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2016-02-20 20:01:11

京都のおすすめ庭園 FBより転載

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京都のおすすめ庭園



京都の日本庭園でお気に入りはこの三つ。





洛北・蓮華寺

蓮華寺



圓徳院北庭


圓徳院 北庭



無鄰菴


無鄰菴


三つに共通するものは、徹底的に配置・管理された庭というところ。



例えば紅葉。そこには自生した自然林としての紅葉ではなく、計算の上に配置された美学があり、しかしそれはあたかも自然のままを意識させる配慮を感じます。それはワインでいうところの酸化防止剤的な、目には見えないけれど、キチリと管理された美意識に包まれているかのようです。自然のままではなく、人によって管理されている美。その美の追求には、主(あるじ)や庭師の哲学があり、植木職人の日々の仕事があります。人と自然との調和をもって、その庭園は、私の心の奥に染み入ってくるのです。



蓮華寺は、天台宗の寺院で池泉鑑賞式庭園。書院の縁側から、置石に導かれるように、池に進めば、船形をした石があり、その船に乗って対岸に進めば、亀島と鶴石に迎えられ、岸に上がると、行燈の明かりを頼りに、蓬莱に向かうことができるというストーリー。



死への不安と浄土への憧れを蓮華寺の小さな庭から感じいり、春なら青葉、夏なら強い日差し、秋なら紅葉、冬なら雪の白によって彩られつつ、生ある自分を見つめたりできます。




圓徳院北庭は、豊臣秀吉の正妻=北の政所=おねの終の棲家。淀君と対立し、徳川家康に恭順を示した北政所を慕って、豊臣恩顧の家臣が、こぞって自慢の大岩を進呈し、伏見城から移されたこの地にあって、枯山水の庭に、巨大な石が立ち並ぶ風景は、圧巻です。



徳川家によって、豊臣関連の建築物は全て破壊されたにもかかわらず、北政所の安住の地には、時の権力者=徳川家康の配慮もあって、極めて例外的に、豊臣の面影を感じることができます。その北政所への忠心を、北庭に感じる時、豊臣恩顧の「恩顧」の意味を強く感じます。



時として、書院から眺めるたくさんの巨石は、北政所に跪く家臣その人に見え、あの石は福島正則かな、加藤清正かな、蜂須賀小六かな、など思いを馳せたりします。そしてこの庭から離れる瞬間、この庭を真横から眺めるチャンスに恵まれますが、そこにある巨石は、明らかに北政所が座っているであろう場所を見つめていて、その石の正面を強く意識し、その石は人そのものなんだと、心揺さぶられたりします。




そして無鄰菴。明治期に、山県有朋の別荘として作られた庭は、盆栽の宇宙観を強く感じます。盆栽を鑑賞するにはふむふむふむと腕を組んで上から見つめてるようでは、その良さは分からず、地を這うように下から目線でその枝振りを眺めれば、そこに宇宙を感じるよと、以前アドバイスしていただいた某女性の笑顔を思い起こします。


そして無鄰菴。明治期に、山県有朋の別荘として作られた庭は、盆栽の宇宙観を強く感じます。盆栽を鑑賞するにはふむふむふむと腕を組んで上から見つめてるようでは、その良さは分からず、地を這うように下から目線でその枝振りを眺めれば、そこに宇宙を感じるよと、以前アドバイスしていただいた某女性の笑顔を思い起こします。


盆栽の中は歩けないけど、無鄰菴は歩ける大きさ。中央には琵琶湖のような大きな湖があり、そこから流れる川は、時として急流で、時として緩やかな大河を連想します。湖の奥には三段の滝が控えていて、草原あり、森ありと、意図された大自然を体感することができます。お茶室もあり、自然と人間の共存もあります。この無鄰菴の本当のすごさは、この庭から出て、ためしに外周をぐるりと歩いた時に感じます。


中にいた時には感じなかった、小ささを感じるのです。無鄰菴の横にある瓢亭の湯気を見て、通りに出れば南禅寺。左に折れて右を眺めれば、動物園のキリンも見えたりして、もう一度左折すれば、あっという間に一周です。カットされたチーズケーキのような小さな三角形を、ぐるりと回って、あれっと感じます。こんなに小さいのか。中の壮大な宇宙観と外周の小ささ・・・そのギャップに、日本庭園の美学を体感するのです。


京都のお気に入りの三つの庭園は、季節を変えて、訪ねたい。


そんなことを思いつつ、京都にはたくさんの素晴らしい庭園があり、今回はどこに行こうか、嬉しく悩むのも、京都の楽しさだったりします。


そうだ、京都、行こっ。


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2016-02-20 19:40:44

「いただきます」という言葉がない国の「ビオディナミ農法」

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「いただきます」という言葉がない国の「ビオディナミ農法」と、「いただきます」「ごちそうさま」がセットで尊重される国の「旧暦でする農業」の違いについて。


今まで、ビオディナミ農法を、最も短く表現すれば、天体の動きに連動した動植物相と微生物相の尊重による農業という認識で、言うなれば洋の東西の違いこそあれ、それは旧暦で行う昔ながらの農業に極めて近い農法だと思っていました。


しかし最近、西洋諸国や中国には「いただきます」という言葉自体が、なぜないのかを知る機会があり、ビオディナミ農法と旧暦農法の違いが鮮明になったりします。それは、ルフレーヴの従業員だった人のビオディナミの本に、突っ込みどころが満載だなあと思う違和感にも通じて、されど、それは「いただきます」が言葉として存在しない理由によって、はっきりと確認できたりします。


それはつまり、神様とヒトと自然の関係の違いによるところです。キリスト教と日本古来の神道とでは神自体が違ったりしますが、そこは大雑把に「神」で統一させていただきつつ、三者の位置関係を示せばこんな感じになると思われます。



【日本】


神=自然

 ↑

ヒト



【西洋諸国】




ヒト


自然


日本には、八百万の神に代表されるように、山にも石にも、水にも神様が宿り、神イコール自然を連想させ、命を頂戴することになる食事に際しては、その生と死に感謝して「いただきます」と拝するのが日常になっています。そもそもお箸は、神人共有であり、神事にも日常にも使われる道具。その箸の作法こそ、「いただきます」の精神に通じると信じます。ちなみに、ごちそうさまは、その食事を準備してくれた人たちに感謝する言葉ですね。


