『卒業文集』で凶悪事件を分析するということ | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

北海道で高校生が、友人と母親を殺すという事件がおきた。


NHKのニュースの中で、その動機を探っていた。その材料としたのは、2人の卒業文集、小学校卒業時と、中学卒業時のモノだ。

凶悪な事件、悲惨な事件がおきると、必ず、持ち出されるのが「卒業文集」。殺人者も、高校野球の優勝投手も、みんなみんな「卒業文集」で分析される。いまや、TV番組にとって、欠かせない「分析ツール」となっている。


ニュースの中では、2人が、小学校の卒業文集作成時に、方や、離婚で父と別れ、もう一方は定職に付かずその後、自殺したという父親不在の状況を紹介していた。その状況と、「卒業文集」の言葉、今回の事件の動機を結びつける論理は何も示されないまま、大学の教授の解説で、全てが説明されたかのような放送内容だった。アナウンサーも、「なるほど」といったコメントをしていたが、いったい何が説明されたのかわからなかった。次から次に事件が起きているので、わかった降りでもしないと先に進めないかもしれないけど・・・・・・・・。でも。やっぱり、今、現在の殺人の動機を、4年前の卒業文集で説明するのは、どう考えてもおかしい。


ただ、もっとおかしいのは、この「卒業文集」を使った、犯罪の動機を探る手法、どこのTV局も疑いもなく、おこなっていることだ。


「卒業文集」の中に犯罪の動機が隠されているんだったら、逆に、「卒業文集」を書かして、将来犯罪を犯すかどうかを推測することも可能とでもいうのだろうか?


・・・とここまで書いて思った。「卒業文集」というタイトルで、ミステリー小説が書けそうだ。

「事件の発端は2ヶ月前だった。しかし、その最初の兆しは、4年前の卒業文集の言葉の中にあった。」なんて冒頭の言葉ではじめるかな。


事件を題材に、小説を書こうかというのはもちろん不謹慎なことなんだけど、今のTV報道のなかには、自分たちでは麻痺してわからない「拙い伝え方」がある。結局何も解からないまま、同じ事件が起こるだけなのかもしれない。