That was who we are | Saor Eire! Saor Okinawa! weapons don't kill,PRAY FOR GAZA!!

That was who we are



え~、60年代後半にですね、新しい価値観を希求する若者たちがベトナム反戦運動やら既存の社会への反抗やらそれに紛れて共産主義者が世界同時革命を画策するやらのやりたい放題のムーヴメントが「サマー・オブ・ラブ」と称して

アメリカ(厳密に言うと震源地はサンフランシスコ)で


起こります。

ちなみにこの頃はてなブロガー連中やらテレ東信者やらが礼賛する国 UK(笑 ではそんなムーヴメントはピクリとも起きませんでして(ローリング・ストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」参照)これが保守反動主義者が UK(笑 を礼賛する最大の理由になっておりますな。

ちなみにアメリカ以外でもフランスとそれにつられる形でドイツでも大規模な学生運動が起きておりまして「サマー・オブ・ラブ(ではないけどね、実際は)」の火は欧米で燃え盛っておったのです。

さて、震源地となったサンフランシスコという街ですがここはチャイナタウンでも有名ですが昔ゴールドラッシュがあってドイツからイパーイ移民がやって来た所なのですね。もちろん理由はあとで話ますがドイツにイパーイ住んでたユダヤ系やその他大陸系ヨーロッパ人やクリント・イーストウッドみたいなアイリッシュ系の人たちもイパーイ住んでますが。

以上のようにこの60年代に社会改革を望んだ若者たちのほとんどがアメリカであれフランスであれ

アングロサクソン系がほとんどいない

という絶対的に否定できない事実があるわけなんです。



さて、この「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるこの時代のムーブメントは一般には「サイケ・フラワー・ムーブメント」と言われてまして、「サイケって何?」と言われると「妄想と現実が混然一体となったような様」と僕なんかは答えますがこれはギリシャ神話に出てくる愛の神エロスが作った脳内彼女の名前でしてそれを(神様なんで)実際に作り上げる、つまり頭の中にある理想を実現する思想なんですな。そんで、フラワーとつながるんでお花畑に囲まれてるような幸せな夢想を現実にしよう、という思想やと思うとわかりやすいです。

ちなみにこの「サイケ・フラワー・ムーブメント」がネトウヨがよく使う「脳内お花畑」という言葉のルーツですんで、これを使う人たちが「反ヒッピー」の思想にかられていることが非常によく伺えます。

んで、このサイケと言われて一般人がイメージする七色のグジャグジャの色彩なんですが

あれ考えたのはユダヤ人です、間違いありません。

というのもイスラエル(と、インド)の映画で大概このサイケな色彩感覚を多様してシュールになってる映像やたら見ますもん。

さて、ここで前回僕が「ドイツのラブ・パレードがヒッピーカルチャーやサマー・オブ・ラブの正統派」と書いといて、その後しばらく何も書かなかった理由わかりました?

「ユダヤ人を大量虐殺したドイツ人が作ったラブ・パレードがヒッピーやサマー・オブ・ラブの正統派なわけないじゃないか!」みたいなこと書いてくる馬鹿が出てくるのを待っとったんですわ(笑

ラブ・パレードが最初に開催されたベルリンというところですがここはその昔(アート系の)ユダヤ人の聖地でしてベルリンの(報道はされないけどヨーロッパのアングラカルチャーの中心です)文化芸術面を支えて著名人いいますのが多くはユダヤ系、あるいわユダヤ人にパトロナイズされた人たちということらしいんです。

だからデビッド・ボウイもイギー・ポップもルー・リードも(ボブ・ディランだけ欠席)ベルリンに巡礼に逝くわけですよ、ロッキン・オンばっかり読んでてもこういう事情はわかんないでしょ?(笑


さて、最初に書いたようにアングロサクソン系の人たちだけが60年代に起こったサマー・オブ・ラブと呼ばれる革新的ムーヴメントに出遅れてしまうわけですが、最後にこの理由を書いておきましょう。

ヨーロッパの近世以降の思想史におきまして、キリスト教の振興宗派やら急進的な哲学・イデオロギーなどが起きますと、この手のムーブメントの賛同者は国外追放されることがあるのですが、この国外追放をどこよりも禿げしく行ったのが テレ東と日経新聞が日本よりも大好きな(笑 大英帝国なんですよ。(このイギリスからパージされた連中の一番代表例がアメリカ合衆国(笑 )んで、こういう人たちを保護するのがユダヤ人の役目ですんで誰よりも伝統を重んじるはずのユダヤ人たちが革新思想に染まっちゃったんだね。

んで、革新的な(そして有能な)人たちを多く失ったイギリスではそういう思想哲学の代わりに神秘主義(ここではユダヤ教のそれではない)というかオカルトが流行り出して一番代表的なのが北イングランド発祥のアレイスター・クロウリーによる「黄金の夜明け」教(笑



さて、これでラブパレードがヒッピーやサイケ・フラワー・ムーヴメント、サマー・オブ・ラブの正統派(僕個人はこういう言葉が大嫌いですが、これに反対する意見を言う手合に対抗するためあえて使います)という僕の発言にも数百年にも及ぶ歴史に裏付けされた根拠があることがおわかりになられるかと思います。(BBCのドキュメンタリーなんか目じゃないぜ)

まぁ、ここまで書いといてアレですがルーツ的にみたら違うけど実際はUKのヒッピーもサンフランシスコやベルリンの連中もなんか似たりよったりなんすよね(笑

んでは、この二つの決定的な違いを次回でお話します。今回は時間軸が1969年までですが次回は1969年以降です。