スリラーな親② ~悪魔の音楽だと? | ☆Dancing the Dream ☆

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Sarah Frances Jones (née Wells)
サラ・フランシス・ジョーンズ(旧姓・ウエェルズ)

クインシーの母親、サラは、
1903年、南部ミシシッピー生まれ、
ボストンの大学出のインテリでしたが、

クインシーが7歳の時に、統合失調症を発症してしまいました。
そして、家庭崩壊。

クインシーと弟は、父方の元奴隷の祖母の元に預けられます。
祖母の最大の財産は、大きな鍋でした。この鍋で風呂のお湯を沸かし、川でつかまえたネズミを玉ねぎと一緒に揚げて食べるような奴隷時代と変わらない貧しい暮らしをしていました。

次は、単身の父の元へ、そして、父が再婚してからは、意地の悪い継母に完全にネグレクトされ、安らぎのない環境で子供時代を過ごしました。

けれども、クインシーを最も苦しめたのは、錯乱した母の記憶でした。
そのトラウマから逃れるように、クインシーは、11の頃から自分と弟の食い扶持を稼ぎ、音楽に専心して、やがて、その努力が報われ成功してゆきます。

音楽の道を突き進むクインシーの人生に、サラは、まるでババ抜きのジョーカーの札が戻ってくるように、事ある毎に現れました。
彼の「悪魔の音楽」を止めさせるために。

世界中の人々に愛され続けるクインシーの音楽。
母親なら尚の事、誰よりも息子の音楽を愛さずにはいられないはず。

しかし、サラは、
息子の音楽を「悪魔の音楽」と呼んで妨害したのです。

いったい、なぜなんでしょう?
サラの言う「悪魔の音楽」とは、何なのでしょう?

一言でいえば、
サラのキリスト教への狂信が、歪んだ形で現れた悲劇。
ということになるのでしょう。

サラにとって、神を讃える音楽"ゴスペル"こそが、素晴らしい。
それ以外の、ブルースのみならず、ジャズ、ロックなどは、
「悪魔の音楽」なのです。



けれども、クインシーと同じように、多くの人に称賛されながら、家族からは「悪魔の音楽」に携わっていると決め付けられ、忌み嫌われて、辛い思いをしたブラックミュージシャンは、少なくないことに驚きます。

強烈なダミ声の偉大なブルースシンガー、ハウリン・ウルフ(1910-1976)は、小さい頃に捨てられた母親に一目会いたいと願いますが、母親からは「悪魔に魂を売った音楽」をやっている息子には決して会わない!と拒絶され、望みは叶いませんでした。

また、エレキ・ギターを使ったシカゴブルースの父、マディ・ウォーターズ(1915-1983)の兄は、弟の死に際して「悪魔に憑りつかれて早死にした」と言い捨てたと言います。彼は神父でした。

敬虔なキリスト教者を自負する者にとって、神を中心とするのではなく、個人的な心情を吐露するような音楽は、自己中心的であり、労働し礼拝をする生活の規律から外れて、安易に金儲けをするための音楽だという認識なのですね。

どうやら、これは、とても根の深い問題のようです。
アーティストの表現と宗教の関係ばかりではなく、なにか黒人独特の問題が潜んでいるような気がします。

サラという、一人の黒人女性の悲劇的な人生の背後に、
長く重い黒人奴隷の歴史が横たわっているのかもしれません。

しかし、これから語る黒人奴隷の物語を複眼的に思考すると、
サラとは、だれか?・・
これを身近なものとして、また、世界へと目を向けて、現代社会を見つめ直せば、あらゆるサラを見つけることができるのではないでしょうか。




サラは、写真の通り、美しい女性ですが、
その面立ちは、異人種のミックスであることは明らかです。

白人の農場主は、家畜と同じように、奴隷をひとつの財産と考えていました。
交配させて財産を増やすことばかりでなく、農場主が女奴隷に子供を産ませることも畜産業務のひとつであるという名目で、レイプがまかり通っていました。

また、詳しく書くつもりですが、
サラの系譜には、明らかに白人の血が入っています。
サラの母は、白人農場主 Lanierを父に持つ、混血でした。

サラの母、Mary Belle Lanierは、1879年生まれですから、
奴隷解放宣言(1862年)後に生まれた世代です。

しかし、1900年まででさえ、まだ奴隷は保持され、すべてのアフリカ系アメリカ人のおよそ90パーセントは、南部の州にいました。
直ぐさま、何も持たない奴隷が、農場から追い出されることは、死を意味するからです。サラの母も、ミシシッピーに留まり、彼女を産むのです。

