巷の八十翁さんからの2回目の投稿です;

国の無謬性を問う:

今回の、原子力発電所事故による周辺住民及び全国民への影響の大きさを考え、本当になにが原因だったのか、これからどうすればよいのか考えると夜も眠れません。

私は、明治政府が先進国から近代国家の在り方について学んだ国の在り方が、幕藩体制と大差なく、国の無謬性を堅持したことが、その後の日本の在り方を導き、さらに戦後に至っても、確かに、エイズ問題、その他、国が被告になる訴訟において誤りをしぶしぶ認めるようになりましたが、原因であると考えます。

国も過ちをする可能性があることを前提にして、謙虚に国民を導くことは出来ないのでしょうか。かって、私の会社のトップから、国のことこ決めるのは結局法学士と文学士だから、理学士や工学士がトヤカク言っても仕方がないと諭され、理学士・工学博士の私は納得せざるを得ませんでした。

原子力技術者の端くれである私は、原子炉の専門家ではなく、核燃料サイクル・再処理技術を確立することを目指して経験したこととして、国が再処理技術が成熟した技術と認めて東海村の再処理工場の操業を認めたのだから、再処理技術のためにする新しい研究開発は認めないと明言し、その結果、再処理技術研究者が日本原子力研究所に居られなくなったことがありました。その後、東海村の再処理工場で燃料溶解槽に漏洩が生じ、専用のロボットを開発して遠隔的に損傷個所を溶接補修して使用に耐えるようになりましたが、国の対応は「形あるものは壊れる、治せてよかった」ということでしが。ある高名な先生が、「これで何時壊れても大丈夫だな」と仰ったことを聞いて、私は、再処理工場において溶解槽以外でも腐食しないステンレス鋼を開発しなければならないと決心しました。私達は、特に軽水炉の燃料を処理する再処理工場でステンレス鋼に腐食が起るのは核分裂生成物として存在するルテニウムが原因ではないかと思いましたが、再処理技術では先輩の会社の人から「ルテニウムは業界のタブーだ」と注意され、私は首を覚悟しました。良心的で勇気があり、国が無視できなかった一人の大学教授が国に忠告してくださり、私達は再処理工場で使えるステンレス鋼を開発することが許され、成功しました。東海の再処理工場を建設した当事者であるフランスは、溶解槽の事故を受けて、六ヶ所村の再処理工場を含めてその後の再処理工場では高価だけれども硝酸には絶対に腐食しないジルコニウムを使うことにしました。

これは、ほんの一例で、もっと致命的な問題についても同様のことがあったと想像するのにやぶさかではありません。メーカーの原子炉担当者も同じ経験をしているに違いありません。我が国の原子力の安全は、安全審査に関わられた大多数の先生方ではなく、少数の見識ある先生の勇気に依存していたのではないでしょうか。

私は、国の決定も、それを容認する先生方の答申も徒に「無謬性」に固執して権威を保持するのではなく、肩書きが大切で国の路線を追認するだけでなく、間違いがあれば潔く身を引く覚悟で答申するシステムを作るべきであると考えます。原子力先進国であるフランスなどにお手本がないものでしょうか。

血清剤エイズ訴訟では、国だけでなく、答申した有識者の責任が問われました。恐らく、福島一号原発の事故についても責任を問う訴訟が争われ、国の責任は、想定外の事象であるとして、免責が主張されるのでしょう。しかし、私は、想定する最大仮想事象を答申した安全審査メンバーが考えられるあらゆる可能性に照らして義務を全うしたかどかの責任を問うべきであると考えます。安全審査委員であることが名誉な肩書きではなく、責任の重さと恐ろしさに、委員になり手がなくなるようにならなければ原子力の安全は担保できないと認識すべきです。だれも良心的に安全審査委員になれなければ、反原発運動家の方の思う壺で、安全なものが出来ないなら国民はもって瞑すべきで、耐乏生活を忍ぶしかないではありませんか。

私は、先にフランスの使用済燃料再処理工場における最大仮想事故が日本と異なり、今回のような非常用電源喪失事故と、引き続く放射性物質の大量拡散とされていたことを指摘しました。福島第一、1号機が計画された1960年代に、米国内で軽水炉の安全性について疑義を持った国立研究所の所長が、軽水炉産業を国の基幹とするニクソン政権によって罷免されるということがありました。その所長が、トリウム溶融塩原子炉を発明、開発した責任者であったことから国益に反する反逆者の汚名を着せられました。そのような環境の中で、日本には為すすべがなかったのは事実でしょう。しかし、最近になって、3号機にMOXを装荷するための変更申請を検討する機会があり、真剣に考えていれば、上記のフランスの事例を参考にできる可能性はありましたが、プルサーマルを国是とする方針に流されて及びませんでした。これは、怠慢と云われても仕方がありません。

最近、日本の原子力を担ったと自負される専門家が集まって国の方針に物申す動きがあり、主導者三人のお一人だけが過去に判断を誤ったと国民に陳謝されました。他のお二人はご自分には係わりないとお考えのようです。私は、過去に日本の原子力を担ったと自負される専門家が全て反省した上でなければ、そのような人の提言は身勝手で、責任逃れ、売名行為としか映りません。唯でさえ、頼りない現在の政府の足を引っ張ったらどうなるのでしょうか。自称専門家が小田原評定している間に事態はもっと悪くなります。無責任な外野がガヤガヤ云わなければ、政府も少しは有益な情報に耳を貸す余裕ができるのではないでしょうか。

皆さまのご意見を頂ければ、余震酔いに悩まされている私も少し眠れる気がします。

巷の八十翁