たった2日の夢の時間 番外編 | 珈琲と虹と鯨の棲む場所

珈琲と虹と鯨の棲む場所

東京都三宅島をフィールドに直感を綴る

山野井夫妻、ユカリさんと過ごした時のブログ で書いた番外編をまとめておこうと思う。
n a t u r a l この週末、自分の過去に繋がる、たくさんの人たちと会うチャンスが重なり
思い切ってお店を休んで上京、絶妙のタイミングでお墓参り(三回忌)に行くことができました。

2年前の11月30日に雪山で雪崩に会い、12月2日に他界した磯川暁くん
※このブログのトップ写真は彼にビレイしてもらって登った最初で最後のクライミング。

あの日、島を出ようとしたら、飛行機も船も欠航してしまい、島から出れず。
長い弔電を出して、お別れすることになってしまい、最後の顔を見れなかった。

あれ以来、ひょっこり島にでっかいリュックを背負って現れるんじゃないかといつも思っていた。

昨年の11月30日には親父が店の前で倒れ、脳挫傷でヘリで搬送され、今に至る。
正直言って、これまでの一年は自分がいっぱいいっぱいだった。

そして今年は暁くんに呼ばれるように自然な流れの中でカラダが島を離れていた。

前置きが長いけど、ここからがメインのハナシ↓
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先日、山野井さんが2年ぶりに来島し、富賀の岩を開拓していった。
山野井さんからのメールには、宝島(5.12a)を登った時よりも幸せな気分だと書いてあった。

夢のような時間を過ごしたあの日、山野井さんや自分たちが登っている岩に
やたらと鳴いている鳥がいた。

ふと、ユカリさんに「あの鳥はなんていうの?」と聞かれたので
「イソヒヨですよ!イソヒヨドリ!」と答えると、ユカリさんの表情が変わった。

少ししてユカリさんが話を始めた。
「ある人が言うには、磯川暁くんはどうやら小さなイキモノに姿を変えて
みんなの周りにひょっこり現れ、みんなの事を気にしているらしい・・・」と。


それで「イソ」という言葉にびっくりして顔色を変えたのだろう。

鮮明な記憶の中で、2年前に宝島のラインを公開プロジェクトにして島を離れた暁くん
山野井さんが今、三宅島に登りに来ているよ~とメールすると、ものすごくそわそわして
「山野井さんに登られちゃうなぁ~」って言ってた。

その滞在中、6トライくらいで山野井さんが初登し「宝島」という名前が付けられると
「山野井さんの次に宝島に登るのは絶対に自分だ!」と暁くんからメールをもらった。

今回、富賀の岩で新しいラインを山野井さんが登ろうとすると

気になってしょうがないといった様子でイソヒヨドリは周囲を鳴きながら飛びまわっていた。


n a t u r a l ※その時のイソヒヨドリ(MFCメンバー、ナオ撮影)

そんな不思議なことがあって、その話は山野井さんやユカリさん、
磯川暁くんの家族にも、共有されたのだった。

じつは今回、暁くんがクラックで使っていたカムを形見分けしてもらった。(写真のカム)
今朝、お店の庭に船がついて、荷物を整理しながらカムをいじっていると
庭に大きなダブルレインボウがかかった。午前中はずっと消えたり現れたりを繰り返してた。

すでに暁くんとの出来事をいろいろと考えると、自然現象も不思議に思わなくなるくらい
最初から虹が出ることが決まっていたかのように思えてきた。

心にそっと刻んでおこうとも思ったけど、素敵な虹だったので、ブログに貼りつけておこうと思う。
n a t u r a l