これは自分にも言える気がする。

家族と性格が合わないが生活出来ないので結婚したけどやはり合わない。

なので基本的にイライラする。どうにもならない。

悪いところもいいように見るようになっても嫌なものは人間好きになるのは難しい。

最近たまにテレビをつけると老人の殺人がよくあるのに驚く。

つまり老齢の妻が夫を殺したとかそういう類のもので年齢は70~80代なのでさらに驚く。

昔は老齢というのは丸くなるものだとずっと思っていた。

荒っぽい性格も歳とともに柔らかく。。。というのは最近は全く当て嵌まらない。

たまにバイクで走っていてあちら側から暴走してくる車の運転手がお爺さんだというのも

よくある。なので今記事を探してみましたので早速転載します。

あとコンビニによく来る老人を店長は嫌いなようだけど私は気に入ってる人だ。

人それぞれ思ってることが全く違う。特に好き嫌いというのはどうにもならない。

相性の問題なのか年齢の問題なのか。やはり相性が悪いのは不幸としかいいようがない。


http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2008/04/post_1fd4.html


なぜ最近の老人はキレやすいのか?

キレやすくなっているのは老人であり、若者ではない。

もう一度いう、大人として成熟できず、我慢のなんたるかを知らず、ついカッとなって暴走するのは、20代ではなく、60代以上の年齢層において激増している。このエントリでは、事象の裏づけと、なぜ最近の高齢者がキレやすくなっているかについて考察する。なお、「高齢者」「老人」とは、60歳以上の日本人男女を指している。

最初に断っておくが、安易な結論「高齢化社会になったから」ではない。確かに高齢者は増えているが、老人の犯罪者はそれをはるかに上回るスピードで蔓延っている。もっとも、老人が老人に襲い掛かる老老犯罪が増えている文脈で「高齢化社会」を語るならまだ分かる。しかし、そもそもキレやすい老人が増えている事実を糊塗して「高齢化社会になったから」と、したり顔で全部説明した気になっているマスコミ、コメンテーター逝ってよし!

目次は次のとおり、長いデ。

激増する高齢犯罪者
老人が増えているからではなく、キレる老人が増えているのだ
平成老人事件簿
刑務所は老人天国
あなたの隣の「暴走老人」
かつて老人は子どもだった
■1 激増する高齢犯罪者
平成15年犯罪白書(※1)を元に、年代別犯罪者比率の変化を見てみよう。図1「犯罪者の年齢別構成比の推移」を見て欲しい。一般刑法検挙人員の各年代が全体に占める割合の変化を、1975年を100としてグラフにしたものだ。



他の年代の検挙人員の割合がほとんど変わらない一方で、5.5倍に達しているのは高齢者―― 60歳以上の老人である。特異的な要因がない限り、犯罪者の年代別構成比は、人口の年代別構成比におおむね従う。それでも年を追うごとに微増・微減の変化はあるのだが、60代以上の犯罪者だけが突出しているのは、一体どういうことか?

■2 老人が増えているからではなく、キレる老人が増えているのだ

もちろん反論はできる。日本社会における高齢者人口が増えているため、犯罪者の中での高齢者の割合が相対的に増加しているという理由は説得力がある。矯正協会付属中央研究所のレポート「公式統計からみた年齢と犯罪の関係について」(※2)はまさにこのテーマについて統計的な裏づけを元に分析している。

このレポートの結論は明白だ。老人犯罪は、高齢者が増えているから増えているように見えているだけ、という。いわゆる暴走する老人は話題性を高めているだけであって、実態ではない、という考えだ。

それでは、なぜ昨今老人犯罪が話題性を高めてきたであるが、それは、全犯罪者の中で、老人犯罪者の占める比率が、相対的に増加してきているからと解釈できよう。老人人口が増加するにつれ、老人犯罪者の数が増えていることは当然ともいえようが、犯罪者を扱う立場からすれば、犯罪者集団の中で相対的に老人の数が増えれば、その扱いを考えざるを得ず、それは自然の理といえよう
下の図2「60代以上の犯罪者の構成比と、65歳以上の人口構成比の変化」を見てほしい。1975年を100として、老人人口がどの割合で増加しているかを重ねてみた。統計情報元の関係上、65歳以上を「老人」としている(※3)。


