『バガボンド』24巻:俺も武者修行に行きたい! | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

『バガボンド』24巻 原作 吉川英治 絵 井上雄彦を読んだ。

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『スラムダンク』で有名な井上雄彦さんが、バスケットの後の選んだのは宮本武蔵。宮本武蔵といえば、いろんな人が小説にしているが、国民的歴史作家吉川英治さんの『宮本武蔵』が、一番有名。井上さんは、その吉川武蔵に、真っ向から挑み、新しい武蔵、いや、真の武蔵を描き出すべく、剣ならぬペンで挑んでいる。


私が最初に出会った武蔵は、学生時代で、吉川武蔵だった。ちょうど、NHKで、宮本武蔵のドラマ(武蔵=役所広司、又八=奥田瑛二、お通=小手川祐子、小次郎=中康治、柳生石舟斎=西村晃、細川家の家臣=田村高廣渋い!、本阿弥光悦=石坂浩二これ以上の配役は無い!)を再放送していて、役所武蔵が、あまりにもかっこよかったから。そして何よりも、剣の達人という聖人君子でなく、生きることに不器用な、泥臭い人間だったからだ。(萬屋錦之介武蔵も鬼気迫るものがありかっこいいぞ)


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吉川英治さんや、明治、大正、昭和初期の文人は、漢文の素養があり(江戸時代の名残りの寺子屋の先生みたいなのがまだ、市中にたくさんいたのだろう)文章が簡潔で、歯切れがよい。くどくど、場面説明をしなくても、武蔵の剣の鋭さ、敵との間合い、青春の苦悩、人と人との邂逅、おばばの執念が生き生きと伝わる。そして、いろんな人間がでてくる。野武士に痛めつけられる農民から、唯一の弟子伊織、盗賊や、様々な剣法の達人、その他武蔵をめぐる全ての人が、人生が、生き様が、巌流島に向けて収斂し、そして、決闘後どこへとも無く去る武蔵。ギーコ、ギーコ、ギーコ。日本人なら一度は読め本なのだ!日本男児なら人生の何時かの時点かで武蔵に出会う、その時、どのように武蔵を解するかで、人生の向き合い方が変わるかもしれない。大げさなようだけど、極真空手の大山倍達さんも武蔵で人生を変えた。


この本を読んでいるときは、私はちょうど就職活動中だった。どうでもいいような面接の質問。そして不採用通知。不採用通知が届くたびに、自分を否定されているようで落ち込んで行った。まだ1点差であれ、テストの点で合否を決める大学受験のほうがよっぽど納得がいくが、就職活動は堪えた。そのとき読んだのが、武蔵。武蔵も、関が原の戦いに17歳で宇喜多家の足軽として出征する。しかし、宇喜多家は滅亡。その後、日本に戦はなくなり、仕官(今で言う就職みたいなもの)先の大名を探して、四苦八苦する。何となく自分に似ているようで、いっしょに日本中を己が剣の道を捜しに歩いた。ちょうど『就職戦線異状なし』という映画と主題歌の「どんなときも」が流行っていたけど、それよりなにより、武蔵の剣の響きが、こころの叫びが記憶に残っている。


武蔵の次には、柳生石舟斎と。その次は、柳生兵庫助上泉信綱と剣豪小説をいくつか読んでいった。就職なんかやめて、俺も武者修行に行きたい。と思った。車も新幹線も無い日本は、本当に広かったはず。野宿したって誰も怒らない。会社や社会でなくても、自分の道を究めることは出来る!と、いつも酒を飲んでた友人と武者修行の夢を話していた。(同じ空手サークルに入っており、『空手バカ一代』も読んでたなあ。)


人を切り殺すことが出来る真剣を持って歩くということがどういうことかは、もちろんわからない。殺傷能力があるからこそ、そう、むやみ簡単には剣は抜かない。(江戸時代は時代劇ほどには剣を抜かなかったようだ)ただの腕試しで命を落とすのは意味が無い。しかし、剣の道を究めると誓った武蔵には常に死と隣り合わせ。回りの人間に殺伐とした気を発し続ける猛獣のようにむさしもまたただの野獣だった。


実は、井上雄彦武蔵は、遅々として進まないので、途中で読むのをやめた。しかし、今回久しぶりに買う気になった。なぜか・・・・。


24巻は、一年前、京都の吉岡道場に決闘を挑み、道場主吉岡清十郎を破った武蔵が約束どおり戻ってきて、弟、吉岡伝七郎と戦う場面である。1年間に武蔵が出会った人々、沢庵光悦柳生家の面々の影響で、獲物を探す野獣のような武蔵はいなくなり、ただ、一個の剣の求道者となっている。(広島カープの前田智徳か?)


吉川英治の『宮本武蔵』のあとがきには、226事件の朝、都内主要箇所を占拠した青年将校も武蔵の連載を楽しみにしていて、連載していた朝日新聞の配達員は検問を通したことが書いてある。その時が、まさしく武蔵が吉岡一門と決最後の決闘をする一乗上り松の場面だ。昭和維新を夢見た将校は、その後の武蔵を知ることなく処刑されてしまう。自分たちで新しい時代を切り開くことを熱望したが、人の死(暗殺や殺害)の上に築く、新世界を誰も認めるものはいなかった。25巻、あるいは奇しくも26巻がその場面に当たるかもしれない。


井上武蔵についてはあまり触れていないので、また別の機会。というより、読んでないんだった。まず読まなきゃ。