一方で、西洋諸国の位置関係を聖書に求めると、1:創世記/ 01章 26節によれば、「神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 とあり、つまり自然とは、ヒトによって支配されるという自然感。普通、支配している方には感謝はしないので、ゆえに食事に際しては「ポナペティ=さあ召し上がれ」という言葉はあっても、目の前の命に関しての感謝の言葉はないのだと知りました。食事の前に祈りをささげる対象は、神であり、自然の方ではないからです。


自然はヒトによって支配されるもの。そう考えるとビオディナミ農法は、その支配の手段の一つと考えることができ、ビオディナミ農法の畑に農薬が降りかかっても、ビオディナミだから影響ないという考え方の基にもなっているような気もします。


日本人は、無意識に自然は神と同じなので、崇拝の対象でもあり、自然の恵みに感謝するための農業に、敬意と、より自然へのアプローチに過剰な期待感を持つのかもしれません。


ビオディナミ農法でよく語られる自然へのリスペクトには、実は支配という前提があることを知ると、日本人の農業感や食に関する感謝の気持ちとは、価値観が違うのだという認識を新たにします。その上で、ビオディナミ、ビオロジー、酸化防止剤への警告のニュアンスを知ろうとするほどに、今までとは違った側面から観察もできたりします。


今さらながら、昔集めたビオディナミ関連の本を、再度読み返すと、面白いように、今までの違和感がなくなって、雲が晴れるように、すんなりと読み進めることができるから不思議だったりします。


ちょっと飲みすぎたかな。変な文章になってるかもしれず、明日の朝、読み返して、やばそうだったら消しちゃお(酔)

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2016-02-20 19:14:14

尾形光琳の紅白梅図屛風は、驚異的な3D。

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尾形光琳の紅白梅図屛風は、驚異的な3D。


熱海のMOA美術館が所蔵する国宝「紅白梅図屛風 尾形光琳 筆」は、梅の季節だけ展示されることでも知られる琳派を代表する名画。この絵を拝観するためだけに、梅薫る熱海に立ち寄るのも素敵な時間の過ごし方と信じたりします。せっかく来たので・・・という方には、帰りがけに、銀座通りの中腹にある「ときわぎ」さんで名物うぐいす餅を買い求めるのもいい感じ(笑)


さて、光琳の梅。


何が素晴らしいかについては、MOAの解説やグーグル先生を検索しても、なにやらピンときません。実際に展示室で拝観する人たちの行動を見ていても、「あった」とか「すごいね」という感想を溢しがちに、絵そのものよりも解説文の方を目を凝らしこらし読んでは、ものの1分程度で退室してしまう人多数な感じでした。


もったいない。


この絵の醍醐味は、3D=立体感にあると言っても過言ではないと信じます。ただ眺めているだけでは感じることはない、ちょっとした一工夫でもって、この立体感に触れることができれば、この絵の中に吸い込まれるように、画像が揺らぎ、初めて見た3D映画のように、そこにある梅を触ろうとして手を大袈裟に振ってみたくなるのです。


それなのに、絵の確認作業だけで終わってしまうのは、あまりにもったいないと思うのです。


どうすれば3Dを体感できるか。


自分が動くんです。展示室の中を・・・。


二本ある梅の木の・・・特に右側の紅梅の幹に視点を固定して、蟹歩きのように右に左へ、時に斜めに、時にまっすぐ後退して・・・満員の展示室では難しいですが、人もまばらな時なら、展示室を徘徊するチャンスを生かすべしです。


するとどうでしょう。さっきまで屏風に書かれていただけの梅が、ふわっと浮き上がり、さも手招きをしているかのように、絵の中の世界に誘ってきます。紅梅は後ろ向きの人の姿にも似ていて、北東の方向に歩き出しそうな擬人化を連想したりもしつつ、しかし、その擬人化とは違う、植物としての立体の世界を体感しうるのです。


梅が動く・・・ザワザワザワっと動くように見えてくる。視線を固定しながらも自らが動くことによって、梅に対する目線の角度が変わり、それはあたかも3D眼鏡をかけた時のような感覚にも似て、梅が浮かび上がり、その世界に迷い込んでしまうのです。


この感覚は、オルセー美術館所蔵「りんごとオレンジ ポール・セザンヌ」のりんごが、まさにテーブルから落ちそうな、いやいや落ちない・・そんな一瞬の「ひやっと」が封じ込まれているかのよう。


静物画の巨匠ポール・セザンヌによるりんごが落ちそうな躍動感を初めて知った時と同じか、それ以上の動揺が私を包み込みます。セザンヌより300年も前に活躍した尾形光琳。その琳の一文字を取って「琳派」と名付けられた美の継承を、この梅の木によって体感するとき、ゆえに国宝なのかと思ったりするのでした。そしてこの構図は、俵屋宗達の風神雷神図屏風に隠れる三角形の構造にそっくり・・・それゆえに琳派と評されるんですね。


ちなみに、視線固定の展示室移動の鑑賞方法=名付けて蟹歩きの術(笑)は、ダ・ヴィンチの最後の晩餐、ムンクの思春期、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像、興福寺の阿修羅像などを拝観するときにも有効です。

一年に一度の光琳の梅との出会い。蟹と戯れるように、いやいや蟹になったように、梅を見つめて・・・。きっとドキドキします。


参考資料

尾形光琳筆 紅白梅図屛風
http://www.moaart.or.jp/collection/japanese-paintings54/

セザンヌのりんごとオレンジ
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/101218/

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2015-05-20 19:31:27

料理人をその気にさせる食べ方で

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FBで、なぜかシェアをたくさんしていただいたので、ここにもコピペ。



 私は料理人ではありませんが、時々カウンターの中に入らせていただいて、ワインのサービスをさせていただくことがあります。カウンターの中からの風景って、意外に、全部見えるもんですね。



