今日も寒い一日でした。

5年前のあの日も東北では雪が降っていましたね。


朝起きて、家族に「おはよう」という事。

炊き立て温かいご飯を「いただきます」と食べられること。

働ける職場があることも、そこにいつも通りの

仲間がいることも、その全てに感謝をしました。


「いつもと同じ」がどれだけ幸せなことか。

きっとあの日誰も感じたと思います。


ふかふかの布団も、温かいお風呂も

スイッチを押せば電気がつくことも当たり前の事なんか

何一つない。


あの瞬間からの数日を僕はどう過ごしたのか

今でも思い出せません。

きっと生産もしていたいし、出荷もしていたけど

ごめんなさい、正直どんな風にしていたか。。

ただ、歯を食いしばっていないと

涙が流れてきそうで・・・。


週末があけた月曜日。
東北や関東など特に被災したという情報にお住まいのお客様に

メルマガを流しました。


そして1週間後、メルマガを流したあの瞬間。

「ご家族には会えましたか?」

「大切な方と一緒にいますか?」

その内容はメルマガではなく

ただただ「皆さんが無事でいますように」という祈りのような手紙・・・


あんなに

「一人でも多くの人に届いて!」という思いで

流したメルマガはありませんでした。

こんな大災害があったからこそ

「生まれてきてくれたことに感謝しよう」と

いつもどおり「お誕生日おめでとう」のコーナーも

そのままに流しました。


そして、次々と届くお客様からのメール。

「我が家は家族みんな無事です」

「ロビット微動だにせず!」

「おめでとう欄でわが子の名前を見つけました!

メルマガを送ってくれてありがとう」

その1通1通に涙が出ました。

そして、どのメールも

「東北の方に頑張ろう!と伝えて」

「私たちに今、何ができるかな?」

そんな被災者の方によりそうような言葉が

必ず添えてありました。


あれから5年。

何が変わり、何が変わらずにいますか?


僕は今年も宮城県に遊びに行くつもりです。

また、子ども達と一緒にワークショップができたらいいなぁ。

あの素敵な笑顔のおじいちゃんやおばあちゃんは元気かな?


大きな活動はできなくても、お声をかけてくれたその被災地に出向き

そして、そこで出会った一人一人に、その瞬間に素敵な笑顔を

プレゼントできたらと思っています。


3月11日という日だけでなく、これからも被災地に寄り添いたいですね。

被災した方々と同じ経験はしていなくても、

その気持ちを少しでも理解したいと相手を思い想像し、

心を寄り添い足を運ぶ。そんな事はできるはず。


宮城県・柴田町の緑はとっても綺麗でした。

かんぴょう巻きも牛タンも美味しかった。

FちゃんやLくんと会いたいなぁ。

亘理町のぶどうジュースも美味しかったなぁ。

出会った人はみんな優しかった。


そして少しづつ進んでいる復興とまだまだ手付かずの

被災状況を見て、絶対にまた来ようと思いました。


僕は今年も宮城県に行きます。