「水からの伝言」はどうやって作られているのか(4) | ほたるいかの書きつけ

「水からの伝言」はどうやって作られているのか(4)

 「水伝」の結晶写真の撮影方法は、大体今まで述べてきたことぐらいしか書かれていない。無論、私もすべての江本らの出版物に目を通したわけではないので、まだ読んでいないものになにがしかのことは書かれているのかもしれない。しかし、そうであればもう少しぐらいは話題になっていると思われるので、おそらくこの程度なのだろう。

 そういうわけだから、彼らの「実験」及びその解釈が如何にずさんであるか、ということは、おわかりいただけたと思う。また、反証実験をやろうにも、この程度のことしか明らかにされていない状況では追試のしようがなく、むしろ彼らのやり方が科学的議論の俎上にあるかのような誤解をふりまくだけである、ということもご理解いただけると思う。もし何らかの実験をやってみて、彼らの結論を否定しようものなら、「実験者の悪い波動が影響を与えたのだ」などと言い出すのも目に見えている。超能力の「山羊・羊効果」 (「超能力を信じない人の前では超能力は発現しない」という、超能力を肯定するための屁理屈)と同じだ。

 今回紹介するのは、IHM総合研究所の木津孝誠氏が、「水伝2」の巻末に書いているエッセイ風の文章である。結晶写真の撮影風景をスケッチしたもので、雰囲気が伝わってくる。さすがに全文は無理なので、気づいたところだけを引用する。なお「水伝2」のpp.137-138に載っている。
寒い冷蔵庫の中での楽しみ!
IHM総合研究所 主任研究員 木津孝誠

(略)

 まず、防寒着に身を包み、マイナス5度に設定された大型冷蔵庫のドアを開けます。そこには水を氷結させる冷凍庫と、台に置かれた光学顕微鏡。その中間に撮影者が座る椅子があります。撮影環境はそこに「もぐり込む」という表現がぴったりです。バタンと冷蔵庫のドアを閉め、椅子に座ると聞こえてくるのは冷蔵庫のモーター音だけ。さあ、冷凍庫から出番を待っているシャーレを取り出します。
結晶撮影にかける意気込みと、臨場感とが伝わってくる。本当に楽しみながら撮影をしているんだろう。
 蓋を取ったシャーレ上の氷塊を、横から見るとツンと立った突起があるのがわかります。結晶はその突起の頂上にあるのです。まるで植物が成長して先端に花をつけるように、隆起した氷の頂点に水の華が開いています。まったく不思議ですね。
 顕微鏡の光は上から落射されています。すばやく光の下に突起の頂点をもっていきます。ここはなるべくスピーディにしましょう。冷凍庫と冷蔵庫の温度差によって、氷が溶けはじめます。溶けはじめると固定していたものが、急に動き始め、結晶が成長することになります。すでに結晶の成長は始まっています。
 マイナス5度でも突起の尖り具合によっては溶けるだろう。平面状の氷ならば、熱を伝え暖めに来る空気の分子は正面からしか来ないが、尖っていれば正面からだけではなく四方から空気分子がやってくるので、同じ気温でも溶けやすくなる(過飽和状態であれば水蒸気分子もやって来やすくなるので、樹枝状に結晶が成長するが)。もっともこの場合は光を当てているので、輻射を受けて氷が暖まり、溶けているのだとは思う。光も、尖った部分では表面積が大きく、水(氷)の分子数当たりに受け取る輻射のエネルギーが大きくなると考えられるからである。

 1パラグラフ飛ばして、次にすすもう。
 結晶の一生は数十秒です。核の周辺にある飾りがその間にどんどん成長し、光の乱反射によって、まばゆいばかりに輝き出します。六方向に広がる枝葉は、そう、まさに葉っぱや花弁のように成長していきます。まるで成長するダイヤモンドです。
 それは溜息の出る美しさ……! (中略)
 そしてたとえばここでピントをわずかに動かしてみると、結晶は核を中心にして立体的に成長していくのがわかります。花にたとえると、コスモスのように核と花弁が平面に近い結晶もあれば、薔薇や菊の花のように核が奥まった、立体感のある結晶もあります。
 200倍の倍率の世界ですから、微妙な高さの違いは、結晶の核と枝葉、両者にピントを均一に合わせられないほどです。写真にある様々な結晶を見て、その立体感を創造していただけるでしょうか。
おそらく冷蔵庫内の水蒸気量はコントロールされていないだろうし、撮影者の吐く息も氷周辺に漂うと思われるので、ようするに氷周辺の水蒸気量がコントロールされておらず、その時その時で違う結晶形になるのだと思われる。また核(突起の先端部分だろう)の形状が対称かどうか、どれだけ尖っているかによっても結晶形は変わると思われる。
 また「水伝」写真で周辺部がピンボケに見えるものがあるのも、高倍率にしているからであることもここからわかる。省略した部分には「フレームに収まりきれないくらい」と書いてあるので、少し倍率を落とせばいいのにとも思うのだが。
 そして冷凍庫から取り出して数10秒後。誕生から休むことなく成長を続けた結晶が、ピタリと止まって見えるときがあります。結晶の成長が終わって、水へと変わる瞬間です。結晶はまったく静止することなく今度は水になろうとするのです。それは水の分子が絶えず動き回っているという事実を思い出させてくれます。
(以下略)
「数10秒」という表現をしているので、おそらく1分以下なのだろうが、突起先端部で先端を凝結核にし、周囲の水蒸気を材料に成長を始めた結晶が、おそらくは撮影のために当てている光によって溶けていく様が描かれている。それは、木津氏にとっては、はかなく美しい結晶の一生を描くドラマのように見えるのだろう。

 さて、このように撮影している人々は、おそらくは本心から喜びを感じながら仕事をしていると思われる。
 しかし、である。既に述べたように、残念ながら、これは科学的実験からは程遠いと言わざるを得ないのである。彼らがどんなに楽しみ、喜び、苦労し感動しながら「実験」をしていても、それは科学的な正しさを保障しない。科学は我々の前に厳然とそびえ立つ自然を理解し、その理解を地道に積み重ねていく営みである。我々がどんなに苦労し、心をこめて「研究」したとしても、自然はそんなことは考慮してくれないのだ。自然は非情であり、そして奥深い。だからこそ、科学は厳しくも楽しいのだ。
 もし、木津氏をはじめとするIHMの人々が真摯に真理を追究したいと思っているのなら、例えば中谷宇吉郎の本(岩波文庫の「雪」など)を是非読んでもらいたい。得るものが多いはずである。

 それにしても、江本が妙な理屈をつけたり妙な道徳を主張したりしなかったなら。こんな批判などされず、「水伝」はアートの写真集としてそれなりの支持を得たかもしれない。無論、結晶写真集としては、たとえば「スノーフレーク」のほうが整然としているし、それこそ「美しい」だろう。しかしアートとして捉えるならば。HOLGAなどのトイカメラで撮影した、ちょっとピンボケの写真がもてはやされるぐらいだから、「水伝」の不完全な結晶写真だって十分アートになり得たかもしれない。その意味で、かえすがえすも残念である。

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