 その方の食べ方や仕草、振る舞いなどは、料理人でない私ですら瞬間的にわかってしまったりします。カウンターからは見えないだろうと油断していても、実は見えている。料理人は、決して見えているとは言わないけれど、つぶさに見えてしまっているのです。逆に言えば、私たちの仕草は料理人にはバッチシ見えているということを踏まえて、食事をすると、料理人をその気にさせる食べ方があることに気づきます。



 ある鮨職人は、お客様が口のどこの部分を多用して鮨を食べるかを判断して、その方が食べやすいような形に整えて寿司を握ると言います。曰く、前歯で噛み切るスタイルか、奥歯で噛みしめながら食べるタイプか、御飯の量の適量具合など、すべて調整している。その方にあった鮨を握ると言います。ゆえに隣の人との鮨は、同じネタを同じ職人が、順繰りに握っていても、それは違う鮨だったりするのです。



 料理人からひとこと添えられる「熱いうちにどうぞ」「冷たいうちにどうぞ」「握りたてをどうぞ」に注意して、料理人の心意気を肌で感じたいものです。(この言葉を言わせている段階で、ダメという説は十二分にあります・・・そのタイミングで食べてないから、言わせてしまう・・・)



 料理人をその気にさせるには、食に対するこだわりを料理人と共有することが大切と信じます。鮨や天ぷらなど、目の前に置いた瞬間こそが、うまいと言われる食べ物は、置いた瞬間に食べるのが良く、食後に料理人とアイコンタクトをするほどに、笑顔で満たされてしまいますです。



 お連れの方との楽しい会話に夢中になりすぎて、そのサインを見逃し続けると、あくまで推測ですが、料理人のテンションは下がりそうで、その一瞬にこだわる食べ物から、そこに置いた食べ物へと、その性質が変わってしまう可能性があります。このこだわり抜いた料理を食べてください、からの・・・ご注文された食べ物をご用意しました・・・に思えてなりません。



 料理人と価値観を共有して、あなたのために握られた鮨、あなたのために揚げた天ぷら、あなたのために焼いた鳥、あなたのために炊いた野菜、あなたのための出汁・・・を味わいたい。



 煙草や電話のために頻繁に席を外したり、会話に夢中になったり、トイレのタイミングが合わなかったりすると、料理人はいつ、その料理を出したらよいか戸惑い、瞬間にしか味わえないピンの味わいを提供することは難しくなるといいます。



 ホテルや宴会場の料理とは違って、食の世界の頂点を目指している料理人とのコミュニケーションは、その意気込みや匠や瞬間を共有してこそ、その醍醐味が味わえると信じます。



 和食屋さんでは、指輪ギラギラな手で、漆塗りの器や、名のある職人の陶磁器をぞんざいに触られると、私ですらドキドキします。箸の持ち方は手元を見ないようにすれば何とかなりそうですが、カウンターに肘を付いて食べたり、料理に注意が向かないままでいられると、私は、寂しくなります。逆に背筋を伸ばして、美しく食事をされる方を見かけると、職人魂にも火が点きそうなほど、気合も入りそう。(推測ですが・・・笑)



 料理人に気持ち良く仕事をしてもらう食べ方で、食事をすると、きっと楽しい。好みや気心が知れれば、好きな部位や焼き加減も料理人におのずと伝わり、貴重な部位や熟成の頂点など、とっておきに出会えたりしそうな予感も漂います。



 レストランは、おいしいご飯を食べるところではなく、ご飯を美味しく食べるところ。ご飯をおいしく頂けば、自ずとおいしいご飯が用意される・・・自然な流れと信じます。



 料理人とカウンターを挟んで共有する食の喜び。その先にあるものは、きつと至福なひと時。料理人をその気にさせる食べ方=おいしく食べる、を実践すれば、きっとご飯は、ますますおいしくなると信じます。



その食べ方、見られてますよ。

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2015-04-06 09:57:43

すし晴海 奥田透の挑戦

テーマ:レストラン 東京

すし晴海



 銀座小十の奥田さんがプロデュースするお鮨屋さん。以前は違う名前でしたが、昨年11月にリニュアルオープンされています。何を隠そう・・・隠してないけど・・・私・・・すし晴海オープン初日の最初のお客さんだったりします(オープン初日に行ったお鮨は、上野毛の鮨いちかわさん以来二度目・・・あの時はランチで完全ひとりというすごいひと時でした・・・お茶持ってきてくれるのが堀内さんだったし・・・ひい・・・) 


 そんな半年後、銀座小十さんでの魂の会のあとに、ひとり二次会的に再訪してみました。


 すし晴海さんの最大の特徴といえば、ずばり一万円。銀座の超一等地(斜向かいはロオジエ)なのに1万円(税・サは別)で、小十さんと同じ仕事の料理と江戸前の握りを10貫に、お寿司屋さん史上最も手の込んだデザートを食べれてしまう。


 L字型のカウンター10席のお店は、銀座小十さんの常連さんらしきハイ・センスな方たちや、初めてデートに鮨を選んでしまいました系のカップルや、箸遣いも巧みな世界各国の外人さんたちで賑わいつつ、今宵は(も)、私は一人で(笑)


 最初の付き出しと焼き物は、小十さんと同じ仕事と同じ食材・・・というか同じスタッフがローテーションしてるみたい・・・。ここに、銀座小十=銀座奥田=すし晴海の三つのヒエラルキーを感じ、その各店のポジション取りの巧みさに、ふむふむふむ。奥田さんの日本料理の縦の世界観を感じ、次こそは小十に行ってみたいと予感させるストーリー性も素敵です。


 最初のよもぎ豆腐は、蓬蕎麦っぽくもあり、モチモチモード絶好調系にして、一瞬寿司屋に来たことを忘れさせてくれます。あれ。お鮨屋さんのアテって魚を切ったり炙ったりするのが多いはずなのに・・・という実体験とは矛盾するかのように、割烹料理が一発目から食べられるのがいい感じ。この一品目で、ここは他のお鮨屋さんとは違うよオーラが出ています。二品目は、蛍烏賊と炊いた野菜の胡麻ダレ掛け。今回ウーロン茶と合わせたので、ゴマダレのハイ・インパクトに違和感を感じましたが、シャンパーニュと合わせてみたら、楽しそう。シャンパーニュに負けない強さが、二敗目の泡を呼び込みそう(酔) 


