マイケルとフロイト ~『ユロクマ』と『モーセと一神教』③ | ☆Dancing the Dream ☆

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フロイトの遺作として刊行された『モーセと一神教』は、
ヒトラー率いるナチスのユダヤ人迫害が激化するなか、
ユダヤ人精神分析医フロイトが、最晩年の年月をささげて、
究極の問題、「反ユダヤ主義の原因は何なのか?」を考察し
書き上げられた驚くべき書物です。

前項の
マイケルの『Remember the time』とフロイトの『モーセと一神教』の
関連性のお話しに続いて、
今日は、マイケルの『You rock my world』と フロイトの『モーセと一神教』との
関連性についてのお話しです。

 

ユダヤ人の原父(モーセ)殺し
モーセは、エジプト人であり、
モーセは、エジプトのファラオ、イクナートンが制定した一神教を
持ち出し、ユダヤ教を作った。

こう述べたフロイトは、続いて、
さらに驚くべき仮説を述べます。

 ユダヤ人たちは、モーセという絶対権力の厳格さに耐えきれず、
 彼を憎み、反乱を起こして、
 ついに、モーセを惨殺し、その肉を食べた。

 ユダヤ人たちは、モーセを殺した事実を記憶から消し去り、
 抑圧したために聖書にも記述ない。

 彼らは、やがてイスラエルの土着宗教、
 火の神ヤハウェを信仰するようになった。
 この火の神ヤハウェこそが、ユダヤ教、キリスト教の
 唯一神ヤハウェの原型である。

 時を経て、忘れ去られていたモーセの神は、
 一定の潜伏期間を経てユダヤ人の中に回帰し、火の神ヤハウェと融合し、
 ついに、モーセの説いた一神教が復活し、
 ユダヤ人は、唯一神ヤハウェを信仰するようになった。

フロイトは、ユダヤ人の精神史をこのように推理します。
しかし、
エジプト起源のモーセの一神教は、原父モーセを殺すことによって、
ユダヤ人に排除され、別の自然神を仰いだにもかかわらず、
なぜ、また、モーセの神はユダヤ人自身によって迎えられたのでしょう??

それは、フロイトの分析によれば、
個人におきる神経症の症状と同じく、
父親としてのモーゼを殺害しながらそれを抑圧し続けたことにより生じる、
ユダヤ民族の集団的なな神経症の症状「原父殺しの回帰」だというのです。


原父殺しの回帰
フロイトは、
 イエスの十字架もまた、いわばこの原父殺しの回帰である。

 ユダヤ教において供犠の子羊を食したり、
 キリスト教においてイエスの聖体としてパンと葡萄酒を食す儀式は、
 モーゼ殺害しその肉を食ったことの無意識の反復である。と言うのです。

ここで言う「父」とは、フロイトが提唱している精神分析学の概念です。
「父」とは、社会的な倫理を植え付ける存在であり、
禁止の命令を与える疎ましい存在であるとともに、
指導してくれる強い存在でもあります。
「父殺し」の根本的な心理は、幼児期において、母親を独占したいという願いから、父を殺し、父になり代わって母を愛したいという欲望のことを言います。
しかし、この父に憎しみを持ちながらも、他方では、父のようになりたいという同一化の心理も合わせ持ち、この相反する両義的な心理は、無意識に抑圧されています。この無意識的な葛藤の心理を「エディプスコンプレックス」と言います。

 フロイトによれば、
 人間が誕生し成長するとともに、「エス(イド)」とよばれる、
 感情、欲求、衝動など本能エネルギーが詰まった"無意識"からはじまり、
 やがて、外界からの刺激を調整する機能を持つ
 現実的な「自我」を形成していく。
 エスから自我を通してあらゆる欲動が表現され、
 それを自我が防衛したり昇華したりして操るのであるという。

エス(Es)とはドイツの学者リヒテンベルクが、
人間に考えを始めさせる主体を非人称にして
「es denkt」と表現したことに始まり、
ニーチェやフロイトなどがこの言葉を引用するようにました。
エス(Es)とはドイツ語で「それ」と訳します。
denktは、「思う 考える」という意味です。
エス(Es)とは、名状しがたいもので、フロイトの有名なテーゼによると、
「Wo Es war, soll Ich werden(エスのあったところから、私という感覚が生まれてくる)」ということであり、旧約聖書創世記は「Es werde Licht(光あれ)」から始まります。「光」が生じる前の主客未分な「それ」があるということです。 

 フロイト晩年は、エスを「生命の樹」ととらえ、
 「エスという樹木が外的世界の影響力をうけた結果、
  発達してくる樹皮のようなものが自我なのだ」と説明した。

 エディプスコンプレックスも「自我」が欲求を無意識に抑圧して生じるが、
 あまりにエディプスコンプレックスの心的外傷が強い場合、
 エスは、「自我」にこの刺激を中断し欲動断念させるよう働く。
 これが、「抑圧」あるいは「忘却」である。
 また、父、神のような振る舞いをする道徳観・倫理観・良心・禁止・理想など
 「超自我」が成立していく。
 「超自我」は"幼少期における親の置き土産"とも言われ、
 超自我が成立するとともに、この超自我が自我を責め続け、
 心的外傷となる場合がある。

