江原啓之と靖国(1) | ほたるいかの書きつけ

江原啓之と靖国(1)

 先週ぐらいだったか、たまたま古本屋で江原啓之の「日本のオーラ 天国からの視点」を見つけてパラパラとめくってみたところ、その中に「靖国問題について 戦死者の『大我』と参拝者の『動機』」という章があったので、興味を持ってしまい仕方なく購入した(730円もしたよ!)。
 なんで興味を持ったかというと、勿論、私自身がもともとそういう社会問題に興味を持っていた(映画『靖国』の件もあるし)というのもあるのだが、それよりも、江原が自分の土俵ではないところ、しかも長年の議論が蓄積されている「靖国」という問題にどのように向き合うのかを見れば、より江原の思想の本質が見えるのではないか、という思いがあったというのが大きい。スピリチュアルの土俵内で語られても、いくらでも逃げられてしまうからね。

 ところが色々と忙しくて読めてないもんで、エントリを上げられなかったのです。しかしこのままズルズルと先延ばしするより、少しでも書き始めようということで、ちょっとだけ書きます。憲法記念日だし。もう日付変わるけど。
 たぶん、2,3回ぐらいに分けて書くことになると思います。

 で中身に入る前に、どうしてもふれておきたいことがあるので、今回は先にそちらについて書く。
 「第一章 どんなことが起きても生きていく力 ホリエモンと『八つの法則』」という章の冒頭である(ホリエモンについてはここでは触れない)。
 なにが言いたいかというと、まあここでこれに絡めていう必要もないのだが、この本の冒頭にあるから触れてみるということなのだが(我ながらクドイな^^;;)、ポルターガイストの話である。
 「スピリチュアリズム」、あるいは「心霊主義」の勃興に大きく寄与したのが、1848年ニューヨーク州ハイズビルでフォックス一家に起きた事件である(なお、江原の本では「ハイズビュー」となっているが、綴りは Hydesville なので、ハイズビルと書くべきだろう。ネイティブの発音を聞くとおそらくハイズビューのように聴こえるのだろうけど、日本人はなかなかL(エル)の音が聞き分けられないのでまあ仕方ないといえば仕方ない)。
 その年の前年に越してきたフォックス家では、その家にまつわる悪い噂を迷信深い母親が聞きつけてから、ラップ音がするようになった。また、娘たちがラップ音と「対話」し、死体が地下室に埋められていると言ったから大騒ぎになったが、掘っても死体は出ず、人間の髪らしいものと、人のものかよくわからない骨が数本出ただけであったという。 また、ラップ音自体も、娘たちが関節を鳴らしていただけであったようである。
 しかし、長女が「交霊会」を開くようになり、一家は大もうけしたという。
 以上は『霊感・霊能の心理学』(中村希明)によるものであるが、この著者、ブルーバックスから『怪談の科学』なども出していて、なかなか面白い。

 しかし、江原によると、この事件は画期的であったのだという。なぜならば、「それまで霊的現象は非科学的なものとして捉えられていました。しかし、このポルターガイストの事件は、新聞に取り上げられ、騒動になったことで、初めて科学のメスが入ったのです」だからだそうだ。
 しかし上に書いたように、メスが入ったおかげで、これが霊的現象などではなく、単なるイタズラであったことが解明されてしまったのだ(なお、江原のこの本によると、地下室を掘り出して出てきたものは、人骨と行商人のカバンであるという。「霊」によれば、殺されたのは行商人である)。

 この事件についての詳細は、wikipediaの「フォックス姉妹」 でも見ていただくとして、江原が何と言っているかというと、「ハイズビューで起きた出来事については、例えばラップ音も姉妹が自分たちの骨を鳴らしただけだったのではないかとか、いまだに否定的なことも言われていますが、今となっては検証もできません」である。検証できないのであれば、それが「霊的現象」であるとは言えないはずなので、これをもって霊的現象の存在を言うのは間違っているが、それ以上に、すでに当時からトリックが明かされていたし、むしろいまだに肯定的なことを言えるのが驚きでもあるのだが、一旦信じてしまえばどんなに否定的な結果を聞いても都合よく解釈してしまう好例ということなのだろう。

 最後にもう一つだけ、江原の言葉を取り上げる。
 こうしたスピリチュアリズムの根幹を表しているのが、英国スピリチュアリスト連盟の七大綱領と言われているものです。この綱領に沿って生きているのが、スピリチュアリストです。七大綱領の一番元にあるのは、私が言うところの「霊魂の法則」、つまり人間の霊魂は永遠であるということなのです。私がテレビに出演すると、いろんな方から反響がありますが、以前ご年配の方から「せっかくいいことを言っているのだから、霊のことを言うのはやめなさい」というご意見をいただいたことがありました(笑)。しかし、霊魂が永遠であることを除いてしまったら、倫理を論ずることと何の変わりもありません。ここだけは絶対に譲ることができないところです。
 スピリチュアリズムについて私がお願いしたいのは、魔法的とか呪術的なものとは誤解して欲しくないこと。そして、ただ「たましいは永遠である」ことを何となくでもいいから、感じていただければ充分であるということです。
 つまり、霊魂というものが、「魔法的とか呪術的なもの」ではない、おそらく科学的と言いたいのであろうが、そういうものとして江原の思想は組み立てられているということである。
 なんとなく江原を「いいなあ」と思っている人は、その思想の根幹には、上で述べたような霊魂の概念があることを知っておくべきだろう。一見(あくまでも一見にしか過ぎないが)倫理的に見える発言も、永遠の霊魂という思想があってこそのものなのである。そこを切り離しては、江原の本質は見えてこない。

 というわけで、次回、靖国の話に進みます。