これによると、たしかに高齢者人口は増えている。ただし、1975年から2002年で、2.6倍だ。高齢犯罪者比は5.5倍に増加しているというのにだ。高齢者は増えているが、高齢犯罪者はそれを上回るスピードで激増している。つまり、老人が増えているのではなく、キレる老人が増えている。もはやキレるのは若者の専売特許ではなくなっているのだ。

■3 平成老人事件簿

中央公論の「団塊を待ち受ける、奪い合う老後」(※4)によると、老人が老人を狙う時代に突入している。高齢ゆえに体力がないから、強盗をやるにしても人を殺すにしても、自分よりももっと高齢の人間のターゲットにする(若者を襲ったら返り討ちにあいかねないからね)。

2005.3月、札幌豊平署は、73歳の妻の首を絞めて殺害したとして、83歳の無職男性を逮捕したが、「食事のおかずの品数について文句を言ったことから口論となり、かっとなって殺してしまった」と言う
2006.1月、JR下関駅舎から爆発音とともに真っ赤な火炎が噴き上がり、一時、本州と九州を結ぶ交通網は完全に麻痺した。鎮火後に逮捕されたのは74歳男性、「ムシャクシャして、うっぷん晴らしのためにやった」とあっさり放火を認めた
2005.5月、妻の頭を置物で殴り、ズボンのベルトで首を絞めて殺した容疑で74歳の男が逮捕されている。調べに対し男は「妻が高額の健康食品を買ったので口論となり、かっとしてやった」と話す
2001.6月、福島県で起きた保険金殺人。被害者は77歳の女性で、主犯格は73女、他に77歳女、73歳女、62歳女、52歳男、63歳男が逮捕されている。この事件の特徴は、被害者も加害者も、そろいも揃って中高年であること。熟年パワーが炸裂した事件をいえる
いわゆる終の住み処、介護施設でも同様とのこと。老人が老人を殺す、老老殺人の舞台となっている。89歳のおばあちゃんが同じ入居者の70代の認知症の女性に首を絞められて殺されたり、70歳の男が73歳のほかの男性のささいな生活騒音に腹を立てて、ナイフで刺し殺したり。
あるいは、老人ホームは高齢男女の出会いの場でもある。老いの恋愛に花が咲くこともあるが、ひとたび問題がこじれると惨劇の場と化すこともある。2004.5月、愛知県安城市にある養護老人ホームで、入所者の68歳男が67歳女に絞殺された。度を越した恋愛行動を制限され、おもいあまった挙句、首を絞めたという。

ついカッとなって殺す、痴情のもつれから首を絞める、ムシャクシャして火をつける。年齢を重ねることと円熟とは全く関係ないことについて、わざわざ指摘するまでもない。しかし、「若気の至り」やら「若さゆえの過ち」と、完全に同等な結末を引き起こしているのであれば、それは「若さ」や「老い」とは関係のない、別の理由が存在することになるのではないか。

■4 刑務所は老人天国

では、ついカッとなった先にあるもの―― 刑務所はどうなっているだろうか。新潮45の2002.7月号の元刑務官のレポート(※5)によると、娑婆よりももっと深刻な問題が横たわっていることがわかった。

もっとも象徴的なのは、広島県にある尾道刑務所だそうな。2002.5.3フジテレビのスーパーモーニングで放映された、平均年齢73歳の入所生活である。

作業時間は1日6時間、一般受刑者の8時間との差2時間は、レクリエーションの時間に費やされる。体育館でカラオケ、卓球に興じている姿が映し出されていた。舎房は全員個室、トイレ、廊下、工場内通路には手すりが取り付けられていた。4年前に改築したという真新しい生活空間はバリアフリーで清潔そのもの。インタビューに応じた受刑者は「わしは、近畿の刑務所はみんな回ってきた。40年余りは刑務所暮らしになってしもうた。しかしここはまるで天国じゃ」
そこらの老人ホームの入居者より、よっぽど快適に生を楽しんでいるように見受けられる、衝撃的な映像だったという。同様な報道は、NHKクローズアップ現代でもあった。2004.5.31放送(No.1921)で、刑務所と更生保護の現場ルポを通して、高齢化が進む中さらに深刻化が予想される「老人犯罪」の現実と対策を探っている。
元刑務官のレポートによると、70%を越える老人囚は出所後の行き場がない。帰住地を更生保護施設と希望していても、実際には入れるかどうかわからない。これらのものに、公的年金について訊いてみると、もらえると答えたのは30%弱だったという。生活に行き詰まれば、また尾道に帰りたいと、犯罪に手を染める老人もいる(そのためのノウハウもある)。

