「水からの伝言」はどうやって作られているのか(3) | ほたるいかの書きつけ

「水からの伝言」はどうやって作られているのか(3)

 「水伝2」に戻る前に、「水は答えを知っている」(江本勝、サンマーク出版)から、「実験」の方法について述べている部分を引用しよう。「プロローグ」のp.21より。
 水の結晶写真を撮るために私が行っている具体的方法はこうです。
 水を一種類ずつ五十個のシャーレに落とします(最初の数年間は百のシャーレでした)。これをマイナス二〇℃以下の冷凍庫で三時間ほど凍らせます。そうすると、表面張力によって丸く盛り上がった氷の粒がシャーレの上にできあがります。直径が一ミリほどの小さな粒です。これを一つずつ、氷の盛り上がった突起の部分に光をあてて顕微鏡でのぞくと、結晶があらわれるのです。
ということで、最初の数年間をのぞけば、「水伝2」「水伝3」に書いてあることと基本的には同じである。「水を一種類ずつ五十個のシャーレに」というのは曖昧な言い方だが、「一種類につき」というつもりで書いたのだろう。
 なお、この文章の前段には、江本が結晶写真を撮ることを思いつき、会社の研究員にそれをやらせてみたこと、当初は普通の冷凍庫で凍らせ、顕微鏡はリースだったこと、結晶写真が取れるようになるまで二ヶ月かかったこと、などが述べられている。
 続いて一般的な結果についてこう述べる:
 もちろん、五十個全部に同じような結晶があらわれるわけではありません。まったく結晶をつくらないものもあります。これらの結晶の形を統計にとり、グラフにしてみると、明らかに似た結晶があらわれる水と、まったく結晶ができない水、あるいは、くずれた結晶しかできない水など、それぞれの水がもつ性質がわかるのです。
統計を取ってグラフにした、ということと、似た結晶があらわれる、ということは、直接にはリンクしない。つまり、統計を取るということは個別の特徴を捨象して、なんらかの共通項でくくる(この場合なら「美結晶」「美傾斜」など)ということだから、文字通りに意味を取れば、意味の通じない文章、ということになる。こちらで解釈すると、おそらく統計のパターンが似ている、ということなのだろう。つまり、美結晶が多めにでる水、とか、少なめに出る水、とか。
 さて前回も指摘したとおり、「良い水」とされたスカトー寺の甕の水でさえ、美結晶は50個中高々3個であった。ポアソンエラーをつければ、3±√3個、ということだから、1σで1個程度、2σだと3±2√3個で0個になる可能性も十分にある。だから、実際のデータを見れば、とても性質がわかるなどと言えるような統計的に意味のあるデータではない。
 無論、表に出てきているのは前回までに示した4例だけなので、他の多くの例では違うのかもしれない。しかし、そうであるならば、きちんと主張する側がデータを出してくれないことには議論のしようがない。そして、表に出てきているデータは、普通は代表的な、あるいは江本らの主張の特徴を良く表すものであろうという推測は自然だと思われるので、そう考えると、「水伝」の主張というのは意味があるとは言えない、と言っても良いのではないかと思われる。

 次に音楽の聴かせ方についてである。「水は答えを知っている」p.22には、研究員の発案を受けて音楽を聴かせる実験を開始したことについて、以下のように書かれている:
 たしかに、音楽を聴かせることによって振動が伝わり、水の性質を変えてしまうというのはありえる話です。私自身も音楽が好きで、子供のころは本気で声楽家になろうと考えたことがあったぐらいなので、このユニークな実験には大賛成でした。
 ただ一口に音楽を聴かせるといっても、どんな音楽をどのような状態で聴かせたらよいのか見当がつきません。私たちは試行錯誤を続けた結果、二つのスピーカーの間にビンに入れた水を置いて、人が通常聴くぐらいの音量で水に聴かせてみるのがよいのではないか、という結論に落ち着きました。使う水も、いつも同じものでなくてはなりません。私たちは、薬局で売っている精製水をこの実験に使用してみることにしました。
というわけで、ビンに入れて水に音楽を聴かせ、その後にシャーレにとって凍らせるという手続きを踏む、ということがここから明らかになる。つまり、音楽を聴かせながら凍らすのでもなければ、音楽を聴かせながら結晶の写真を撮るというのでもないのだ。
 また音によって水の結合状態が変化したとしても、それはすぐに変化してしまい、状態を長時間保持することはない、ということも、すでにあちこちで指摘されている。

 音楽を聴かせた実験を受けて、江本は
 さらに、私はおどろくべきことを思いつきました。水に言葉を見せてみたのです。ガラスのビンに水を入れ、言葉を書いた紙を水に向けて貼りつけるのです。「ありがとう」という言葉を見せた水と、「ばかやろう」を見せた水では、結晶にいったいどのような違いが出るのでしょうか。
(p.23)と述べている。つまり、音楽を聴かせた実験の「成功」(本当に成功しているかどうかはともかく、彼らは主観的にはそう思った)に気を良くした江本は、水に言葉を見せるということを思いついた、というわけである。「水伝」誕生の瞬間ともいえるだろう。
(次回につづく)