父から息子へ愛の手紙~Jonathan Livingston Seagullという名につて | ☆Dancing the Dream ☆

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Jonathan Livingston Seagullかもめ


「かもめのジョナサン」の名は、

“ジョナサン・リヴィングストン・シーガル”と言う。


ジョナサン・リヴィングストン・かもめだ・・・かもめ


なぜ、主人公のかもめは、この名前なのだろう?




空の果ての向こう側、一羽のかもめの追い求める遥かかなた・・


読みながら、ともに風を感じ、心を飛翔させつつ・・・


ときに・・


その空に何か別の物語が、二重写しに見える気がしたのだ。


幻影のようなその感覚を、この名から探してみたい。




これから書くことは、


何故かな~??と・・・ 考えつつ、メモしてみた下記、ずっと下↓の


〈ちょっと気になる断片の私的メモ〉のようなことから、


わたしが、個人的に思うことだ。。


おそらく、この物語は、


飛行機乗りの著者リチャード・バックが空からおくった


長年別れて暮らした子供、


『息子ジョナサンへの手紙』なのではないかと思う。





リチャード・バック Richard David Bach のミドルネームは、デヴィッド。


そして・・


旧約聖書の中に登場する「ダビデ」は、英語読みすると、デヴィッド。


そして「ダビデ」と固い友情で結ばれた親友「ヨナタン」、


英語読みは、Jonathan ジョナサンです。


聖書の中の、彼らの物語のあらすじは・・こんな感じ。↓




「イスラエルの王サウルは、悪い霊におびえ精神を病んでいた。

その病を癒すため、王が好んだ竪琴を弾く、竪琴の名手、美しい金髪の羊飼いの

ダビデが召したてられた。その音色に王は安らぎ、悪霊は消えて行ったと言う。

そのダビデは、堅牢に武装した巨人兵士ゴリアテを、剣も持たず、1個の石を投げ

額に命中させて倒した。やがて、ダビデは戦功をあげていき、大いに人気を博す。

それを妬んだのが、王サウルであった。

彼の存在に王権の危機を感じたサウルは、ダビデの暗殺を命じるのだ。

王サウルには、ヨナタンという王座の後継者となる息子がいた。

ヨナタンは、ダビデを敬愛し、二人は仲の良い友達同士であった。

父のダビデ暗殺計画を知ったヨナタンは、愛するダビデを守る誓いを立て、

ダビデ救出の秘策を練り、密かに、ダビデを追っ手から逃がし、命を救うのだ。

ダビデは地にひれ伏し、三度礼をし、ふたりは口づけして、抱き合って泣き、

ダビデはいっそう激しく泣いた。

その後、イスラエルの王となったダビデは、ヨナタンの子孫を手厚く守った。」

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ミケランジェロのダビデ像   命を救ってくれた親友ヨナタンの胸で泣くダビデ

