占星術の仕事をしていると、ある感覚につながります。

 



私は、20代の頃に結婚式場でコスチュームコーディネーターの仕事をしていました。

人の記憶に残る衣服の仕事がしたい

そう思って新卒で、地元にある結婚式場に就職しました。

私が働いていた会社は、イタリアからウェディングドレスの輸入もしている会社で、当時は自社で輸入したインポートのドレスに力を入れていました。

そちらのインポートドレスは、上質な素材を使用していてシンプルなデザインのものばかりでした。


日本製のものは、ボリュームがあるデザインだったり、ドレス自体にお花やフリルなどの装飾がたくさん施されていたりと分かりやすいものが多いのですが、

海外のドレスは、お色直しの習慣がなく、自分で買ったドレスをきて一日中パーティーをしたりして、動き回れるようなカジュアルで素材感が美しい感じのものが多いのです。

そのため、ハンガーにかかっていても、一見シンプルであまり目立ちません。

だからこそ、そこでは、あえて、こちらから似合うものを提案するスタイルをとっていました。

シンプルなドレスは、アクセサリーや小物やヘアースタイルなどコーディネート次第で、着る人の本質的な美しさを引き出してくれるのです。

扉をあけた瞬間にドレスに目がいくのではなく、お嫁さんに目を奪われるような、着る人の美しさを引き立てるドレス選びとコーディネートを提案したい


そういう所に仕事の面白さを感じていました。

 





私は、その仕事が本当に心から好きでした。

家に帰ってからも、ずっとお客様のことを考えていたり、お休みの日も本屋さんにいってウェディングのコーディネートの本を眺めたり、ときには、東京までいって、ドレスショップをまわったりして、コーディネートを研究したりしていました。

 


そして、お客さんと話をしたり関わりを持つ中で、人が持つそれぞれの個性にふれ、お客さんのことを知ることが好きでした。


家に帰って、お風呂に入っているときに、その日にお客さんと話した会話とかを思い出して、それぞれの人ことをよく考えていました。

 

 

私の内面的な興味と、この仕事はとても合っていたと思います。



しかし、時が経つにつれてさまざまなものが変化していきました。

次第に、会社の規模も大きくなっていって、どんどんとお客様が増えていました。

それに伴い担当させていただく、お客様もどんどんと増えていきました。

 

そうなると、抱えているお客様の数が多すぎて、仕事をただこなすで精一杯になってしまいました。

 

心を扱う仕事でもあるのに、「こなす」という言葉が当てはまるようになってしまっていることに違和感を感じ始めました。

しかし私は、企業の中で、定めされた方針に従い、お客様を受ける以外に方法はなく、精神的にもかなりストレスフルになっていて、やがては心の器が突き破れていきました。



心が通う結婚式を創ることが喜びでもあるのに、いつしか心を失いました。

 

 

結婚式は心を扱う仕事でもあるのに、利益とか集客とかそういったことに取って代わっていくことが凄く切なかったです。

 

そうやっている中で、仕事の中で失敗もたくさんあったし、自分自身が怒りっぽくなったり、不満ばかりを口にしたり、傲慢な面も出てきたりして、自分のことも好きになれなくなり、自信も失いました。

 

そうなると、私生活も満たされない部分がでてきて、行き場がない状況になり何度も悩みました。



やがて私は全てに限界を感じ、いっそ地元を離れて東京にいこうと思い、その仕事を辞めて、東京に引っ越しました。

 

 

今になって振り返ると、働いた6年近くの歳月の中で、何百組ものお客様の人生の節目を飾る機会に触れさせて頂きました。

 

職場では良い仲間にたくさん恵まれて、今でもたまにその時の仲間にあうと温かい気持ちになります。

 

辛かったこともたくさんあったけど、それにも勝る嬉しかったことや楽しかったことがたくさん、たくさんありました。

 

あの時の体験は、まさに生涯の財産だと思っています。

 

 

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