女奴隷から生まれた、白人の主人の血を継ぐ子供は、どのような境遇に置かれるのでしょう? 農場主が父であるからと言って優遇されるのかというと、多くは決してそうではありませんでした。

逆に、白人の主人の子供を産んだ女奴隷とその子供は、女主人の悋気による恐ろしい制裁の鞭の餌食になり続けるか、さもなければ、売り飛ばされました。
奴隷から生まれた子供は、やはり、奴隷の身分なのです。

アフリカの黒人が、奴隷としてアメリカに連れて来られたのは17世紀初頭でした。
アメリカ人にとってアフリカの黒人は売買する家畜のような商品であっても、アフリカの黒人自身には、故郷に家族があり、家があり、友があり、言葉があり、歌があり、土の匂いや太陽の色があったはずです。彼らは、どのようにしてアメリカの奴隷になっていったのでしょう。

当初は、農場主にとって、家畜でしかない奴隷に、英語を教えること、文字を教えること、まして、キリスト教を布教することは、全く意味をなさないことでした。

しかし、19世紀初頭から、布教専心を旨とするキリスト教会側から農場主に対して圧力がかかります。奴隷へのキリスト教化を拒むことは、神への反抗と見なされたのです。

どのような境遇の者も神はすべての者を見守り、この世で報われなくても神の救いによって天国に導かれ、永遠の命を授けられる。―

黒人たちは、辛い日常の慰めとして、労働の後のわずかな時間に集会を開き、神を讃える歌を歌い、やがて、彼らの間にキリスト教が浸透していきます。

農場主は、奴隷へのキリスト教の教えを、盲目的従属への鎖として利用しました。過酷な労働、悪環境、奴隷制に耐え、主人に従順であることが、神の御心に叶うことだと教えたのです。それは、鞭の力に勝る鎖でした。

しかし、奴隷が文字を覚え本を読むことは、ご法度でした。
農場主は、奴隷が知識を身につけ、自分の頭で物事を考え、蜂起してくることを恐れたからです。

やがて、アフリカの大地で独自の生活様式、宗教観をもっていた黒人が、幾世代かを経て、敬虔なクリスチャンになっていきます。

幸福なるかな貧しき者よ、神の国は汝らのものなり。幸福なるかな、いま飢える者よ。幸福なるかな、いま泣く者よ。(ルカ6)・・福音を信じて、行儀よく主人に仕える奴隷こそが、主人に重宝され、可愛がられ、延いては神に愛されるのだということを叩き込まれていったのです。

こうして、黒人が、自らが優秀な奴隷であることに喜びを得るようになる装置は機能しました。
これこそが、魂の奴隷化です。

おそらく、クインシーの母のサラは、優等生だったのでしょうね。
その過程で、本来の自分自身を圧殺していることにも気づかず。

教わったことを心に刻み、恐ろしい目に合わないように、できれば愛されるように、一生懸命に努力したのでしょう。

これは、支配する側の調教の成功と、支配される側の生き残り戦略が、不気味にバランスしている状態です。
彼らのキリスト教は、支配する側の都合良く、支配される側が自動的に自ら拍車をかけて回り続けてくれるある種の装置なのです。

しかし、その回転に何らかの不調を及ぼしすのが、彼らの言う「悪魔の音楽」なのではないでしょうか?

自分の心に感じたままを言葉にし、魂に叫けばせ、
身体に感じるリズムで踊り、忘れかけていたものを呼び覚ます音楽。
つまり、解放の音楽です。

Religion(宗教)とは、「縛りなおす」という意味をもっています。
re + ligionとは、ラテン語の religio(ふたたび)と、ligare(結わえる)から成っています。

ビジュアルで表すと、
こんな感じなのではないでしょうか?

 なんか。。きょわい~あせる
ファスケス (ラテン語: fasces) は、「束」を意味するラテン語の名詞ファスキス (fascis) の複数形で、通常は斧の周りに木の束を結びつけたもの。力や正義、団結、共和を表している。
ファスケスは、ファシズムの語源ともなった。


わたしは、「Religion」よりも、「orchestra」や「harmony」という言葉の方が、断然、好きです!!

orchestraとは、古代ギリシャ劇場のオルケストラのこと。
オルケストラとは合唱隊が歌い踊り、演奏者が楽器を奏でたりする舞台と観客席の間の半円形のスペースのことなのだそうですよ♡

harmonyとは、ギリシャ神話の「調和」を司る女神さまからきているのだそうです。

こっちの方が、たのすぃ~~~い♪よね?
ね! クインシー~~~~~!!ヾ(@^▽^@)ノ