【感情は自己責任3】感情への対応:後編 | Spiritual Dreaming ★ スピリチュアル ドリーミング

【感情は自己責任3】感情への対応:後編

今回は感情への対応の前提(5)〜(7)である。

 

(5)攻撃は良い結果をもたらさない。

 

自分が感じ取った感情に対応するために他者に助けを求めるのは構わないが、それで感情が解決できなかったとしても他者を攻撃するしか選択肢がないわけではない。多くの人は無意識的に攻撃の選択を行うかもしれないが、その選択はあまり良い結果を生み出さない。

 

攻撃機制には、怖い言葉や暴力のような直接的な攻撃の他に、無視する、にらむ、ため息をつく、泣く、わざと大きな音を立てるなどの受動的な攻撃というのもあるのを知っておいた方が良い。受動的な攻撃も相手に不快感を与える攻撃なのだ。あなたは自分の不快感を周りの人々に広げて強化したいのだろうか、それとも不快という体験そのものを解決したいのだろうか。

 

感情への対応は攻撃以外にもあり、そのことを知らないというのは残念だが、それも自己責任である。正直に打ち明ける、どうしたら良いか聞く、協力してもらうなど、攻撃ではない解決を考えて選択することもできるのだ。

 

周りの人も、感情への対応を知らない人を見かけた時に、自分に何ができるかを考えるという選択もできる。しかし、その人と組んで何かを誰かを攻撃するというのは当然攻撃となる。暖かく見守ってその人に対する自分の感情を自分で扱うというのは自分の責任となる。

 

小さな子どもでも、泣いた時に親や周囲の他者に「静かにしなさい」と注意されることはあり、そのことそのものが「感じた感情の責任を取りなさい」ということを表している。感情への対応を自分で取れということだからだ。

 

赤ちゃんに対して「静かにしなさい」と言われても赤ちゃんはその言葉を理解することはできないので、赤ちゃんは責任を取ることはできないように見えるが、親がその場から赤ちゃんを連れて外に出るということが起これば、赤ちゃんは外に出たという体験をする。その体験は自分が泣いた結果であることが理解できなくてもそうなったということで、赤ちゃんはその体験によって責任をとったということになる。

 

原因があれば結果がある、これは赤ちゃんにだって仕方がないことである。仕方がないから攻撃するという選択は赤ちゃんにはないだろうが、あったとしても攻撃と認められない利点はあるだろう。しかし、赤ちゃんが攻撃機制を発動するくらい不快な出来事が起きたなら、そのネガティブな体験は赤ちゃんの脳に大きな傷を残すということが近年の研究でもわかっているので残念なことではある。

 

大人になれば意識的に責任を取ることが可能となるので、ここが赤ちゃんと大人の違いである。意識的な選択が可能であるのに、攻撃したというのであれば、その結果を体験するのはその人の仕方がない責任である。攻撃は他者への迷惑行為となるため、結果として自分も周囲も不快感を強化してしまう。

 

なので、受動的攻撃のような法律に違反していない方法で攻撃すればあなたは罪に問われることはないだろうし、相手の罪を主張して法的に相手を攻撃することもできるだろうが、その結果生じる状況の体験というのは自分にとってあまり好ましいものではないだろう。これでは自分が自分を大切にしていないことになる。

 

攻撃を選択しないというのは、相手のためというよりも自分を大切にするためである。

 

(6)自分の感情に対応するのは自己責任である。

 

対応しないで抑圧する選択も自分にある。しかし、それを他者に転嫁することはできない。結果があるなら原因はあり、結果を体験したのには何らかの原因がある。知覚してしまった体験からは逃げられないが、知覚した時に対策は取れる。そこに自由意志があり、責任がある。

 

感情を抑圧して感じないように努力することはできても、感情体験を消し去るには、それを生み出しているシステムを変えない限りどうしようもない。

 

抑圧した感情はストレスであり、解消されない限りストレスは強くなり、やがて心と体に影響を及ぼす。その時、私の心と体が疲弊したのは誰かのせいだとは言えない。

 

抑圧する前に知覚し、自分の感情を引き受け、それを解決しようと努力することが自分が自分の心と体にできることであり、そこに自由意志がある。これが「責任を取る」ということである。

 

(7)感情と認知の仕組みを学んで対応するのは自分の責任である。

 

団体・組織が学びの機会を与えてくれるのは思いやりであり、感謝しかない。学校で感情への対応について学べないからと言って、日本の教育が悪いと決めつけて攻撃したら大人ではない。

 

確かに、感情が生じるメカニズムや、それに対応する方法、責任についての授業が早い段階からあったなら、それは子ども達にとって救いになるだろうが、それは今後の期待であり他者のことである。自分は自分の感情にしか責任が持てない。

 

気づいた時に対応するのが責任である。気づきは自然発生であり、責任は避けられない。なので対応にしか自由意志はないと考えた方が良い。


学びがない人は子どもの理論を使って誰かを攻撃してしまうかもしれない、そろそろ大人の理論で協力し合った方が平和ではないだろうか。

 

次回はいよいよ感情への対応を考える。

 

深瀬 啓介
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