 からの、イカそうめん。出汁の中で身をひそめる団子かと思いきや、太めに切られた烏賊そうめんが、ぐいっと丸まっていました。ほぐして出汁と絡めて・・・そうめんというより烏賊うどん的な食感は、出汁とよく絡んできます。個人的にはカペリーニ的な細麺の方が好きかもですが、それだと一気に飲んで終わってまう・・・この太さが、酒のツマミになるんですね。料理屋さんの料理ですわ・・・これ。イカそうめんが、確実に日本酒を呼び込んできますね。


 今宵の焼き物は、鰆の味噌幽庵焼きは、絶品。あれ。これって小十さんから持ってきました?系かも。若い衆がダッシュで小十の厨房から持ってきたのかと質問したくなりつつ(笑)も、時折見える暖簾越し、二人の料理人が料理をしている姿を見ては、奥田イズムが次の世代に伝わっていることに、羨ましさも募ります。濃いめの辛口リースリングも楽しそうかもと思ったりしつつ、ピノ・ノワールなら何がいいかと空想しながらの二杯目ウーロン茶(笑)


 握りまでの四種類のお造り(ではない、これはお料理)を楽しみながら、このカウンターでワインやお酒を飲んでは、談笑するにはもってこい。サロン的に、語らいの場的に、普段使いよりもワンランク上な接待モードでも楽しめそう。ひとり寿司だと、語りあう人もいないので・・・まだ鮨は来ないので、イライラするかも、なので、スシヲタ的な人には、向かないかもと、この時点で思ってみたり。(私はスタッフと顔なじみなので、いつものようにおバカトークですみません)


 そして、いよいよ握りがスタートするかと思いきや・・・大将が、奥から寿司桶をふたつ持ってきて、ご飯をよそっては、白酢と赤酢のふたパターンの酢飯を作り始めました。おおお。このスタイルは、以前と同じ。時折こっちにもやってくる酢の香りに、一瞬むせながらも、劇場型お鮨の始まり始まりを予感させつつ、大将は無言で酢飯を作ります(笑)


 準備が整ったところで、握りがスタート。大将に話しかけると、極めて丁寧な言葉遣いで説明してくれますが、たどたどしさと丁寧すぎる言葉遣いに、イラッとくるかもと思いつつ、大将のゆるキャラに慣れとくると、ほかにはない独特の話し方に、「ここだけ感」もにじみます。個人的には、ここでしか味わえない食空間があるお店が好きなので、大将の話しぶりも、慣れるほどに、いい感じ。大将が、近い将来、若い衆にテキパキと仕事を指示する仕草も見られる・・・のかなあ・・・ぜひになってほしいなあ。でもこの話し方も味の一つかも。ほめてるのか、けなしてるのか・・・まあいいっか。


 白酢と赤酢のふたつのシャリが並んで、いよいよ握り。大将の独特のペースで、ゆるくスタート(笑) この段取りのゆるさも大将の実直さでカバーされては、「ザギンでしーすーのピン」を目指していない雰囲気こそが、すし晴海ワールドかも。ネタには丁寧な包丁が入れてあり、口に含むと軟らかさがひときわ輝きます。特に烏賊の握りは、烏賊の握り史上最も柔らかく(自分調べ)、緩めの握りとよく合って、いい感じ。グルメレポーターが、このお鮨、口の中でなくなっていく・・・みたいな・・・違うかな(笑)


 漬けの仕事もいい感じ。このネタには白酢、こっちのネタには赤酢のシャリが合いますよ的な説明は特にありませんが、ないんだ(笑)、このころには大将の話し方にも慣れてきて、あ、大将の名前は、吉谷(よしや)さん、なんだか、すし晴海ペースになってきます(いいぞ)。


 あれこれと握ってもらって、6貫目はコハダ。コハダには、御飯との合間に海老のオボロが仕込んであって、そんなにきつくない酸味のあとで、ほろりと甘みが口に残ります。個人的には、コハダは〆方に良し悪しがあるかと思いつつ、オボロ版は初めて。聞けば、このスタイルは都内でも結構メジャーみたいで、私が行くお店には、たまたまないだけなのかと思ったりしました。最近は、効き過ぎの酢は、敬遠されがちで、絶妙を狙うコハダよりも、緩めの酢と甘みが、好評とのこと。メモメモメモ。そして大将の独特トーク、ようやく耳になじんできました(笑)。


 6貫握ってもらったところで、出汁巻き玉子登場・・・うまいなあ・・・。でもこのタイミングで・・・面白いなあ。再び握りに戻って2貫。蛤美味しいなあ。と思っていたら、お椀が登場・・・鯛の頭が潮汁に沈みつつ、具がいっぱいついている・・・ラッキー・・・私だけかな・・・そうだったら隠して食べよ(隠)。小十の潮汁・・・直前の魂の会で眺めていただけに、この潮は、体に染みてきます。そして握りに三度戻って・・・このスタイルは銀座というより西麻布系ですね。鮨に集中しがちな私に、ほっとブレイク。


 小柱と穴子を握ってもらって、ちょうど10貫。もう少し食べたいいかもと思って、鉄火巻きをお願いしたら・・・御飯が薄く、ほとんどが鮪でした・・・このバランスの悪さ、素敵です・・・ありがとうございます。


 これで1万円かあ・・・(巻物除く)・・・銀座も奥深いなあと思っていたらデザート登場。3種類から選べるみたいですが、フルーツをチョイス。小十なら、これにスプマンテのロゼが掛るのかなあと思ったりしつつ、お寿司屋さんのレベルではないっす。割烹の、それもデザートにもこだわる割烹の甘味ですね。(寿司屋の定番のデザートといえば、玉子焼きですが、ココでは登場しません。出汁巻き玉子がその代り、みたいです)


 ふと・・・そういえば、海老食べてないなあ、ウニ食べてないなあ、鮑とか・・・そうか、それ食べたら銀座で1万円は無理だなあ・・・でも・・・それがなくても不満はなく、むしろ、それがないからこその、すし晴海ワールドなんだと思いつつ、熱いお茶をすすりながら、ひとり反芻するのでした。