福祉行政の失敗は、受刑囚の高齢化に拍車をかける。彼らには文字通り「帰る場所」がないのだから。わざわざ広島近郊へ出かけていって「ついカッとなって」しまう再犯、再再犯がいるのには、ちゃんと理由があることに目を背けている限り、刑務所の老人福祉施設化は止まらない。

計画的か否かは別として、増え続ける高齢受刑者が、過剰収容を全国レベルで押し上げていることは事実。1970年には60歳以上の高齢受刑者は1%だったにもかからわず、2000年には9%に達している(※6)。なんと9倍!だ。もちろん高齢者は増えているぞ、3.4倍程度だが(※7)www高齢者は増えているが、高齢受刑者はそれを上回るスピードで増えている。老人栄えて国滅ぶ例として年金制度が取り上げられるが、刑務所は常にその一歩先を行っている。

■5 あなたの隣の「暴走老人」

いわゆる犯罪にまでいたらなくとも、暴走する老人はいたるところで見受けられる。「暴走老人」「キレる老人」の実態は想像以上にひどい。週刊誌のアンケート(※8)によると、暴走老人の出没スポットは、(1)スーパー、(2)乗り物、(3)病院だという。そこでの目撃談によると…

70過ぎの白髪のお爺さんがスーパーで商品のみかんを剥いて食べ始めた。店員が注意すると「試食しないと味がわからない」とわめいて、店員がひるんだら、「甘くないから買わない」と捨て台詞を吐いて立ち去った
老人無料パスを見せてバスを降りようとした70歳くらいのお爺さん。運転手が「お客さん、それ女の人の名前だよ」と言われた瞬間、ダッシュで逃げた
大阪の市バス内の出来事。70代後半の男性が運転手に「車内放送がよく聞こえなかったので、さっきの停留所で降りられなかった。引き返せ」と怒鳴りだした
救急士の証言。「老人は気軽に救急車を呼んであたりまえという人が多い。とても急病人とは思えず、車内でもわがまま放題。トイレに行きたいから救急車を止めてくれといわれたときが一番驚いた」
「暴走老人!」にて藤原智美は、なかなか面白い分析をしている。要するに彼・彼女たちは「待てない」のだそうだ。歳を取るほど時間が早く過ぎていくという焦燥感が、予期せぬ「待たされる時間」に遭遇したとき、発火点となって感情爆発を引き起こすという。寛恕の心とか、「がまん」って言葉を知らないんだろうね。
あるいは、昔と異なり、「周囲から尊敬されなくなった」ことが理由としてあげられている。時間の流れがゆるやかだったときは、その経験が若者にとっても有益だったが、いまでは、老人が持っている知識・経験を下の世代がまったく必要としていないことが一因となっている―― そんな指摘もある。

また、「暴走老人!」では、「社会の情報化へスムーズに適用できていないこと」が原因だという。

逆に若い世代はメールやネットでオブラートに包んだコミュニケーションばかり取っていて、人間の感情がぶつかり合ったときに収める技術を、社会が失いつつある。
うーん… 「キレる若者たち」にも使える理由なので甚だしく「?」をつけたくなるが。本書自体がワイドショー的で印象だけをつづったエッセイだからなぁ… 「暴走老人!」の一番の読みどころをお伝えしよう。それは、あとがきにある。
テーマは「暴走する老人たち」ですが、私は老人批判をしたかったわけではありません
なんという逃げ口上。しかも「あとがき」に書くあざとさ。著者がチキンになるのは、「老人」たちの仲間へあと一歩の我が身かわいさか。
いずれにせよ、人生も終盤にさしかかると、枯れるとか悟るところがあるのかと思っていたが、完全なる幻想。せめては老醜をさらすことのないよう―― と自覚のある人ならいいが、そうでない人が暴走を繰り返しているのが現状だろう。

