今日は、行きたかったけど行けなかった城 大和国平群郡 信貴山城 へと行ってきました、
河和国境の要地であり、いまは朝護孫子寺の空鉢堂が建っている最高所を中心に山の要所を要塞化しています。
特に北に延びる二本の尾根を念入りに加工しています。
案内図に 『石垣』 とあったので見てみると、工夫されたっぽい虎口があったのでここだけ摂図。
全体は無理なので、高安山城だけ見ようと思ったのですが、なんかイメージが違う。
この横堀こそまさに松永弾正っぽいではないか!慌てて摂図。
しかしこの、城址を分断する林道はイケませんなあ…土塁と横堀が北側最高所の、おそらく主郭にどう絡んでいくのかが分からないではないか!ハイカーはほとんどこの削道を通らずに城跡を通っていると いうのに・・・
ばかなの?あたまわるいの?
これはアレだな、もともとの城が北側で、弾正の城が土塁囲みのⅡ郭で、その上に最終形態=織田軍の陣城である とか誰か言ってました?