 鮨だけを食べるのではなく、割烹と鮨のベストミックス的にして、1万円、二人で飲んで2.5万円・・・シャンパン飲んで3万円って感じの設定は、銀座ではないか、あっても喫煙可能な接待系しかなさそうで、あえて寿司の頂点を目指していない潔さと、銀座小十と同じ仕事のお料理に、デートも商談も飲み会も、楽しく成功するんだろうなあと思ったりします。またはふらりと一人で、銀座メシ。


 銀座に3店舗、パリに2店舗(パリ奥田と鮨奥田)を経営し、フランスで魚屋さんも経営しようとしている奥田透の世界を、すし晴海に感じます。頂点から、その頂点を目指す入口(=すし晴海)まで用意されている奥田ワールド。1万円といえば、食べることに興味がない人にとっては高いですが、食の世界に魅了され、感動を求めている人にとっては、安すぎる設定。器ひとつ何万もする日本料理の世界観。季節を重んじ、理をはかる料理の世界。奥田透を通して感じる自然の営みや日本料理に伝統と革新は、敷居も高く、それなりの見識やらを求められがちですが、まずは、すし晴海という舞台が用意されていることに、食の丁寧さを感じます。


 まずはこの場所で鮨と料理を食べる。食に命を懸ける人たちの思いは、それを知ろうという人にしか伝わりませんが、それを知りたいと思う人には、予算に応じて、シチュエーションに応じて、いろいろと舞台が用意され、それが伝承されていく仕事が、人から人へ、を意識させてくれたりします。


 以前のカウンター6席の小さな銀座小十は、移転を機に、大きくその役割を変えました。6席ではできない仕事を、銀座とパリの一等地で展開する奥田透の世界は、奥田さんが作る料理を食べたい人には、距離を置かれがちですが、奥田透の世界を楽しもうとする人たちには、世界に伝える日本料理の極意と真髄を、共有したいと思わせてくれるところが、すごいです。


 フランスで魚の革命を起こしたい。童顔の笑顔から凛々しく発せられるメッセージは、セカンドステージからサードステージ、四つ目の舞台と周到に用意され・・・奥田透の野望と、丁寧さを忘れない仕事、それに共感すればするほど、痒いところに手が届くホスピタリティに、食の楽しさを知るのでした。それは、あまちゃんの世界観にも・・・あれ。鮨の感想のはずが・・・あまちゃんが出てくると、もっと長くなるので、強制終了。


 そんなこんなで、すし晴海。おちゃめな鮨職人と裏方に料理人ふたり、そして割烹着を着させたら日本一の美人女将(っていうのかな・・・20代・・・若い・・・)の四人のスタッフにお世話になりつつ、楽しいひと時に大感謝です。


土曜日の二回転目が穴場かもですね。

(鮨と料理の写真はFBにて)


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2015-03-28 11:02:21

自分勝手なパン・オ・ショコラ考

テーマ:食べ物

 前回のクロワッサン編が好評(自分調べ)だったので、調子に乗って、パン・オ・ショコラについての自分勝手な考察を。


 そもそもパン・オ・ショコラには個人的な思い入れがあって、それはつまり、今はなき伊勢原の名店「ブノワトン」のパン・オ・ショコラに、あまりにも感動しすぎて、パンコーディネーターという資格まで取ってしまったりする事実に直面するのは、すべてはパン・オ・ショコラのせいだからです。


 10年ほど前、「ブノワトンというおいしいパン屋さんが伊勢原の東海大学の近くにあるらしいよ」という噂を聞きつけ、何回か通うも、今一つぴんと来ず、私が買っているパンは、ほかの人が絶賛するパンとは違う銘柄なのかなあと常々思う日々を過ごしたりしていました。


 平塚にはフランス人シェフが焼くパン屋さんがあり、そこのパンを、ブルゴーニュワインと共に、週に何回も食べている自分としては、いわゆる堅いパンには馴染みもあって、そこそこフランスパンは食べてるぞと自負したりしつつ、ブノワトンのパンって本当においしいのかなあと疑心暗鬼になりながら、それでも時々通ったりしていました。当時のブノワトンは、いわゆる行列ができるパン屋さんで、駐車場には警備員が配置され、店内もレジ待ちのお客さんで列ができていて、個性が強めな店員さんには賛否両論ありつつ、午前中に行かないと、パンは売切れてしまい・・・うーん。ようやく買えたパンも・・・うーん。おいしいけど、普通・・・・みたいな。伊勢原・・・意外と遠いんだよなあ・・・。


 (後日談ですが、ブノワトンのパンに当初は感動しなかったのは、フランス産の小麦のハイ・インパクト、白さ、うまみ等に慣れていたために、ブノワトンがこだわる国産メインの小麦粉の地味さに戸惑っていたと思われます。その戸惑いは、高橋シェフと偉大なるスタッフの熱意と技術によって、知らぬ間に克服されることになるとは、この時はまだ、気が付かなかったのでした・・・)


 そんなある日、私は出会ってしまいました。それは突然やってきました。なぜ、今までそれを買わなかったのか・・・不思議な心持と共に。地球上で最もおいしいパンに出会えた悦び。それこそが、ブノワトンのパン・オ・ショコラでした。あのサクサクの生地に絶妙にマッチするチョコレートの歯ごたえと、油脂分の調和・・・。完璧な食べ物が、ここにあるという奇跡に似た感覚は、今も忘れることはできません。


 ブノワトンの高橋シェフは、数年前に他界され(平成21年8月1日)、その後ブノワトンは閉店し、お弟子さんたちが、シェフの遺志を継いで各地でパン屋さんを営んでいます。ブノワトンの跡地と高橋シェフが始めた石臼製粉会社ミルパワージャパンは、ブノワトンのスタッフ・ツートップだった本杉夫妻に引き継がれ、パン屋さんはムール・ア・ラ・ムールとして同じ場所で独立され、湘南小麦プロジェクトなど、そのまま継続され、大繁盛されています。