 つまり、満足させられなかった攻撃欲動が持っている心理エネルギーは、
 すべて超自我に引きつがれ、超自我の自我にたいする攻撃欲動を
 強めることとなるのだ。

 このような心的外傷をもつ神経症の患者は、
 抑圧している過去を想起する代わりに、
 抑圧の場面で自分が行った行為を反復する。

これが反復脅迫症であり、この患者は自分でも訳の分からない当の行為を反復し続けるのだと言います。

フロイトは、この個人の神経症の症例を、ユダヤ人のモーセ殺害に拡大して適応しました。
つまり、モーセこそが、ユダヤ人の原父であり、モーセをを憎み、殺害した記憶は、
ユダヤ人たちのあいだで「抑圧」され、
ユダヤ人は反復強迫症に陥り、反復強迫症は、個人のものではなく集団として世代から世代へと何世紀にもわたって伝えられ、
ユダヤ人たちは、エレミヤ、ゼカリア、イザヤ、そしてイエスなど、預言者があらわれるたびに過去の行為を無意識に反復して、彼らを殺害したと言います。

いわばユダヤ人という生命樹(エス)の満足させられなかった父への攻撃欲動が、
超自我(唯一神)の樹皮(自我)に対する攻撃欲動の源泉に
なり続けているということです。

「一神教の理念がほかならぬユダヤ民族に対しこれほどまでに深い印象を与え、ユダヤ民族によってこれほどまでに強靭な力で保持されえたのはどうしてなのか、これは努力して理解するだけの価値のある問いだろう。そしてこの問いには答えることができると私は思っている。運命が、太古における偉業にして凶行たる父親殺害をユダヤ民族にとって身近なものにし、父親殺害をモーセという聳え立つ父親像を持つ人物に則して反復すべく誘ったからである。」

フロイトは、ユダヤ人が、モーセの一神教に回帰したのは、
個人の精神の歴史の「父殺し」が反復するのと同じ精神的作用で、
ユダヤ民族の精神の歴史の中でも「原父殺し」が無意識に反復し回帰しているからだ。と、分析するのです。

ユダヤ人迫害の理由について

フロイトは、
ユダヤ人が迫害され続ける理由は、
ユダヤ民族が、無意識に、抑圧している過去を想起することができず、
抑圧の場面で自分が行った行為を反復し続ける永遠の神経症にある。
というのです。

「パウロという男が、この真理の一片を、
 罪を贖うべく われわれのなかのひとりの男がその命を犠牲として供したゆえ
 われわれはあらゆる罪から救済された、という妄想めいた福音という
 偽装されたかたちでしか理解できなかったのは大変よくわかる話だ。」


キリスト教は、パウロが人類の救済という物語を偽装し付け足して
成立したものだと見なしています。

「わかりやすく言えば、この非難はつぎのようになるだろう。
お前たちは、お前たちが神を殺してしまったことを認めようとしないが、
われわれはそれを認め、この罪を浄化されているのだ、と。」


しかし、キリスト教は、原父殺しを自覚しているゆえに、
自分たちは、反復から解放され救われていると主張しますが、

キリスト教もまた、基本的に、原父殺しを、罪だと考え、
超自我(神)に責められ、脅迫される自我を持っているわけであり、
だからこそ救いが必要だったのです。

つまり、もともと多神教だったヨーロッパ人には、
一神教は、そもそも重荷だったのではないでしょうか?
いえ、さらに言えば、
人類にとって、無理を強いる宗教なのではないでしょうか?

一神教は、出発当初から、勢力争いから生まれた政策であり、
世界初のイクナートンの一神教アテン信仰も、
大きな反発があり、発祥したエジプトの地で根付かなかったのですから。

有体にいえば、
ヨーロッパ人もまた、一神教に改宗させられた憤りを
無意識に抑圧し、反復的に、
ユダヤ人に向けているだけではないか?ということです。
つまり、キリスト教も同病ではないかと感じるのです。

フロイトは、精神分析医として、ナチスのユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れる中、
自分自身の精神の自己分析を通じて、分析を民族に拡大し、
民族のみならず、人類の慢性的な病を癒そうと考えたのではないでしょうか?

フロイト自身も、父ヤーコプの死に際して、
痛切な喪失感を感じたといいます。
彼は、人生でもっとも重大な出来事との対面し、
父の存在の大きさを自覚し、自分自身のエディプスコンプレックスを
改めて考えたのだそうです。



けれども、ヒトラーもまた、
彼自身の父に対する憤りを無意識に抑圧していた
強烈な反復脅迫症患者であったのだと思います。

彼は、イエスキリストは、アーリア人だったと信じており、
また、恐るべき終末思想をもっており、
ドイツの敗北は人類文明そのものの危機で、
自らを救世主であると考えていたのだと言います。

フロイトとヒトラーを
対比してみると、
むしろ、「父殺し」に無自覚に、
重病を病んでいるのはヒトラーの方だと言えるのです。




ヒトラーばかりでなく、私たち日本人自身について考えてみると、
戦後の日本人は、まるで記憶喪失のように
天皇を神と仰いだ大日本帝国時代を忘れ去り、
戦後処理問題を置き去りにしたまま、
エコノミックアニマルと揶揄されるほど経済的利潤を追い求め、
いわば、父殺しを封印し、抑圧してきたのです。



現在、
安倍政権の独裁政治が押し進められ軍事国家路線へと
大きく舵がきられようとするのを目の当たりにし、
私たち日本人自身も、重度の反復脅迫症の病をかかえていることを
自覚せざるをえません。


この問題は、ユダヤ人のみならず、
人類の永遠のテーマなのかもしれません。


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この辺で、マイケルジャクソンの「父殺し」のお話しに続けたいのですが、

すいません~ マイケルにとどかず~あせる

長くなってしまったので、いったんここで仕切ります。

このお話は、つづく・・。


息苦しくなるような顔が並んだので、マイケルの笑顔でお祓いしときます~☆