一隅(いちぐう)を照らす! | ∵ イ ッ セ イ イ ズ ム ∴

一隅(いちぐう)を照らす!

∵ イ ッ セ イ イ ズ ム ∴
先日の日曜日、所属するJIDAの文化見学会のイベントで佐川美術館に行ってきました。

メインは樂吉左衞門館の茶室で、今回またいろいろと勉強させていただきました。
日本人なのに日本の知らない部分ってまだまだたくさんあります。
また、ここにある「もてなしの心」は日本人にしかない感性、感覚かも知れません。

茶室見学会のあとは、同館で開催されていた平山郁夫展へ。
ここで、平和への祈り-サラエボ戦跡-の絵の前で、身の引き締まる思いをしました。

-平山郁夫先生が国連の平和親善大使としてボスニアを訪問されたときのこと。-

激しい戦闘が繰りひろげられた広場でスケッチをしていると、まわりにいつの間にか子どもたちが集まってきました。こんな戦禍にあっても、子どもたちの表情は意外に明るく、純真な澄んだ目が、将来の明るさと希望を抱かせてくれるようでした。

-「戦争の苦しみから生まれる芸術は、泥沼に咲く蓮の花だ。」と、広島で被爆した平山先生は、戦後この言葉をずっと心に抱いてこられました。-

蓮の花は、泥沼の中から生まれて咲く清純無垢な花です。真っ白い大輪の花びらが、天に向かって手をいっぱいに広げるようにそのエネルギーを受けとめます。

-平山先生はサラエボで出会った子どもたちに、泥沼に咲く蓮の花の姿を求め、この戦場となった地獄から、すくすくと新しい芽を出してほしいと、子どもたちの未来を願われたのです。-

「サラエボは、画家としての私に、どんな境遇や環境にあろうと、平和を祈る作品を描き続けなければならない、と改めて覚悟させた。画家にとって、感動することがいかに大事であるかを再認識した。」

「苦しみを持っているからこそ、美しい芸術を生み出せるはずだ。それこそ本物の芸術なのだ。ただ、恨みつらみをそのまま描くのではなく、もっと浄化して形にすることが、死者を本当に生かす道ではないのか。恨みからは、新たな憎しみは生まれても、新しい創造は生まれないのだ。」(抜粋)と。

この一ヶ月間、何もできない自分の無力さを痛感していましたが、この絵を観て、今自分のいる立場で精一杯努力して、小さいながらも自分にできることで周りを照らすことが自分の役割だと諭された気がしました。

サラエボで心をうたれた平山郁夫先生が描かれた-サラエボ戦跡-の絵の根幹にあるものは、まさに今のニッポンだと直感しましたし、同時に、それぞれの置かれた立場でそれぞれが輝いて周りを照らすことが自然とできれば、“輝く国ニッポン”になれると感じました。

まず、ボクにできることとしてこれからは、自分の関わる業界、周りを輝かせることに力を尽くしてゆきたいと思います。

issei