 高橋シェフの偉大さは、稚拙な私の文章では表現しえませんが、国産小麦にこだわり、小麦の挽き方、石臼の温度、小麦にまとわりつく虫の研究等々、本物のパンとは何かを追及された方で、一般の人を対象としたパン教室も主催され、なにを隠そう・・・隠してないけど、私もその教室で、高橋シェフから直接パン作りを指導されたりしました。


 ブノワトンのこと、高橋シェフのことを知れば知るほど、パンが愛おしく、おいしく感じられ、パン・オ・ショコラ以外のパンにも、ようやく感情は移入されて、ブノワトンのパンを食べる喜びに包まれたのでした。その中でも、やっぱりパン・オ・ショコラは別格でした。


 ブノワトンのパン・オ・ショコラがどのくらい好きだったか・・・・当時、私のお土産の定番となっていて、毎回予約で10-20個ほど確保しては、いろんな人に配りまくったりしました。予約を忘れて買いそびれた時は、先方さんの寂しそうな横顔が、今も脳裏に焼き付いています。


 そんなパン・オ・ショコラですが、今は名古屋のバゲット・ラビットで食べることができます。ムール・ア・ラ・ムールでは大人の事情によりデニッシュ系は未販売のままで、ブノワトン・レシピのそれは、名古屋で買うのが定番コースになっています。


 ブノワトンの話は置いといて、パン・オ・ショコラに関しては、私は一つの確信があります。それは、両方提供するお店において、パン・オ・ショコラとクロワッサンの品質には差が出てしまうという事。クロワッサンが素晴らしいお店では、パン・オ・ショコラにはそれほどの感動は覚えにくく、またパン・オ・ショコラで心震えても、クロワッサンではそこまで震えないという現実に直面します。


 両者は、ただ単に中にチョコが入っているという違いではなく、根本的な違いがあると信じたりします。どちらかが秀でると、どちらかは、そこまで追随してこない。常にそう思います。それは伊勢原でも、飛騨高山でも、江戸堀でも・・・。なぜなんでしょ。両方が頂点だ思うお店には、いまだに出会ったことがありません。


 パン・オ・ショコラの魅力は、バターのリッチさと生地のサクサク感とチョコのなじみ具合の絶妙なバランスにあると信じます。車内で食べれば、車がパン屑だらけになるほどバラバラする木の葉感と、ジュワーりと馴染む心地よさ。目覚めのコーヒーと共に食べることができたなら、それは至福の一日が約束されたも同然です。


 多くのパン・オ・ショコラが、モチモチしすぎたり、ふわふわしすぎたり、チョコが多かったり少なかったり・・・自分好みのそれにあたることの方が少ない現状から、パン・オ・ショコラを買うお店は、必然的に固定化してしまうところが、痛し痒しです。ただ最近では、陳列されたパンを見た瞬間に、好みかどうかは、わかるようになってしまい、それは実食すると概ね当たっていて、パンの世界を益々狭めたりするのでした。


 自分好みのパン・オ・ショコラに出会えた時、その喜びの余韻は一生続くと信じつつ、そんなパンに一人でも多くの人に出会ってほしいと思いつつ、なかなかに出会えないジレンマに駆られたりするこの頃です。


 たったひとつのパン・オ・ショコラで人生は変わる。そんなことを感じつつ・・・最後に、自分の好きなパン・オ・ショコラを列記して、このページ無理やり終了しよっと。



超個人的におススメのパン・オ・ショコラ


大阪・江戸堀 ルルット 


エシレバターの艶やかなリッチさと、一枚一枚剥がれ落ちそうなサクサクの生地、絶妙な量のチョコレートのバランスが素晴らしい。



京都・佛教大学の奥 クロア 

素朴さを感じる焦がし感の強い生地が特徴。タイミングが悪いと売ってない。



名古屋・自由が丘 バゲット・ラビット

ブノワトン・レシピ。リッチなのに軽やか、余韻も長いし、思い入れも深い。



札幌 コロン本店

創生川のベンチに座って、パクリとやるのが札幌の朝。なぜか赤レンガ・テラス店には売ってないっす。



おいまい。

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2015-03-21 15:27:21

自分勝手なクロワッサン考

テーマ:食べ物



クロワッサンには4種類のカテゴリーがあると思います。


1つめは、そこにあるクロワッサン。


たとえば、フランスのホテルのビュッフェ式朝食に必ずあるクロワッサン。このパンはなんですかと問われれば、クロワッサンですよと答えられるもの。ごく普通にあり、ごく普通に食べるクロワッサンのこと。前日のカロリー摂取量に応じて、食べたり、パスしたり・・・。日常に溶け込んでいるクロワッサン。あると嬉しく、ないと、寂しい。


2つ目は、一度は食べてみたいクロワッサン。


雑誌や口コミなどで評判のお店のクロワッサンは、是非に食べてみたい。でも、念願叶えば一度で満足かもというクロワッサン。意外に普通だね的な・・・値段の割に・・・的な超上から目線・・・笑。


3つ目は、誰かに食べてもらいたくなるようなクロワッサン。


この美味しさは誰かに伝えたい・・・。お土産に持って行ったら喜ばれるだろうか、あの町に行くなら「ぜひとも買ってね」と強くお勧めしたくなるような、奨めているだけで、嬉しくなるようなクロワッサン。あそこの街に、あのお店・・・あっちの街にあのお店・・・いろいろお勧めありすぎてうれしくなりますです。


2つめと3つめには、少しばかり高い壁を意識したりします。わずかな差なのに、その差が決定的な区分けを余儀なくされつつ・・・。


そして4つ目は・・・全米が泣くほどに、全人類にベストなタイミングで食してもらいたいと思わせるクロワッサン。


美の最高峰に、このクロワッサンは加えられるべきであると信じるクロワッサンが、たしかに、この星に存在する喜び。焼き上がりから数時間内に食べなければこの感動は決して分かち合えないというプレッシャーを喜びに代えて、その感動を共有したいクロワッサンのこと。焼き上がりから7時間プラスマイナス3時間くらいがベストかと思いつつ・・・今度じっくり検証したいなあ。


