備後国沼隈郡山手銀山城記 | 根多帖別冊 by おしろまん

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絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
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先週、『備陽師探訪の会』 の皆様が測量をされるということでしたのでお供させていただきました。

広島県福山市山手町の 銀山城 標高は249.8m 芦田川の河口を直下に見ますのでほぼ標高=比高です。

城の規模は東西・南北供200mほどで、北の山続き(図Nよりさらに北)にも堀切のようなものが数か所ありますが、削平があまく今回見たのは図示した範囲。

縄張

主郭部Ⅰは南北100m×東西20mと城内で最高所で最も広いパーツで、西(Ⅰw)と北東(1E)に腰曲輪があります。

主郭北1/3(Ⅰn)はⅠ西・北二面に土塁をめぐらしています。本体より少し低く南東・南西それぞれに入口がありますがこれが当時のものかどうかはわかりません。

主郭部には北西端に土壙が、南東に石組みの井戸のようなものがあります。南西・南東両隅には結構大きな石垣の基底部があり石垣の可能性があります。

その南のⅠsは主郭の一段低い突出部で、南面がⅠの南両隅と同じように石垣を想定させます。

石垣

同じような施設が播磨国赤穂郡上郡の駒山城にありますが関連があるのですかね。

南にⅡ郭・Ⅲ郭が連なり、面積はだんだん狭くなっています。Ⅲ郭の北にはⅡ郭との境に横堀のような窪みが見えます。

Ⅱ郭の南東隅は張出したように見え、下はⅢ郭から東に向かった虎口になっていて外は外桝形状に受けておます。そこから主郭部の東を降りていく登城道で畝状竪堀がはっきりしているもので四条あります。その一番北のものがそれらを纏めて東南へ竪堀となって降りています。

畝状竪堀

その堀を逆に北に登るとEⅠから始まる東曲輪群です。西の主郭ⅠEからは完全に眼下ですが。

EⅠから東南に段状に曲輪を構えEⅣ南面には長さ20mを越えるような石積が見られるほか、要所に石を積んでいます。

石積

またその周囲・東部から北部にも畝状竪堀の痕跡のようなものがありますが、東曲輪群南面のようにはっきりしたののではありません。

この城はⅠn・Ⅰw・EⅠなど主な曲輪の北側に土塁を設けている。尾根続きを守るためか、風除けのためか、あるいはその両方か。

主要部と東曲輪群の間の畝状竪堀群のほかにⅠw西下、Ⅱ・Ⅲ郭西下に畝状竪堀が見られます。

ただ延長上にも痕跡があり、もっと増えるかもしれません。

これらは凹部の斜面につくられたせいか、斜面下で合流するもの…『y字竪堀』とでもいいましょうか…が多く特徴になるのではないでしょうか。


以上のように毛利氏配下の杉原氏の城として十分な備えを施した大変貴重な遺構であると感じました。

畝状竪堀などの中世的遺構に加え、織豊系城郭の特徴をも備えている可能性があるので、存続時期はもっと伸びるのかもしれません。