スリラーな親① ~MJとQの「スリラー」 | ☆Dancing the Dream ☆

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この写真の人が、
クインシーのママです。

若き日の、サラ、
とても可愛いらしい人ですよね!

ところが・・・
この美しい微笑みをたたえた人が、
突然、狂気に陥り、怪物のようになってしまったら・・

もしも、子どもだったら・・
その恐怖は、いかばかりでしょう。。叫び


――クインシーの母親は、再び幾度も彼の人生の物語に関わってきた。バッドペニーのことわざ(誰しも偽金や欠けたり歪んだりした硬貨を長く持っていたくないので、トランプのババのようにすぐに戻ってくる。嫌いな人が戻ってくる。の意。)のように。たとえばジョーンズの脱税を告発することによって、彼の「悪魔の音楽」を止めさせるというような陰謀を企てて。彼女の振る舞いは、彼に「僕には母親はいない。だから僕は自分で自分自身の世界を作らねばならなかった。僕は4つのトランペット、4つのトロンボーン、5つのサックス、ドラム、ベース、そしてピアノで―その全部でなにか違うことをやり始めたのさ」と言わしめるのに十分だった。―

―― Mum re-enters his life story like the proverbial bad penny, at one point conspiring to stop his "devil's music" by reporting Jones for non-payment of taxes. Her behaviour was enough to make him say now: "I didn't have a mother, so I had to make my own world. I started with four trumpets, four trombones, five saxes, drum, bass and piano – all doing something different."― 


77歳のクインシーが、(↑)英国紙・ガーディアンのインタビューを受けた時の記事の一部を抜粋して訳してみました。

クインシーの母親は、彼が7歳のときに、精神病を発症し、
以降ずっと精神病院の入退院を繰り返したと言います。

彼女の錯乱は、幼いクインシーと弟の心に恐怖と衝撃を与え、
その記憶は深いトラウマとなり、
彼らのその後の人生にも暗い影を落としました。

成功の人生の裏で、クインシーにとって、
彼女の存在は、常に悩みの種だったのです。

クインシーの自伝やその他の資料を読むと、
クインシーは、11歳で売春宿の酒場で下働きを始めた頃から、
音楽の傍にいることだけを欲し、
幼くして、驚くほどの音楽への強い向学心、
エネルギッシュな行動力を発揮し、
やがて、世界中を駆け回り、数多の偉大なメンターに出会い、
余すことなく彼らから学び、
押しも押されぬ音楽の巨匠になっていきます。

しかし、彼が音楽を求め、駆り立てられた背景には、
「怪物のような母親」の存在があったのですね。

後に、マイケルジャクソンと共に、
空前の大ヒットとなるアルバム『Thriller』を世に送り出しますが、
その誰もが知る『Thriller』という曲は、月夜の晩、ごく普通に見える青年の中に眠る「怪物」が目覚め、ケダモノに変身するというストーリーでした。

暴力的な父と、カルト宗教を盲信する母をもったマイケル。
『Thriller』は、マイケルのそのような生い立ちの経験が描かせた、人間の内面世界の心理劇だと感じていました。

本来の自分を見失い何者かにコントロールされてしまう人間の狂気こそ、恐ろしい、スリラーなのです。

けれども、これは、クインシーの物語でもあるのではないかと。
『Thriller』は、クインシー自身にとっても、幼い日の恐怖の記憶を暴き、音楽に昇華する過程だったのではないかと。

このストーリーに夢中になり、共感し、スタジオで昼夜を問わず缶詰になって制作に熱中した訳が理解できるような気がします。

さて、
クインシーの母、Sarah Frances Wells(旧姓)とは、
どのような人物だったのでしょう?

彼女のプロフィールは、あまり、多く語られません。
・・語られるのは、およそ、このように破綻していった彼女の物語です。

「サラは、大学出のインテリで、複数の言語を話すことができた。
 セミプロ野球選手で大工のクインシーの父と結婚し、
 2人の男児をもうけ、その後、精神分裂病が発病し苦しんだ。
 それにより一家離散。精神病院の入退院を繰り返すも、
 退院中は有能な秘書として自活できた。
 おかげで、どの町ででも生活ができ、唐突に出没する。
 長男のクインシーは音楽業界で成功するが、
 息子の成功を喜ぶどころか、
 彼の音楽を"悪魔の音楽"と極め付け、
 時折、彼の人生に現れては、妨害をした。」


いや~~、謎です。
クインシーは、1933年生まれですから、
その一世代前の黒人女性が、大学へ進学するというのは、
ほとんど皆無に近い稀なケースなのではないでしょうか?

