昨日訪れた 河内国交野郡 交野 (かたの) 城
昨日もここで 『私部城』 と書きましたが、交野市が私部にあるからそう呼んでいて、歴史上は
『交野城』 が呼称であるらしいので、ここでは 『交野』 城で統一して行きたいと思います。
『某お城会』 のメンバーと交野市駅で待ち合わせ、総勢五人で出発。10分足らずで郵便局へ。
ここに土塁が残っているということだったのですが、あれ?なんか低い。
一番下画像のものと同じものを持って歩いたのですが、図があちこちで変である。この土塁の東に図示されている土塁も現実には南へ折れている。
このあたりの土塁と堀の関係が全くわからない。この図はあてにならんな…。
画像は本郭を北西より。右が 『本郭』 と 『二郭』 のあいだの堀。見事な切岸である。
南は民家が立ち並び入るのを躊躇われる。北側は少し窪んでいる部分がある。これはなんだろう?
二郭は 『天守』 という字名がのこる。踏査メンバーも 「こっちが主郭なのでは?」 という意見が聞かれた。実際 「湿地に突き出た丘の先端」 はこっちであろうから。
この郭の北は溝川に面しているが、図に表記されていない段があった。これは生きる (城が利用された時期のもの) のだろうか。
途中西北の丘の境から免除川、東南の砦跡に比定される寺院群を廻るなど二時間以上にわたっての踏査会でした。
上記の疑問は夕方からの「某おしろ会例会」で解けるのだろうか?
~つづく