ブログ「心のままに…」のタイトル「お父様の聖和の真実 」を読んで、コメントしました。

あれから、

>弱い肺で呼吸さえまともにできない状態なので、力をつけていただこうと、お粥をさしあげました。ところがソウルの大きな病院に行く途中、食べられたそのお粥が、咳をされることにより逆流し、気道に入ってしまい肺炎だった肺に突然異物が入り、非常に危険な状態になってしまいました。

という内容を書かれているという「参考資料-神様の摂理と真の父母様のレガシーを守る為の摂理的葛藤に対する 真の視覚と理解 総合版(下)」を調べてみても、その文章は見つけられませんでした。

以前、私が書いた投稿「お父様は聖和されたのか、させられたのか?」で、8月20日の文亨進世界会長による文先生のご容態報告には

「 その日、お父様は横になっても不自由そうでした。
横になると肺が小さくなるので、呼吸が難しくなるのです。
それで、横になることもできず、座ったままで過ごされました。」

「摂理的葛藤に対する真の視角と理解 」第3章 事件と真実、4)石竣昊会長の公文と文亨進会長の説教により明らかになった問題に

「真のお父様は、肺炎とひどい風邪によって、酸素の供給を受けなければならないほど健康状態が悪く、栄養剤の注射により体力を維持しなければならないほど大変だった。このような治療を受けられてから、わずか10日後、突然、退院されることになった。

「真のお父様の退院決定は無謀であった。どのような状況でも、医師や保護者は、真のお父様の退院を許可してはならなかった。患者の状態を知らないわけでもないのに、どんなことをしてでも防ぐべきだった。酸素マスクと栄養剤の注射、そして、様々な薬を使っても、咳も止まらない患者を退院させたのは、あまりにも軽率な判断に違いなかった。さらに、数十年間も発見できなかった鉱夫の肺のような塵肺症を、遅くながら診察を通して知ったのなら、さらに深刻な状況ではなかったのか。何一つ治療されていない状態で、患者の訴えで退院を許可したとは、とても残念である。」

と書かれていました。

私は、その文章を読んで、基本的疑問を持ちました。
なぜ、そのような状態であったお父様を退院させてしまったのかは、妻であるお母様の責任と担当医師の責任は追及されるべきであると思いますが、
問題なのは、退院されたお父様に付き添いの医師及び、看護士をつけていた様子がないということです。

退院させたこと自体、異常であるにも関らず、深刻なお父様に対して、お母様や取り巻きの素人の方たちがお父様を面倒を見ようとされたのか。

真のお父様の価値を考えれば、また、基元節前の状況を考えれば、財力のある立場なのに、もしもの状況に対処されるべき医師や看護士の帯同は、必須的条件ではなかったのではないかと思われます。

なぜ、そのことをされなかったのか、それは、それまでのお母様や、金孝南氏に対する叱責が続いていたこと、顯進様を教会に戻すことへの拒否反応を持った、ご子女様や側近の幹部達の心の中に、「真のお父様」の排斥しようという心理が強く働いていたのではないかと思われます。

つまり、お父様を退院させた時点に、お父様のご存命の為の対応策をとらなかったことが、お父様を霊界に送ってしまおうという動機と目的が、その時点において存在していたということです。

私は、ブログ「心のままに…」のブログ主さんに、

「重症の肺炎患者に、専門知識と経験の無い素人が、お粥を食べさせる食事介助をすること自体、とても危険な行為であると言う認識が、傍にいたであろう医師や看護士には十分にわかっていたのではないかと思いますが、
普通では、栄養剤の入った点滴をするのが常識であると思われますが、
そうしなかった事には、理由があったと思われます。
そのことは、医師には十分に想像できることであったと思います。
医師は、そのOOO様の行動の動機に殺意があることに気がついていたはずです。

92歳の重症の肺炎患者を死亡させることは簡単であり、OOO様にとっては、千代一隅のチャンスと思ったのではないでしょうか」

というコメントを書きました。

92歳の公的な場で、叱責されてきたお母様、金孝南氏や側近の幹部の方たちにとって、92歳の意味不明の御言葉を語り始め、事あるごとに、叱責されるお父様を切り捨て、お父様から解放され、お母様、金孝南氏を中心とした自分のやりたい教会運営を目指す、決断をされたのではないかと思われます。

92歳の老人が肺炎になって他界することはよくあることです。

いわゆる病死ということです。

しかし、そこに至る内容を知れば知るほど、「病死させられた疑惑」が強く浮かび上がってきます。

お父様の御聖和に対する調査委員会も発足されずに、真のお母様は「中断なき前進!」を宣言して、
知れれてはいけない真実から信徒の目をそらすように、現実を知ることをさえぎり、「中断なき前進!」という現実からの逃亡を図ったと私は思っています。

真の父母は、お父様を霊界に送ったことで、完全に破綻してしまいました。
御聖和する時は、御父母様は別居状態だったと聞きました。

私が主張してきたように、もう、20数年前に、真の父母の夫婦関係はほころびが生じていたのです。

多くの信徒が、昔の勝利された真の父母にしがみついていますが、その勝利された真の父母は、もうどこにもいないということを私は、毎日、祈る中で思わされます。

真の父母は不在という全く予期していなかった時代に入ってしまいました。

神様は、初代真の父母が残したご子女様より、新しい真の父母を立てられる摂理を進めざるを得ません。

2012年、8月21日、教会の日本人姉妹が韓国人の夫を殺害した事件は、お父様がソウル聖母病院で危篤状態のとき起きました。「エバがアダムを殺害した日」という投稿をしています。

真の母が真の父を霊界に送ったのであるのであるならば、ペンテコステは起きるはずもなく、神様は離れざるを得ません。「聖霊の実体」として存在していた「真の母」から「聖霊」はお母様から離れ神様の下に帰りましたので、「天の父」という呼び名が「天の父母(天の父と「母である聖霊」)」という呼び名に代わってしまったのです。(それだけの理由ではありませんが)。




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