血液型性格判断前史(修正あり) | ほたるいかの書きつけ

血液型性格判断前史(修正あり)

(2009.6.17 原來復の論文のレファレンスが正しくなかったので修正しました。安斎さんの本が間違っていたのだけど。その論文の中身についてはこちらのエントリ を御参照下さい)

前回のエントリの続きで、この本からのメモです。

(注)血液型と性格には、みてすぐわかるような強い相関はないということが、万単位のサンプルによる大規模な調査によってすでに明らかになっています。
だまし博士のだまされない知恵/安斎 育郎
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※「前史」というのは厳密には正しい言い方ではないのでしょうが、このエントリでは、「能見正比古以前」という程度の意味で使っています。

ABO式血液型(のうちA・B・O、Oは当時はCと呼ばれた)が発見されたのが1900年のオーストリア。1902年に第4の型が発見。それは1910年になってドイツのデュンゲルンによりABという名前が与えられ、A・B・O・ABの4種が揃うことになる。
 デュンゲルンは西欧人にはAが多く、アジア人にはBが多いこと、チンパンジーにはAが観察されるものの、他の動物はすべてBであることに気づいた。ここから、当時のドイツの優生学を背景にして、B型の人間は進化論的に遅れた存在、A型は進んだ存在であるという主張が出てきた。
 このデュンゲルンのもとに留学したのが原来復(はら・きまた)である。帰国後の1916年、「血液ノ類属的構造ニツイテ」を『医事新報』965号『醫事新聞』第954号(pp.937-941、1916年7月25日)に発表(原来復、小林栄)。内容はひどいものだったらしく、たとえばA型とB型の小学生の兄弟を取り上げ、それぞれの性格の違いについて語り、そこから一般論に飛躍するようなものだったようだ。

 次は陸軍である。1926年、陸軍軍医の平野林、矢島登美太は、「人血球凝集反応ニ就テ」を『軍医団雑誌』に発表(原来復との関係はこの本には何も書かれていない)。血液型から兵隊としての資質を判定したかったということのようだ。結論は、デュンゲルンら西欧でのものとは逆に、Bが優秀である、ということであった。しかし、中身を見て見ると、統計的には有意とはとても言えないものらしい。
 翌1927年、陸軍一等軍医の中村慶蔵は豊橋の歩兵第18連隊の兵士1037人について調査(結論には言及されていない)。1930年には林真学軍医が『軍医団雑誌』に「血液型ト軍隊成績ニ就テ」、角田真一、永山太郎両軍医は同誌に「血液型ト個人資質トノ関係並ニ第九師団管下ニ於ケル血液型ノ地方的分布ノ概況」を発表。さらに軍医の竹内文次、井上日英、鈴木清、松谷博冶らが論文を発表(タイトルは挙げられていない)。井上は血液型ごとの特質を生かした部隊を編成しようと試みた。が、1931年、柳条湖事件により中止されたとのこと。

 さて、ここでようやく、現代の血液型性格判断ブームに直接つながる教育学者・古川竹二が登場する。この本には年号は書いていないが、1927年の『心理学研究』に「血液型による気質の研究」が掲載。その後の古川の論文についてはあちこちで書かれているので省略するが、一つ重要なのは、1931年に『実業之日本』に「驚くべき新発見-血液型で職業と結婚の適否が分かる」という論説を発表したことだろう。このような俗的な観点が既にこの時期にあったということである。なお、この論説では、古川のレイシズム的部分が表れているらしい(本書では「台湾原住民」の血液型と性格についての古川の言説が一言だけ取り上げられている)。
 もう一つ面白いのは、調査対象となった児童の親から批判が出たことであろう。1928年の東京朝日新聞に、「児童の気質調べに奇怪な血液検査-小石川窪小学校の保護者から厳重な抗議申し込み」という記事が掲載された。批判の理由については本書を見ていただきたいが、一般庶民からの批判もあったということである。

 さて、今回の収穫の一つは、当時古川を賞賛していた学者の一人が古畑種基である、ということである。本書を読むまで気づかなかったのだが、戦後の「古畑鑑定」(血液型鑑定)で各種弾圧に一役買った古畑と同一人物であった。もっとも、賞賛していたのは金沢医科大時代で、東京帝大法医学教室の教授となってからは、批判にまわったそうである。なぜ変わったのかはわからないが、そのあたりの変わり身の早さというか空気の読み方というか、そういうものが「出世」につながったのかもしれない。

 おそらく血液型性格判断を見る視点として、
  1. 能見親子らによる明確なニセ科学としての血液型性格判断
     →現代の流行との直接的つながり、血液型による差別
  2. 優生学との関わり
     →レイシズムを補強する役割
  3. 軍事研究との関わり
     →発想として軍事優先、平和を破壊する風潮を助ける役割
が必要なのだろう(ついでに言えば、鈴木芳正らによる占いと結びついたオカルティックな部分もある)。ついつい1の視点にばかり目が行ってしまうが(そしてそれは眼前の課題でもあるから仕方ないことではあるのだが)、2,3の視点も忘れないようにしておきたい。

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なお、軍部での研究については、大村政男「旧軍部における血液型と性格の研究」(『現代のエスプリ』 vol.324 (1994), pp.77)に詳述されている。私自身が読み込めていないので、ちゃんと理解できていないが…。これによれば、軍部での血液型研究は、輸血法の研究とともに浸透したようである。原来復との関係は明らかではない。

 同誌で大村氏らの座談会「血液型と性格」が掲載されているが、大村氏によれば、原らの研究が古川に伝わったかは定かではない、と言う。むしろ、古畑門下の正木信夫が古川の学説を批判する際に、原・小林論文が引用されるのだそうである。そういうわけで、デュンゲルン-原のラインはそこで途切れたようである。おそらく、原らの研究は忘れられ、その一方で軍医が輸血法の研究の副産物として性格・気質との関係に着目し、進化論や優生学を背景に、古川が研究を開始した、というあたりではなかろうか。

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 『現代のエスプリ』のこの号、在庫切れになっていて古本でしか入手できなかったのですが、増刷するか書籍として出版するかして欲しいですね。多様な視点から考察されていて、貴重な資料だと思います(とは言えまだちゃんと読めてないんですけれども^^;;)。