「突然の死!親父が他界した・・・」
問題は、
その心の空洞をどう埋めるかということではない。
問題は、
その渇望を抱えながら、どう生きるかなんだよ
『人生という名の手紙』ダニエル・ゴットリーブ(著)
翌日の葬儀はオレと妻の2人だけでひっそりと執り行った。それから今日まで親父の部屋(3DK)を妻と2人で片づけていた・・・。自由日誌に、オレと妹に宛てた、こんなメモが挟んであった。今から2年前に綴ったものだった。
その渇望を抱えながら、どう生きるかなんだよ
『人生という名の手紙』ダニエル・ゴットリーブ(著)
8/18(月)の夕方、オフィスに突然の電話が入った。
「あなた、中村義久さんの息子さん?伸一さんだよね?あなたの本を読んでるから会社の電話番号を知っていたんだけど・・・お父さん、亡くなったよ!今、警察も救急車も来ていて大騒ぎになってるから、お父さんの自宅に電話してごらん!」
親父の近所に住む床屋さんからだった。
留守電に吹き込む
「息子の伸一です。どなたか状況のわかる方、電話ください!会社の電話番号は03-3353-4455。私の携帯番号は・・・」
折り返しすぐに愛知県春日井市警察から電話が入った。
「大至急、こちらに来て身元確認をお願いします・・・」
オレは着の身着のまま新幹線に乗った。
22:00春日井市警察署に到着。
すぐに葬祭所の霊安室へ。変わり果てた親父の姿がそこにあった。
「ゴメン!親父」
涙が頬をつたった・・・。
「この暑さだからねぇ」と警察官。
警察の調書は01:00amまでかかった。
親父は母と別れて20年以上、この春日井市のアパートで一人暮らしを続けていた。メルマガ
を印刷して送ると、毎月のように電話があった。ちょうど先々週も話したばかりだった・・・。
大家さんと一緒に部屋に入ると、テーブルには16日(土)の朝刊が置かれ、日めくりカレンダーは8/16(土)のままだった。いつものように16日(土)はアルバイトに出かけ、17日(日)18日(月)と無断欠勤をしたことのない親父がこない・・・。不審に思った店長が店員に部屋を訪ねるように指示。
そこで発見されたのだ。警察によると、争った形跡や外傷もなく通院の記録もない。検死官の診断でも目立った病気、病因もないようだ。苦しんだ様子も見られない。眠るように死んでいったのだろう。変色はしていたが穏やかな表情だった。
2年前のオレのデビュー作『感動を売る!』
を読んだ親父が、
「年金暮らしで何もしていなかったけど、お前の本を読んだら、生涯現役で働くのも俺に合った生き方かもしれないと思ってね」
73歳の親父が居酒屋の洗い場で、みんなを笑わせながら、時給850円で楽しく仕事をしていた・・・。
それが、今回の早期発見につながったのだ。
不動産会社を経営したり、ガス会社の取締役をやっていた親父。還暦を過ぎても、中部大学の警備員の仕事もしていた・・・。オヤジは死ぬまで「今」を生きていた。

翌日の葬儀はオレと妻の2人だけでひっそりと執り行った。それから今日まで親父の部屋(3DK)を妻と2人で片づけていた・・・。自由日誌に、オレと妹に宛てた、こんなメモが挟んであった。今から2年前に綴ったものだった。
伸一と悦子へ
本は財産だ!
孫たちのために買いこんだ。
「お父さんが幼い頃、こういった本が家にあったらなあ」
と思った本を買い求め、還暦を過ぎてから少しずつ集めたものです。
今、71歳だが、71歳-60歳=11歳。
自分にそういいきかせ、勉強のやり直しのつもりで読んでいる。
いつまで生命があるかは判らないが「今を生きる」而今(ジコン※)
の心境です。
の心境です。
知識と智恵、そして行動、胆力をつけよ
父
※而今(ジコン)
過去を悔やまず、未来を懼れず、ただ今を生きる禅の言葉
ちょうど明日、8/23(土)で74歳になるはずだった親父・・・。
高校時代、親父をぶん殴ってしまったくらい仲の悪かった親子だったけど・・・何だか最後は、こうなるんじゃないかなって思っていたよ。今回、多くのことを学んだ。親父が何を大切に生きていたかが、よくわかったよ。
ありがとう、親父。
青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ
勇気に満ちて
日々新たな活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである
松下幸之助「若さに贈る」より