世界史は嫌いですか? | 元広島ではたらく社長のblog

元広島ではたらく社長のblog

六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

日本中の高校で、必修の世界史の授業を行わず、単位だけをあげようとしていたことが、富山県の高校を皮切りにどんどん発覚している。高校側は、受験に必要な科目を優先するあまり、世界史は受験生の負担になると意図的にはずしていた模様。代替措置として、補習授業を集中的に行って卒業させるという。


私たちが大学を受けるころは、共通一次試験といい、5教科7科目、英語、数学、国語に、理科2つ、社会2つが必要だった。つまり、7科目が受験科目だったので、それ以外は不要であった。しかし、高校の履修と受験は切り離して理解していた。何より、受験科目より、好きな授業は、体育だったし(運動が得意ではなかったが、楽しかった)、美術も楽しかった。倫理の先生は、留学先にドイツで、晩年のハイデッガー(20世紀を代表する哲学者)と話をしたことがあると言っていた。人気の無い授業だったが、私は好きだった。もちろん世界史も。

私は理系だったが、世界史には興味があり、好きだったので、選択したし、する以上は受験も世界史でいい成績が取れるようにがんばった。(当時私が行った高校は世界史は2年、3年が、履修期間であったが、3年次に理系を選択した者は受けられず、日本史をゼロからやらなくてはいけなかった。学校に抗議したが受け入れられなかったという、さびしいこともあったが。)


当時は、「国際化」という言葉が世の中に氾濫しており、大学の学部にも軒並み、国際○○学部、国際▲▲学部というのが出来ていた。(欧米化!ぺしっ!ショック!)そのくせ、受験の負担になると世界史を選択しない高校生、させない学校側がいる、そりゃちょっとおかしいぜ!「国際化」「国際化」って言うんなら、世界史は必修にしろよ!と読売新聞に投書すると、読者欄に掲載され、2000円の謝礼が来た。ぼくの投書がきっかけかどうか、わからないけど、その後、高校では世界史がA、Bと分解され、必修科目になったようだ。今回の問題、俺の投書が遠因かも・・・・。


その後、共通一次試験は、現在のセンター試験になった。今は、5科目。私立大学は、3科目でいいところもある。こうなったら、必要ない科目は勉強しなくていいということになる。最近は、父兄に訴えられる心配から、学校側は、思い切った行動はしない。怪我をするから、運動会はハードな競技を入れない。修学旅行も監視しやすいように、雪山で、スキー合宿、怪我して訴えられないように、放課後運動場で遊んだらいけないとか・・・・同じように、「受験科目以外に時間を割くから、うちの子が、いい大学に入れなかった」と言われるという恐れから、今回のようなことが起こったのかもしれない。(学校休日2日制という制約内で、これまでと同じボリュームの授業をこなすとなると切り捨てるものも出るかもしれない。同じことは一般の会社にも言える。国政は、総労働時間を削減しようとし、統計的にも下がっているように目に映るが、申告しない残業(サービス残業)自宅に持って帰ってまで仕事に追われ個人に負荷が掛かっている状況に似ている。)


「3年B組金八先生」は、東京の桜中学が舞台。都立高校は受験科目が3科目。それ以外の授業を真剣にしない生徒と先生の争い、なんて話が出てくる。もう4半世紀前の問題をいつまでも解決できずにいるんだね日本人は。(いじめ、子どもの日本語能力の低下等、金八先生の扱った問題、するどすぎる。&全然解決できてないジャン日本人!)


kinpati

「こんっばかちんがっ!」


で、答えなんて簡単。

全て受験科目にすればいい。全てを試験にしなくていいから。在学時の成績を併用すればいい。あるいは、受験をなくせばいい。(渡邊美樹さんも言っていた)。高校3年間成績も、生活態度も課外授業も人間性も全て評価すればいい。


「難しい公式や、難解な古文、社会に出て、何も役に立たない」とうそぶく人たちがいるが、本当にそうだろうか?直接役立つかはともかく、いろんな勉強すると、脳みそのいろんな部分を刺激することになると思う。いろんな食材を食べて栄養を吸収するのといっしょで、いろんな科目を勉強することで、脳みそのシナプス!?が絶妙に組み合わさっていくんじゃないかと思う。(根拠ないけど)

なぜかしら、ふとしたことで宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」や、島崎藤村の詩の一節が、思い浮かんだり、「まだ上げ初めし、前髪の・・・」。また、中田英寿の、引退のメッセージ「旅は終わらない」を読んだとき、芭蕉の、「月日は百代の過客にして・・・・」というのを学校で習っていたからこそ。ぐっと理解できたんだと思う。無駄な授業は無い。

私は、恐竜発掘ぶーぶーとかの考古学者とかげにもなりたかったし、数学者にもなりたかったし(当時、有名な数学者広中平祐さんの講演会へ行き握手をしてもらった。そのときは本気で数学者になるつもりだった)、もちろん理系でエンジニアロケットを目指していたし。浪人の時に出会った予備校の講師(天羽さんといった)の影響で一気に国語が好きになり、得意科目にもなった。作家の、宮本輝や、村上春樹に出会ったのもその頃。子どもは、ホットいてもいろんなものに興味を持つ、そしてその分野の偉人、有名人に憧れ、職業にしたいと思い自分ありの将来設計にするはず。今、職業に就くという意識が少ない若い人が多いというのは、こういう画一的なカリキュラムで、興味の芽を摘み取っているんじゃないだろうか?


受験科目に必要かどうか関係なく、その科目の面白さを伝えれる学校、先生が本当は必要じゃないんだろうか?そこに自信を持って、胸を張って、『受験に関係ないけど、面白いんだぜ!世界史!』って言えないところに一番問題があるかも。


このことに対して、TVニュースは、受験シーズン直前の高校生にとって補習授業が負担になると心配しているが、またまた的外れなことを言っている。マスコミも、やっぱり受験第一という思想から、大きく離れることは無いみたい。「やらずに済ましてしまうところだった世界史が勉強できてよかったですね」なんてコメント、小林真央ちゃん言わないかな。mao

でも、今晩は新庄ばっかりだった。ついでに北海道日本ハムファイターズ優勝おめでとう。ついでに、来年こそは広島カープ優勝!