中華のおかず | 薔薇とバラード

薔薇とバラード

大人ピアノ、50歳過ぎてから教室へ通い始めました。18年程教室に通いました。モーツァルトからはじめてショパンを練習中。気がつけば古希になっていました。
緑内障、白内障の治療中。
バラを育てています。
犬と猫飼っています。どうぞよろしくお願いします。

娘がいなくなって、何年がたつだろうか?いなくなったといっても、同じ屋根の下にいなくなっただけで、元気に別の場所で生きてはいるのだが....。

あらためて、会う回数が、もう年に数回か、そのうちは片手で数えるほど(?)になるのかと思うと、ちょっと寂しい。娘がまだよちよち歩きだったころ、私は車の運転免許がないので自転車で近くのスーパーまで行ったものだったが、横浜は坂が多くて、その上開発してないような場所だったので(当時は)半時間ほどかかったし、往復で小一時間くらいしただろうか?

毎日の食卓に変化をつけたくて、スーパーで買った小さな料理の本、本というよりは冊子みたいだったが、けっこう調味料を揃えなければつくれそうにないような高度なものだったので、いつしか断念していた。定番の酢豚とかチンジャオロウスウなんかは作ったけど、あと、肉団子とか?

その後いろんなごたごたがあって、家を変ったり、仕事をしたりして、またこちらに戻るまで5年ほどブランクがあったので、その本のことも忘れていたけど、十数年前かなり古本を処分したのになぜか捨てられなくて、それは結婚してはじめて買った安価な料理のほんだったからかもしれない。

 当時を思い出すことができる魔法の小道具というわけだ。
そして、なかなかできなかった中華料理、初心者向け、中華の家庭料理みたいなのを、最近コツコツと作って見ている。
ちゃんと、読んで作れば、材料を揃えて手順を整えて....だれにだってできる。

でも、あの頃は娘との会話をしたり、いろいろ忙しくて、新米ママだったから作れなかったのね。あれもこれも...つくりたかったけれど、いつも同じメニューで、努力もしなくて、中学校のお弁当も高校の時もワンパターンで、お友達からいろいろいわれていたみたい。
「緑が足りないよ」とか。
娘に関しては会話もなくなったり、娘の文房具に友達かだれかわからないけどひどい言葉をマーカーで落書きされていたり、....でも私は何もしてやれなかった。娘がまだ2、3歳の頃、近くの公園で知らない男のコかた砂をかけられても怒ることすらできなかった。

あの頃も、私の十代の頃の、あるいはその後の人生ずっと、自分が本当には生きてないような感じがしていたし、それはたぶん、小さい頃から自分で決められないで、周囲の思惑を読んで決めていたから、いつしか自分がなくなっていたのだ。

ただ、なにをしても周囲から「駄目な嫁だ」とか「母親としての資格がない」とかしゅうとめとかしゅうと、隣人である姑の親戚からいわれていたので、すっかり病んでしまっていたし、実家に言っても相手の親の気持ちがわかるなどといって、短気な父親から殴られる始末。

 つまり、変わり者の醜いアヒルの子が大人になってもそのまま醜いだけだった....だれも理解しがたいようなひとと思われていた。

あまりに受け入れられない....内向的な、内省的な性格。読書が好きで、ピアノを弾いているような、そんな大人にふさわしくないようなひとだったから。

そんなことを思い出しながら、それでも今はわたしは本当にやりたかったことをやっているし、やってきたのだという自信がある。

パッチワークキルトやピアノ....。小説や詩やエッセイを書くことなど......。

言葉は偽りのものでも、知らない人がきけば、その人を疑うより言葉を疑うはずがない。
つまり、そういうふうに悪意を持って、自分の可愛い息子をとっていった憎き嫁に対する仕打ち、それともその姑がそう母親に言われて来たので、そういう言葉を言うしか思いつかなかったのかもしれないと今では推察する。

「そんな言葉聞逃しなさい」誰かがそういってくれるのを待っていた。

最近も隣人から執拗に「庭の木の葉が自分の家の庭に舞って来て困る」といわれたけど、どうにもできないことでしょう。木はある程度切ったけれども、全部の木を切るわけにはいかないし、強風を吹かせないわけにはいかないもの。

それからたまにしか吠えないけど犬のことだって、うるさいといってくる。

そのお爺さんは朝から晩までこちらが聞いているとずっと愚痴の連続だ。

こちらだって、早朝からやってるゴルフの音、芝刈り機の音、絶え間なく聞こえる低い独り言や、音量の大きなラジオの音....なんかも耳障りだけどそういうこといったことないし。道路を箒で引っ掻くその大きな音だって、何年か前に建て直しをしたときの工事の騒音だってたまらないほどだったけど一度だって文句をいったことなんかないのに。

偶然しりあった犬好きなご婦人に、「なかなか家から出られなくて、それというのも隣人が待ちかまえていて文句をいうために道にいるので怖くて」というと「そんな言葉、聞逃しなさい」といわれた。

話をもとにもどすと、わたし、今晩は昼間から台所に立って、用意してこの娘に食べさせたかった料理をつくったのです。

彼女はいないけど夫が黙ってたべてくれました。

いつもTVのほうに目が行っていて何を食べているか自覚してないようなひとで、話しかけても「ああ」とか無言で、「いま、TVみてるんだから、ちょっとだまっててよ」という。いまだけじゃなくて、話なんかしたくないってひとで、たしかに、話してもつうじないからわたしももう諦めていた。

夫ばかりじゃなくて、わたしの両親だっていつも忙しくて、それだけじゃなくて、私の知る限りの人は皆、私の話なんかききたくもないのだ。

 そういつしか思い込んでいたし、それは確かだと思う。

娘は思いやりのあるひとに育ってくれて、同じように話すことを大切にするひとと一緒になってくれてよかった。

わたしももうすこしおとなになっていたら、周囲の人の言葉を聞逃していたら、もっとちゃんとやれたかもしれない。

皆、忙しすぎるんだね。

黙って食べてくれるだけでも感謝しなければね。うちの両親は「挨拶をしろ」とうるさくて、「いただきます」「ごちそうさま」はふつうでしたが、夫は「おはよう」もそれもしない。「ありがとう」これも夫の家族の口からでたことがない。私が挨拶をすると「うるさい」とか「いいかげんにしろ」とどなられた。

中華のおかず

つくってみました。

セロリのいためもの、にら玉スープ、白身魚のあんかけ野菜
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