■6 かつて老人は子どもだった

ここで簡単に済ませることもできる。「社会の情勢の変化」だの「IT化」や「社会の閉鎖性」「心の闇」「核家族化」と、テキトーなキーワードを並べ立てて、訳知り顔で説明することは、可能だ。っつーか、それが王道だ。若者批判の常套句だ。

センセーショナルにあおりたて、口をそばめて指摘し、批判し、「だからなっとらん」と騒げば一仕事したかのような顔をする。そして提言としては「ちゃんと挨拶しましょう」「思いやりの心を持ちましょう」とかオマエは小学校の学級会かッ!と石ではなく岩をぶつけたくなるような『センセイ』がいらっしゃる(誰とは言わんが、な)。

もう一度、図2をみて欲しい。1986年前後が突出していることに注目。

なぜだろうか?

暴れる老人をいくら見ていても、分かるはずがない。彼・彼女らは「ルール」や「マナー」、あるいは「社会常識」というものを持っていないのだから。だから、それらを身に着けていないのであれば、その理由を探るために過去を見てみよう。

そもそも、そうしたルールをいつ身に着けるのだろうか?もちろん子どもの頃だ。ふつう、ものごころついたときから、社会に出るまでのあいだに「しつけ」られるものだ。年齢で言うならば、10-20歳にかけてだろう。言い換えると、この年齢でルールや常識が身についていないと、後の一生で社会的制裁という形で教育されることになる。

さて、1986年ごろに「暴れる老人」だった60-70代が、社会常識を身につけるべき10-20代だった頃は、何があっただろうか?

そう、戦争だ。1926-1946年ごろは、世界不況から太平洋戦争、終戦の混乱期だ。この時代にまともな「しつけ」を親に求めることは、香山リカから「最近の子はよくしつけられている」というコメントを引き出すことと同じぐらいの期待値だ。この世代が「現役」だった時代に、各年代の犯罪率を押し上げ、いわゆる高齢者世代に突入して一花咲かせたと見るのが自然だろう(1975年から若年犯罪率が一貫して減少していることにも注目)。20年ぐらい昔の「荒れる老人たち」の理由は、これで説明できる。

次に、1997年から現在にいたる老人犯罪の激増化を見てみよう。彼らの少年時代を遡ると――終戦から高度経済成長の入口(1955)あたりに「しつけ」られた人びとが暴れているのだ。あの当時は暮らしていくのに精一杯でそれどころではなかったという「仮説」が立てられる。

この仮説を検証するならば、老人犯罪者にインタビューしてみるといい、「わたしたちが若い頃は、なんにも楽しみがなかった、一所懸命働いた、結局見返りはこれっぽっち、やってらんねぇ」という恨み節が聞こえてくるに。そして、「親からはろくに面倒を見てもらってなかった」というカメラ映えする言質が取れるだろう(ホントの因果は逆なんだけどね)。

同じ根拠により、このうなぎ上りグラフはそろそろ沈静化するのではないかと予想している。「団塊の世代」の振る舞いだ。この連中、華々しく闘争して社会に迷惑をかけたワリには、就職と同時に転向する"ちゃっかり"したところがある。これは、社会的制裁を受ける/受けないギリギリのところを計算できるぐらいの常識を「しつけ」られていたのではないかと考えられる。

もちろん、団塊の世代は1947-1955年生まれと上述の「いまどきの暴れる老人」世代と被るところもあるが、日和組が残らず老人化する2015年ごろからはこのグラフはフラットに安定化する(もしくは減少する)はずだ。彼らも馬鹿ではないのだから。

そして、「しつけがなっていない」世代が死んでゆく2030年ごろからは、老人犯罪は過去話となるだろう。高齢化社会真っ盛りであるにもかかわらず、ね。「老人犯罪?ああ、『そんな時代もあったね』と、いつか笑って話せるさ。

何度でも言う。キレやすくなっているのは老人であり、若者じゃない。この事実に目を背けている限り、対策も後手に回り、問題は先送りされる。文字通り、「死ぬ」まで。