂を感じるわけだ。
もちろん最近のテレビアニメをよく知らないので、実はそういう作品もあるのかもしれないのですが(だったらスイマセン!)、どうなんでしょうね。社会のリアリティが失われていることの表れの一つなのかもしれない、なんて思ったりします。
うおおーと思いながら見ていたのですが(アニメはあまり再放送をやってなかった気がする。なので、全部ちゃんと見た記憶がない。原作は何度も読んだけど)、第一話、すごいね。
鉄郎がメーテルと出会ってホテルに滞在すると、警察がやってくる。機械伯爵を鉄郎が殺したから。それをかわし、車(と言っていいのかわからんけど)に乗って駅へ向かう。その途中、メガロポリスの暗部、999のパスを買うためにやってきた人々がいるスラムを見ることになる。
このスラムの描き方が生々しい。まさに貧困の果て、という感じ。第一話冒頭で、機械化人たちの幸せそうな様子が描かれるだけに、その対比は一層鮮やかである。
で、なにを凄いと感じたかと言うと、当時のアニメって、こういう貧困や格差をストレートに描いていたということに改めて気づいたわけです。999だけじゃない。もうちょっとさかのぼると、『巨人の星』や『明日のジョー』はもちろん、『ど根性ガエル』や『魔法のマコちゃん』なんかもちゃんと貧困や格差が描かれている。サリーちゃんだってそういう雰囲気あるよね。もっとも、『エースをねらえ!』なんかはお嬢様たちのドラマではあるけれど(あ、どれも好きですよ)。
それがいつの頃からか、そういう現実に存在する社会の「暗部」みたいなものを隠蔽するようになってきたような気がするのだ。「みんななかよく」みたいな。今でも思い出すのが、『カリメロ』だ。子どものころ、再放送で初代のカリメロを見ていた記憶があるのだけど(たぶん再放送)、全体的に暗い印象で、でも楽しかったのを憶えている。いじめっ子を中心にした、子ども社会における厳然たるヒエラルキー、プリシラの理不尽な言動、でもその中で必死に前向きに生きるカリメロ。それがバブルのころにリメイクされたものを見て愕然とした。ただの仲良しグループじゃん!深みも何もまったく消え去っている。当時私は大きくなりかけの子どもだったけれども、衝撃であった。
なんなんだろうな。作り手が、リアルな社会というものをイメージできなくなっちゃったんだろうか。自分のごく近い周囲のことしか見えていないんだろうか。自分のいるビルを作ったのはどういう人たちか、とか、そういう想像力はなくなってしまったんだろうか(巨人の星にはそういう場面がありましたよね。星一徹が日雇いで働いているときに、ビルができたら俺たちはもうここには来れねえんだ、みたいなセリフがあった気がします←うろおぼえ)。
そういう意味では、私が子どもの頃の作品というのは、作り手側にも深い問題意識があって、娯楽作品の中にもなんとか自分たちの思いを伝えようと苦心した、その一つの到達点であったのかもしれない、などと思う。なにかこう熱い魂を感じるわけだ。
もちろん最近のテレビアニメをよく知らないので、実はそういう作品もあるのかもしれないのですが(だったらスイマセン!)、どうなんでしょうね。社会のリアリティが失われていることの表れの一つなのかもしれない、なんて思ったりします。