伊藤滋夫「司法研修所編『新問題研究 要件事実』について・上」法律時報84巻1号93頁。

「要件事実の初学者が、実体法の解釈によって(要件事実が-ESP補足)決まると述べられているからということで、従来の民法の教科書を見ても、おそらくほとんど具体的な示唆を受けることは困難であろう」


近時刊行された、司法研修所編『新問題研究・要件事実』は、「実体法の解釈」から、要件事実を導き出す姿勢が鮮明に現れています(上記伊藤論文でも指摘)。現に同書のはしがきでは、「要件事実についての考え方が実体法の解釈を前提とするものであることを踏まえ、その内容について、できる限り現在の実体法の解釈と整合的なものとするとともに、実体法について多様な解釈があることをより意識したものとすることとしています」(同書1頁)と書いてあるのです。確かに中身を読んでみると、そういう印象を受けました。旧版(『改訂問題研究 要件事実-言い分方式による設例15題』)では要件事実の前提として、司法研修所が採用する民法理論、民訴理論が(簡潔ではあれ)書かれていましたが、新版では中立になっています。一般的な読者であれば、「要件事実は特定の民法理論、民訴理論とは中立」ということが理解できると思います。
 

他方で、『新問題研究』では、肝心要の「実体法の解釈」の中身について、明確な説明もされていません。そうなると、前提となる「実体法の解釈」は、各自の学習に委ねられていることになります(司法試験に合格している修習生であれば、それを理解していることが前提となっています)。その意味で、『新問題研究』は自己完結型の本ではなく、民法をはじめとした民事実体法の理解を、前提としているわけです。しかし、伊藤先生指摘の通り、 近時の民法教科書を開いても、なかなか手がかりはつかみにくいのではないか、という思いもあります。

さらに、実体法の解釈をきちんと理解していれば、要件事実論をきちんと展開できるかと言えばそうではありません。実体法解釈のプロである研究者ですら、要件事実に苦労しているのも、その現れだと思います。やはり両者を接合する作業が、必要になるわけです。しかし、この作業のノウハウを有している独力で有している学習者はほとんどいないと思いますし、またノウハウを有している法科大学院も、ほとんどないのではないか、と思います。ノウハウを有しているかの1つのバロメーターとしては、『民法総合・事例演習』を、作成者の意図にそって使いこなせるかだと思うのですが、果たしてそれが出来る法科大学院が日本にいくつあるのか疑問のあるところです。


というわけで、要件事実は実体法の解釈を踏まえることが必要、ということまでは共有できても、その次をどうするか、すなわち、実体法の解釈と要件事実をどう接合していくか、という大きな課題をこなしていかなければなりません。


正直、この課題を具体的にどう取り組んでいくか、ということについて、私は正面から答えを有しているわけではありませんが、あえて挙げるとすれば、以下のことが挙げられるのではないかと思います。


1.派遣民事裁判官の授業を大事にする

実体法の解釈と要件事実を接合できるのは、法科大学院に派遣されている民事裁判官だと思います。多くの法科大学院では、「民事訴訟実務の基礎」で、派遣民事裁判官による要件事実の勉強が展開されます。通常の派遣民事裁判官は、司法研修所の意向を踏まえて、授業を展開するはずなので、ここでの授業から、実体法の解釈と要件事実を接合するノウハウを身につける必要があると思います。同時に、派遣裁判官による授業は、現在の司法研修所の方針を知る上でも、極めて重要である点を付け加えておきたいと思います(その意味では、同様に派遣刑事裁判官による「刑事訴訟実務の基礎」も重要です)。

特に注意すべきは、既修者(2年コース)の人です。というのは、法科大学院によっては、既修1年目の前期に「民事訴訟実務の基礎」が開講されています。すなわち、入学直後に、極めて重要となる要件事実の授業が開講されているわけです。しかし、入学直後は法科大学院での生活ペースに慣れず、漫然と授業を聴く危険もあります。注意が必要です。

また単に授業を聴くのではなく、自分で勉強しても不明な点は、徹底的に派遣民事裁判官に食らいつくぐらいの姿勢が必要かもしれません(調べて分かることも質問しろ、という意味ではない)。

 
2.旧版と比べてみる
これから法科大学院に入学される方は、『新問題研究・要件事実』をベースに要件事実論を学習されるかと思いますが、司法研修所の当時の考え方を知るためには、旧版である『改訂問題研究 要件事実-言い分方式による設例15題』(法曹会、2006年)も手に入れて、読み比べてみると良いと思います。もう流通していないかもしれませんが、古本屋や(法科大学院のある)図書館にはあると思います。もちろん、旧版を暗記して事足りる、という意味ではありません。あくまで手がかりとしての使用です。


司法試験の民事系では、かつて要件事実のウエイトが極めて高かったことは事実です。例えば、債権譲渡特例法が出題された1回目の新司法試験の民事系第2問は、要件事実の基礎が分かっていないと、お手上げの問題であり、また、短答式試験でも要件事実を意識した問題が見られました。このため、一時は法科大学院生に要件事実が広まった時期もありました。

しかし、実体法の解釈を軽視した要件事実論や、要件事実を単に丸暗記する誤った学習方法による弊害などから、近時では「やはり実体法の解釈が重要」ということが強調されつつあります。司法試験でも要件事実のウエイトが下がりつつあるのは、その現れかも知れません。

だからといって、要件事実を勉強しなくて良い、ということではないと思います(そうであれば、派遣民事裁判官の授業はなくなっているはず)。法科大学院生の多くが入所を目指す司法研修所が、要件事実論を放棄しない以上、やはり要件事実の学習は必要だと思います。また、要件事実論に際しては、「民事実体法の解釈を踏まえることが重要(だから、民法をきちんと勉強しろ)」と言われ、それは全くその通りなのですが、じゃあそのためには、どうすればいいのか、何をすればいいのか、というのは実はよく分からないところなのです(内田先生の民法を読む?ダットサンを読む?予備校本を読む?・・・いずれも足りないような)。法科大学院生や司法修習生と接する実務家が、「最近の学生(修習生)は、民事実体法の理解が弱い」と言われることがありますが、法科大学院生や修習生は民法を勉強していないわけではないのです。ですので、実務家の方々が感じる不満は、勉強不足だけでなく、法科大学院生や司法修習生の勉強のベクトルが若干ずれていることに(も)起因するのかな、とも思います。しかしそうであれば、むしろ問題は深刻で、「単に勉強しろ」と尻を叩くだけでは、問題は解決しないことになります。その意味でも、この問題について、どのように解決すべきかを具体的に詰めて考えていく必要があるなと考えています。