いかに優秀でも、黒人女性が教育を受けられる門戸が開いていたとは思えない時代です。
これは特例? 
いったい、どういうことでしょう?

以前、記事にも取り上げたことがありますが、
黒人が大学に入学するということは、60年代でさえ大事件を引き起こしました。
「ミシシッピ大学(Ole Miss)暴動(1962年)」「メレディス事件」とも呼ばれる、ミシシッピ大学に初めて入学することになったジェームズ・メレディスという黒人大学生が州知事によって入学を反対されたことに端を発して発生した大暴動です。

そこで、Sarah Frances Wellsを検索してみました。
すると・・
世界は、移民などで、代を重ねるごとに家系が複雑化し、
ルーツが解りにくくなるため、
ファミリーツリーを調査できるサイトがあるのですね。

Geni.comという、家系図を記したサイトに、
クインシーのママのことが載っていました。



Sarah Frances Jones (née Wells)
サラ・フランシス・ジョーンズ(旧姓・ウエェルズ)
attended the University of Boston and suffered from schizophrenia, relocating to a mental hospital when Quincy was 7 years old
(ボストンの大学に通った。そして、クインシーが7歳の時から精神病院に入院し、精神分裂病に苦しんだ。)


・Name(氏名):
Sarah Frances Wells 
サラ・フランシス・ウェルズ

・Birthdate(誕生):
1903

・Birthplace(出生地):
Vicksburg, MS, USA アメリカ合衆国、ミシシーッピー、ピッツバーグ
Death(死亡): Died 1999

・Immediate family(肉親):
Daughter of Love Adam Wells , Mary Belle Lanier 
ラヴ・アダム・ウェルズとメアリー・ベル・ランサーの娘
Wife of Quincy Delightt Jones, Sr. 
クインシー・ディライト・ジョーンズ・シニアの妻
Mother of Quincy Delightt Jones , Lloyd W Jones 
クインシー・ディライト・ジョーンズ、ロイド・w・ジョーンズの母親
Sister of Leonia Gertrud Hill; John Thomas Wells; James L Wells; Andrew Nelson Wells; Mealure (Amelia) Jean Wells , 5 others 
(略)その他兄弟姉妹 


知的な表情の美しい人です。
顔立ちから察すると、
彼女は、異人種のミックスですね?

なんと、1903年生まれ!!
やはり、彼女が順当な就学年齢を迎えるであろう1920年代に、黒人女性がボストンの大学へ進学するというのは、考えられないと思います。

アメリカでは、黒人の投票権が認められたのは1965年の投票権法によるもので、女性参政権は、第一次大戦後にやっと認められたのですから。

そして、投票権を持ったとはいえ、黒人は教育の場が与えられず識字率が低かったため、文字の書けない大半の黒人にとって意味をなさなかったと言います。

このように歴史を観ると、厳然と立ちはだかかる教育格差の壁を超えるには、もう少し時を経ねばならなかったはずでしょう。

にもかかわらず、1903年生まれの黒人女性、
クインシーのママのサラは、卒業できたかどうかは明記されていませんが、大学で学んだことは事実なのです。

この歴史と矛盾する謎を考えているうちに、
ふと、マイケルのママ、キャサリンが、
結婚して子供を産み、働きながら、
高校の卒業資格を取った。
―という話(マイケル自伝・moonwlker)を思い出しました。

そして、クインシーのママが、いつ大学に就学したかはどこにも書いていないのですが、おそらく、クインシーのママも、キャサママと同じように、向学心を胸に秘め、大人になってから勉強ができる機をみて、進学を決意したのではないでしょうか?

クインシーのママ、サラと、マイケルのママ、キャサリンは、
勤勉を旨とする非常に熱心なクリスチャン女性であるという点も、共通します。


そして、
世界中の人々に今尚愛され続けるクインシーの音楽に対し、
実の母親が、頑なな宗教的見解から、「悪魔の音楽」とののしり、妨害したこと、

マイケルの傑作「スリラー」を
「悪魔崇拝」であるとして、宗教団体からの除名か、この作品を破棄するかの選択を迫った、
エホバの証人の干渉は、

これぞ、まさに「スリラー」な出来事で、
何者かに魂を奪われ、
操られる者の所業です。



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クインシーの音楽が
「悪魔の音楽」?

我々日本人には、ピンときませんよね?
いったい、なにゆえに?

それについては、
長くなるので、また次回につづく。。


お読みいただきまして、ありがとうございました~おじぎ