ポールが2人いるというよりもっと包括的な話題です!
これもそうかもそうかもしれないですね

ポールもジョンもソロになってからは単純な曲調に戻りましたから。。。
セオドア・アドルノが亡くなったのが69年でビートルズ解散とピッタリ一致します。

ポール死亡説にしても(確証はないですが)彼らを存続させた理由はこれかもしれません。

アビーロードの葬儀に向かう彼らの行き先はセオドア・アドルノだったのかも。。






http://shinjinnrui.blog.fc2.com/blog-entry-41.html


(以下転載引用)

未だにビートルズの曲をありがたがって聴いている人々がいる。かくいう筆者もその一人なのかもしれないが、意外な事に現代の中・高生にビートルズを聴かせても、特に感動はないらしい。

「どこがいいのかわからない...」 と言われてしまう。

バブル崩壊後の日本で生まれた世代にとって、今から40年ほど前の流行などに関心を持つはずもなく、所詮それが時代感覚なのだと言ってしまえばそれまでだが、その一方で未だにこのビートルズの洗脳から解かれないままに晩節を迎え、それでもなおまだあの時代への郷愁を捨てきれない者たちがいるのも確かである。

実は筆者はビートルズは特に嵌ったわけではなかったものの、一部あの時代の空気が幼かった頃の記憶に入り混じって、一種独特のムードを保っていた事を懐かしく思う事がある。だがしかし、このブログのタイトルにも記しているとおり、“ビートルズ”という現象の背後にあった者の陰がチラチラと見え始めてきた時点で、これはちょっとヤバかったな...と反省の念にとらわれることが多くなった。

話は変わるが今になって思い返す事実の一つに、かつてジョンレノンが殺害されたときに、同じビートルズのメンバーであったポールマッカートニーが、自分の身も危ないのではないかと怖がっているという情報がラジオで話題になっていて、「なんで?」と言う疑問を持った事がある。それは筆者が高校生だった頃で、この話題を仲間と話題にしたときに「そんなわけねーだろ」「何を勘違いしてるんだろう」と言いながら談笑していた事を思い出したのだが、その訳が筆者の腑に落ちるようになったのは最近のことである。そもそも“ビートルズ”とは一つのプロジェクトとして実行されおり、当事者たちには最初は何が起こっているのか解らなかったかも知れないが、次第にこれが何を意味するのかはっきり自覚した瞬間があったはずなのだ。この世界的なネットワークの中でどのように自分たちが演出され、その目的がなんであるのかが。

そもそも不良少年のたまり場の様なところで演奏していた彼らが、デビューアルバムを発表して一躍有名になりだしたときに演奏していた曲目は、果たしてもともと彼らのオリジナル曲だったのかどうかも疑わしいのではないか。ジョン・コールマンという元MI6の軍人であった作家が「300人委員会」という書物(筆者はまだこの本を読んでいないが)で“ビートルズ”について記述しているようである。どうやら初期の“ビートルズ”の楽曲を作曲していたのは、テオドール・アドルノという人物であり、彼は300人委員会の要請のまま、中心的研究機関タヴィストック人間関係研究所において大衆をより堕落させ洗脳するためビートルズという実験音楽兵器を創造したというのである。この話は栗本真一郎という自称経済人類学者であり、一時期衆議院議員で小沢の側近にいた事もある人物であるが、彼が自分の書物『パンツを脱いだサル』でそれに近いことが書いてあったことを改めて思い出して確信を深める事になった。

テオドール・ヴィーゼングルント・アドルノ
アドルノ.png

そうだとするならば、ポールマッカートニーも、否、他のメンバーも併せて、その現場にいて何が行われているのかは自覚していたはずであろう。ならばポールが自分も始末されてしまうかも知れないと恐れるのは当然の事かも知れない。楽曲のほとんどはレノン・マッカートニーの作品という演出がなされ、またレコーディングや曲作りの様々なエピソード、果てはレコードジャケットのデザイン、全世界同時中継など、ほとんどすべての企画・プロデュースが巧妙に計画されていたと考えると、確かにそれだけの密度のある作品群であったことを思い返せば俄然納得がいく。