彼には、ジョナサンという名の息子がいる。


リチャード・バックは、「ダビデとヨナタン」の友情に例えて


息子にこの名を命名し、彼の誕生を喜んだのかもしれない。


彼という男は、「結婚」というものがシックリこず、6人の子供を持つが、離婚する。


息子ジョナサンが、著書“Above the Clouds”で、父への憧れ、父の不在、


父への恨み、父との再会について、著しているように、


彼らの親子関係は、空白の間に、互いが不在のまま、


それぞれの心の中で思いを巡らす形でしか展開し得なかったのだろう。        



30代の彼が、自分の著書の主人公の「かもめ」に


ジョナサンという、実の息子の名を与えた小説は、


当時日本でもベストセラーとなる。


寓話的なこの小説は、一方では、父から息子へ、


とてもプライベートに、自分という人間を伝えようとしたのかもしれない。。


彼の末娘、ジョナサンにとっては一番下の妹は、15歳で事故死している。


捨てた家族の一番小さな子供の「死」・・・


直感的にだが、「かもめのジョナサン」という小説は、


この出来事が、大きく関わっているような気がする。





この著書を翻訳された五木寛之さんは、


一世を風靡したこの「かもめのジョナサン」の感想として、ーーー


私はこの物語が体質的に持っている一種独特の雰囲気がどうも肌に合わない。

高い場所から人びとに何かを呼びかけるような響きがあるーーとし、


1970年代のアメリカ社会、また世界に広がりつつある、

民衆の集団的願望が投影されていて、恐ろしい予感を感じると言っている。

なぜ「群れ」を低く見るのか?「食べる」ことは決して軽侮すべきことではない。

そのために働くこともある。それは、より高いものへの思想を養う土台だ。

「食べること」と、もう一つ「性」に関して注意深く排除されて物語られている

点についても、本当の愛の出発点は異性間の性を排除しては考えられないと

指摘し、

また、天国に昇ったかもめは、何故、「純白に輝くのか?」

潜在的に何かがある。---としている。




五木寛之さんの恐ろしい予感が形になったのかどうかは分からないが・・




先ごろ、逃亡犯が自首し、当時の記憶が蘇る、オウム真理教の一連の事件。

そして、教団の元幹部、故、「村井秀夫」が、思い出される。

彼は、阪大理学部、学院修士課程を卒業し、

神戸製鉄に入社するも、86年、オウムに入信する。

入信の理由は「“かもめのジョナサン”の心境になったから」・・・と言った。

彼は、オウムの犯罪に深く手を染めていく。そしてTVカメラの前で刺殺された。

「ポア」と称する「殺人」も彼らのタントラバジラヤーナとかいう教義では、

愚か者を成仏させる善行なのだということだが、

この村井というのは、ガラス玉のような透き通った眼差しで、

穏やかな物言いの人物で、虫も殺さぬ風貌だった。その温厚そうな性格、

高等教育を受けた頭脳で、この教義を受け入れることができたのか?




私は、「村井秀夫」は「かもめのジョナサン」ではないと思う。


なぜなら・・・


彼が信じて行ったのは、自分自身の魂が語るところではなく、


「私恨」の反映でしかない教えを語る教祖麻原のものだからだ。




ジョナサンには、Jonathan Livingston Seagull ・・


Livingstonというミドルネームがある。

ミドルネームとは、同姓同名の別人がいた場合に備えて名付ける。


いわば、「正真正銘その人自身である」ということを示すための名前だ。


Livingston という名の意味は"Leofwine's settlememt"で、


Leofwineは、古い英語で最愛の友人を意味し、settlememtは和解ですから、


Livingstonは、「最愛の友人との和解」となります。


キリスト教的には、「石」をイエス(ヤハウエの神と人との和解の為に屠られた)


に例えられるので、Livingstonは、「神と共に生きる」ことなのでしょう。


しかし、リチャード・バックが「かもめのジョナサン」で語る思想は・・・


フレッチャーという愛弟子に語る言葉に表れています。




「もうきみには、私は必要ないんだよ。


きみに必要なのは、毎日少しづつ、


自分が真の無限なるフレッチャーであると発見し続けることなのだ。


そのフレッチャーが君の教師だ。


きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、


その命ずるところを行うことなのだ。」



つまり、リチャード・バックが名づけたLivingstonという名の意味は、


本来の自分自身(最愛の友人)と和解し、


「自分自身(石)の魂の命ずるままに生きる」ということなのだろう。


師とは、他の何者でもない、自分自身の魂だということだ。


ジョナサンは、自分らを神格視される時、「偉大なかもめの御子かい?」と言って、


ため息をつき遠くを見るのだ。これは、言葉のない複雑な心理だ。


「村井秀夫」の「かもめのジョナサン」の心境とは、なんだったのか?と思う。


悟りの境地というものを求める心は、理解できるが、


ジョナサンには、「到達点」などないのだ。

大いなるものに委ね感謝し、

愚かさとの狭間で「求め続ける」


つまり、「継続」なのではないかと思う。


この物語を愛したマイケルジャクソンも、


完璧主義を自称するが、「僕は満足しない人間だ」と言っている。


彼こそ、「死」の際まで、自分の魂が命じるままに「求め続けた」


かもめのジョナサンのような人だと思う。クリックすると新しいウィンドウで開きます

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お読み頂き、誠にありがとうございましたおじぎ






  *****************



   〈ちょっと気になる断片の私的メモ〉


ヨナタンとダビデJonathan&David・・旧約聖書

Origin of the name Jonathan:

Derived from the Hebrew Yonatan, a short form of Yehonatan which is derived from yehōnātān (Yahweh has given). The name is borne in the Bible by the eldest son of King Saul.