ただ、それはあまりにも繊細なため、当日の湿度や温度、一緒に食べる人たちとの価値観の共有度合いによっても、その喜びや感想は、異なってしまい、まさに一期一会的な要素をふんだんに持ってしまっているところに悲哀を感じたりします。


4つ目のクロワッサンは、現時点で、自分調べながら、飛騨高山にしかないと思うこのごろだったりします。


翌朝には、あっけなく、1つ目のクロワッサンにカテゴライズされてしまう4つ目のクロワッサン。それはバターの流失や乾燥、酸化だったり、いろいろな要素がクロワッサンにプレッシャーをかけてくる世界ゆえ。


ベストなタイミングで、このクロワッサンに出会うことができたならば、そこには確実にある「美」を目の当たりにして、その余韻は一生涯続くと信じたりします。


全西方が、喜びに泣いています(笑) しかし、全西方は、価値を共有できなかった時には、悲しみに泣いてしまいます(笑)


かくもクロワッサンは奥深いですね。


ちなみに、パン・オ・ショコラ編も同様に・・・。クロワッサンとパン・オ・ショコラはただ単に中にチョコが入っているというレベルの違いではなく、ここにも壮大な、そして奥深い世界があることを・・・(長くなるので、以下略)

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2014-09-13 18:47:59

【圓徳院 北庭】

テーマ:ブログ

京都で一・二を争うほど好きな庭が、高台寺の塔頭のひとつ=圓徳院(えんとくいん)の北庭です。豊臣秀吉の正室=おね=北政所が余生を過ごした場所で、秀吉亡きあと、徳川家康に恭順を示した北政所ゆえに、豊臣家滅亡後も、破壊されずに、当時のまま風景を体感できます(建屋は当時のものではなく、紅葉も何代目?)。


圓徳院には庭が二つあり、穏やかで女性的な南庭に比べ、北庭はダイナミズムを感じる男性的な庭として知られています。私が好きなのは、北庭。関ヶ原の戦いから三年ほど経ったのちに、伏見城から移築された庭は、豊臣恩顧の大名たちがこぞって郷土自慢の巨石を持ち寄り、配置されていて、その忠義の重みが、巨石一つ一つからオーラのごとく、発せられ、圧巻と言わざるをえません。紅葉の頃にもなると、夜にはライトアップされたりして、その赤い美しさは必見ですが、緑豊かな残暑の頃も、夏の暑い日差しの最後の力を見るようで、楽しげです。


枯山水に巨石と紅葉が配置された独特の庭。この庭は、どこから見るべきなのか・・・自由に見ればいいじゃんという正論は、とりあえず脇に置いといて(笑)、私は決まって、常にここから見ることにしています。


それは・・・主が座る場所。


建物自体は建て替えられているので、あくまで今の建屋に北政所が住んでいると仮定しての空想ですが・・・圓徳院の主である北政所はどこに座っていたのか・・・畳張りの床に注目すれば、掛け軸がかるある場所に、炉が切られて、普段は半畳で隠されていはいますが、ここが手前畳だと認識できます。そこはきっと北政所が亭主として、客人をもてなした場所。(実際にお点前をされたかはわかりませんが・・・)

北政所はココに座っていた。そう思ってから、庭に目をやると、すべての巨石と目が合うことが分かります。そう、無造作に並べられているかのような、大きさ比べをしているかのような巨石群は、すべて正面を北政所に向けているのです。


それはまさしく、豊臣恩顧の大名たちの最大の忠義。


柱や梁越しに見る枯山水は、一枚の絵を切り取ったようでもあり、庭に跪く大名たちの意志でもあると思ったりして、胸はおのずと高まってきます。本来ならば、豊臣家の滅亡と共に、豊臣由来の建物は破壊される運命にあったはずの、北政所の恭順がもたらしたゆえの徳川幕府の配慮と敬意は、歴史の潤いとなって、今日でもなお、その忠義を体感できると思うと、ドキドキしてきます。


お茶碗に正面があるように、北庭にも正面があると信じます。正面から見た時の風景と、正面を少し外してからの風景の違いも楽しく、それは同じ庭にして違う趣を感じさせてくれます。本来ならば、北政所の座った場所は、少し外してしかるべきかと思いつつも、この正面観を味わうと、季節を変えて、圓徳院を訪ねたくなってきます。


そして、拝観を終え、靴を履いて外に出ようとする、その直前。惜しむように、庭に目をやると・・・すべての石が、あっちを向いていることに、再び気づいて、真横から眺める庭もまた一興だなあと思いながら、それは庭の余韻に置き換えて、祇園の街に戻っていくのでした・・・。


圓徳院、オソルベシ。


http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml

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2014-09-08 19:54:25

【徳山鮓、最高です】FBより転載

テーマ:ブログ
 日本全国から、食に興味のある人ならば、誰もが通うという徳山鮓で、ご縁あって、いよいよ食事をさせていただきました。琵琶湖の北にある小さな湖 = 余呉湖。もう少し行けば日本海にも出られると聞きます。このあたりは、賤ヶ岳の合戦で知られる古戦場も近く、徳山鮓は余呉の西側集落の南端にあります。

 新幹線を米原で降り、ローカル線に乗り継いで、1時間に1本しか止まらない電車を降りれば、そこは余呉の湖と田園風景。コンビニのコの字も見当たらない、素朴にして、アスファルトに囲まれた生活をする者にとっては、テレビの旅番組でしか見ることがないような風景が広がっています。ここに徳山鮓は、あるんですね。

 俗に発酵ラボの異名を持つ徳山鮓は、腹子を持つ鮒の熟鮓で日本中の食通を唸らせています。しかし、関東に住む私(=ほんとに住んでいるのか・・・笑・・・住民票は関東にあります)にとって、鮒ずしは馴染...みが全くなく、いつぞやどこかで食した独特の癖に相当、顔をひきつらせながら、作り笑顔をした記憶だけが残ったりしつつ、鮨は江戸前でいいじゃん的な発想から、鮒ずしとは縁もゆかりもない生活を送ってきました。