自省すべきである。彼らの音楽に傾倒し、それによって自らの思考手順にそれらがどのような影響を与え、そして現在の社会情勢に対する認識の仕方に如何に陰を落としているか。ジョンレノンの『イマジン』という曲を聴きながら何を考えているのか。これらが自らの自己形成にどんな影響を及ぼしているか。そのことによって我々は如何にして自らを育んできたものに背を向けたのかを。我々が今目の前に見ている世界は、我々が望んでいたものなのかどうかを。

余談だが、ビートルズの人気と薬物の若者への浸透は関連性があったに違いない。そういう意味では、60年代のヒッピームーブメントやら学生運動の衰退やらにも、何らかの関連性があったのかも知れない。これも計画されていたのではないのか。



右がセオドア・アドルノ


--以下はあるブログへの書き込みから引用--
セオドア・ アドルノ(1903-1969)ユダヤ人でドイツの学者。イギリスへ亡命、その後アメリカに亡命してナチスの迫害をのがれた。ビートルズ1970年4月解散。「ヘルプ」はナチスからの迫害からの歌?Ticket to Rideもナチスから逃亡の歌。実質ラストアルバム「アビイ・ロード」のジャケットは、セオドア・ アドルノが死んで、アビイ・ロードスタジオに「お別れ」にゆく4人。「パスト・マスターズ」に収められたシー・ラヴズ・ユー (ドイツ語版)抱きしめたい (ドイツ語版)の存在。ドイツ語ヴァージョンのほうが、しっくりゆく。「ヘイ・ジュード」はユダヤ人へのメッセージ。考えれば「歌詞」を眺めると、ユダヤ人学者セオドア アドルノの「ナチス迫害から逃れた思い出・追憶でないのか?レノン・マッカーニー=セオドア アドルノでないのか?ビートルズ解散後、ビートルズ時の曲より、レノンもマカットーにも曲が「劣る」。ビートルズ時の曲の「ポテンシャル」はどこにいったの?私は、ビートルズ=セオドア・ アドルノ説に傾いたw
/(^o^)\ナンテコッタ ~~~~~~~~~~w
2010/12/07 10:44

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967年)、セオドア・ アドルノ(1903-1969)、この時セオドア64歳。アルバムの中に「When I'm Sixty Four」という曲がある。
歌詞:When I get older losing my hair
Many years from now
Will you still be sending me a Valentine
Birthday greeting, bottle of wine
If I'd been out till quarter to three
Would you lock the door
年をとって 僕の髪の毛がなくなっても
まあずいぶん先のことだけど
僕に送ってくれるかな バレンタイン・カードや
バースデイ・カードやワイン1瓶とか
もし夜遊びして2時45分まで帰って来なかったら
ドアをロックしてしまうのかな
Will you still need me
Will you still feed me
When I'm sixty-four
まだ僕を必要だと思ってくれるかな
まだ僕の飯の支度してくれるかな
僕が64歳になっても
(略)
ビートルズは「セオドア・アドルノ」(ユダヤ人ドイツ学者)でした~~~~~~w (´゚ω゚):;*.':;ブッ
2010/12/07 11:26

セオドア・ アドルノ(1903/09/11~1969/08/06);社会哲学者で音楽社会学者。「ヴァーグナー論」を著した。ユダヤ人でドイツの学者。イギリスへ亡命、その後アメリカに亡命してナチスの迫害をのがれた。
、、、、、「アビイ・ロード」(1969年9月26日発売(英))
アドルノへの追悼遺作曲集。ジャケットが「緊急事態」を現してるように見える。アビイ・ロードスタジオに向かうビートルズの4人。振付師の大先生が急死した。。
しつこくてすみません。
全部、つじつまがあう。だまされた~w
2010/12/07 17:43

--引用終わり--







見つけた動画2つ貼っておきます。。。