ジョナサンという名の起源

ヘブライのYonatanに由来する。yehōnātān から由来するYehonatanを短縮したもの。この名前は、サウルの息子として、聖書の中で生れた。



Richard David Bach ・・リチャード・バックのミドルネームは、 David つまり、「ダビデ」。息子(6人いる子供の一人)の名前がJonathanつまり、「ヨナタン」なのだ。



Livingston・・Livingstonは、スコットランド起源の名前。13世紀に高地地方のLivingstonに住んでいたArchibald de Levingestouneから出た姓にその起源がある。17世紀頃から、アメリカへ入植。

the meaning of Livingston is "Leofwine's settlememt". The old English personal name Leofwine means "beloved friend".

・Archibaldの語源



Germanic ercan (“genuine) + bald (“bold).

ゲルマン語のErcan(正真正銘)+勇敢な、奔放な

Ercanはトルコの名前である。勇気があるものおよび生きた

・スクーンの石 (Stone of Scone)

代々のスコットランド 王が、この石の上で戴冠式 をあげた。運命の石 (Stone of Destiny) とも呼ばれる。聖地パレスチナ にあって聖ヤコブ が頭に乗せたという伝承がある。13世紀、イングランド 王エドワード一世はスコットランドよりスクーンの石 を奪う。

タラの丘  Hill of Tara

120代にわたるケルトの王(タラの王)の宮廷があった場所。

王となるべきものが触れると叫び声をあげる運命の石 (石柱)と聖パトリック の像が建っている。近くの墳墓にあった運命の石は、1798年に現在の場所に移された。

紀元1世紀~3世紀頃の木造建築の遺構がある。

・ヤコブが「枕」にした「石」

イエスを象徴していると考えられる。

聖書は、一貫して「石」をイエスの象徴としている。(詩編118:22~23、イザヤ書28:16、マタイ21:42~44、使徒4:10~11、ローマ9:33)

イエスの放蕩息子のたとえ中では、悔い改めて帰って来た放蕩息子に対して父親がこの息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」(ルカ15:21~24)と言ったことから・・

肉体的には生きているものの霊的には死んでいる「死人」と、文字通り肉体的に死んでいる「死人」とをイエスが区別していたと考えられる。


しかし、ジョナサンにとっての「石の枕=Livingston」の「石」とは

「神」や「偉大なかもめ」ではないようだ。

     ↓

群れのかもめは、ジョナサンの飛翔の超絶技を見て「神」または「悪魔」と
噂する。しかし、ジョナサンはその言葉にため息をつき、遠くを眺める。
彼は「偉大なかもめの御子」ではない。彼は弟子フレッチャーに言う。

「きみに必要なのは、毎日少しづつ、自分が真の無限なるフレッチャーであると発見し続けることなのだ。そのフレッチャーが君の教師だ。きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、その命ずるところを行うことなのだ。」




リチャード・バックの長男の名前はジョナサン・・  

 父の不在、大学時代に父との再会について記した“Above the Clouds”という著書がある。

    Richard Bach wikihttp://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Bach


リチャード・バックの末娘、べサニー事故死

べサニーは、15歳で事故死。(1985年)≒

ジョナサンの弟子にフレッチャー・リンドバーグという若いかもめがいる。高速飛行中、子供かもめを避ける為、岩に激突して、死んだかに見えた・・

Fletcher Lindberghの名前の意味= OldFrench/Fletcher =arrows(矢印 +

飛行家のチャールズ・リンドバーグのオマージュ


リチャード・バックはヨハン・セバスチャン・バッハの子孫・・

約2世紀半の間にバッハ家が輩出した音楽家は約60人に達し、遺伝学の研究対象とされたこともある。


バッハの特殊作品・・

高難度のカノン風変奏曲「高き御空よりわれは来たり 」=

対位法(複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和させて重ね合わせる技法)の作品=特殊作品

 ( Vom Himmel hoch da komm ich her)」BWV769

http://www.youtube.com/watch?v=_Un6xDVkg_Y