 その偏った経験にしか基づかない、ちんけな発想は、徳山鮓で大きくひっくり返ることになりました。ご主人と女将さんが丁寧に説明してくれる、鮒鮓はじめとした発酵パワーと余呉の恵みは、異次元にして、毎日食べたい最高の発酵食品だったのでした。

熟鮓=臭い&すっぱい

 そんな概念は、ここ徳山鮓にはありません。発酵と腐敗が明確に区分され、香り豊かに、海の幸、山の幸、湖の幸、川の幸が、発酵の神秘とご主人の理、女将さんのホスピタリティによって、ここにしかない料理として、テーブルに並べられる様は、圧巻としか言いようがありません。

 この心地よい味わいは、同じ発酵食品であるワインとも日本酒とも抜群の相性を見せて、食べるそばから消化吸収されていくようで、舌や軟口蓋にある味蕾はもちろんのこと、食道、胃、小腸、大腸までもがこぞって、次々に体内に取り込まれる発酵を待ち望んでいるかのようでした。

 食すごとに発したい、悲鳴にも似た喜びは、美味しいという言葉と共に、食べても、食べても、どーして、お腹が減ってくる不思議な感覚。こんな感覚は初めてです。これが、これこそが徳山鮓の徳山鮓たる魅力なんですね。

 伝説によれば、かの菅原道真公はこの地に生まれ、史実によれば、秀吉を天下人ならしめた余呉の湖。ここに、発酵ラボラトリーよろしく、実に丁寧な発酵を司る徳山鮓があることに、感謝と感動と感激の念を抱きつつ、体全体が笑顔を実感するのでした。今までとても遠い場所だったはずの余呉の湖が、とても身近に感じたい場所に変化して、どんなところからでも、どうやってでも、必ず、ここに戻ってきたいと思わせてくれるのでした。

徳山鮓

 ココにしかない感動があります。出来うることならば、それは日常に取り込みたいと願いつつも、予約が取れなーい(泣) 住むにしても、この町には仕事もなーい(笑)

 先日の台風の影響で、この時期の名物=友釣りの鮎を楽しめなかったのは、残念でもあり、でもそれこそ、自然の気まぐれ的な出来事で、次に来る楽しみを一つ残しておいたyo的な、ゆったりとした心持が楽しいのでした。

次は秋。茸のシーズンに・・・(FBより転載)
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2014-09-08 19:47:58

街の風景 FBより転載

テーマ:ブログ

【街の風景】


 ここ最近、日本各地を車で徘徊させていただきながら、ふと思うことがあります。街の個性ってなんだろう、と。例えば、岩手県久慈市の小袖海岸は、「あまちゃん」の舞台として強烈なメッセージ性を持っていて、八月のお盆明けの平日なら、観光客もたくさんいてて、まめぶ汁の屋台などもあって、ああ、ここだよここ的な街のオーラに包まれます。例えば、高松市のライオン通りなら、長いアーケード街には、お目当てのうどん屋やさんもあちこちにあり(正確には、一本脇に逸れたり、隣の通りだったりしますが・・・)、歩きながら、ああ、ここは高松、カレーうどん食べなきゃと思ったりします。


 ところが、片側二車線くらいの通りとなると、街道沿いには、コンビニ、家電量販店、紳士服、ファストフード店、牛丼屋、ガソリンスタンドなど、日ごろ見慣れた看板が立ち並び、遠野市にいるのか、御殿場市にいるのか、高山市にいるのか、微妙にわからなくなる瞬間もあります。晴れていれば、富士山が見えたり、北アルプスか見えたり、田園風景が見えたりしますが、街の中心街となると、その個性は全国展開のお店に埋没しがちです。


  街の個性が、どんどん失われていく一方で、逆に、コンビニの個性が際立つ感があります。コンビニのプライベートブランド力は、すさまじく、日本全国で同じ商品が手に入り、しかし隣の同業他社にはそれは売ってない・・・。あの商品が欲しいから、あっちのコンビニに寄る。その店には初めて入るはずなのに、大まかなレイアウトはすでに把握している安心感。このコンビニにしかない商品を手に取る安堵感。街の個性よりコンビニの個性の方が優先しやすく、なんとか市にいるというより、このコンビニにいる存在感を強く意識したりします。それはとても便利ながら、せっかくこの街にやってきたのに・・・。


 一方で、食べることに主眼を置けば、日本各地には、そこにしかない料理もあります。郷土料理というものではなく、その料理人が人生と生活をかけて作り出す料理のことです。弘前のダ・サスィーノさん、東京・門前仲町のひつじの新町やさん、高山のつるつる亭さん、和歌山のヴィラ・アイーダさん、大阪の亜州食堂チョウクさん、滋賀の徳山鮓さん、福岡・平尾のラ・ニッシュさん・・・・雲丹を数え続けるように、枚挙に暇がなさすぎです・・・。


  街の個性は失われても、店の個性は光り輝く。フランスの赤いガイドブックの三ツ星の評価基準は、それを味わう為に旅行する価値がある卓越した料理。その赤い本が三ツ星をつけていない日本全国のレストランにも、たくさんの個性があり、そこを訪れたいと思わせる料理人がいます。


 SNSや噂で評判のあのレストランに行ってみたいけど、遠いなあ・・・。その考えには一理も二理もありますが、思い切って、そのレストランの扉を開けることができるなら、食から発っせられる強いメッセージとオーラと生きる喜びが、新たな扉の存在を知る機会になると信じます。その遠さがあるからこそ、行きしなの、その料理を楽しむためのウキウキ感と、食べ終わってから家路に着くまでが、嬉しい余韻となって、頬を緩めてくれることでしょう。期待が大きくなればなるほど、外れた時のショックは計り知れませんが、あたった時の喜びは、脳内ドーパミンがあふれ出したりします。生きるって素晴らしい、と。 そんな個性豊かで、食に真摯なレストランで、魂の会を開催させていただける悦びに包まれながら、今日も、個性が失われた国道を走り続けるのでした。


 尾崎豊が、街の風景を歌ってから、何年経ったのかなあ・・・そんなことを思いながら。



FBってタイムラインにすぐ埋もれますね。というわけで、こっちにも。


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