法学セミナー678号

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法学セミナー 2011年 06月号 [雑誌]/著者不明
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【特集】一行問題と事例問題――法律基本科目の学び方と論じ方
  憲法の学び方と論じ方……小山 剛
  民法の学び方と論じ方……北居 功
  刑法の学び方と論じ方……亀井源太郎
 

なかなか参考になる記事でした。また具体的・実践的だったと思います(テクニックを強調しているという意味ではありません)。


3先生の記事とも、過去の判例ないし裁判例を、具体的な事例問題にどう使うか、という点に力点が置かれていました。新司法試験の合格を通じて、司法研修所への入所を目指す人が、判例を学ぶ本当の意義は、この点にあるのだと思います(批判的検討という名目で、判例をねじ曲げて解釈すること、単に良い判例か悪い判例か評論家風に論評することは、少なくとも司法研修所への入所を目指す人にとっては、いずれも意味のないことです)。


印象に残った部分を引用。

「実践的な法解釈論において理論と判例は、車の両輪である。理論は、それ自体に価値があるのではなく、実際に使えてはじめて意味をもつ。一方、事案は、千差万別の表情をもっているが、事実関係を脈略なしに羅列するだけでは、依頼人とレベルが異ならないことになる。法科大学院教育では、理論と実務の架橋が重視されている(それがうまく機能しているかは別の問題であるが)。理論なき現場思考、事案の特殊性を見ない大上段の理論は、いずれも法科大学院教育の目指すところではないであろう」(前掲の小山2頁)


「法科大学院では判例が重視されるが、漫然と判決理由を読み、あるいは結論だけを暗記したのではない始まらない。人によって学習方法は異なるであろうが、上達の早道の1つは、一行問題や短い事例問題に数多く触れて、論点を見出す感覚を磨くことにある。重厚長大な新司法試験問題も、分解すれば、いくつかの基本的論点から成り立っているにすぎない」(前掲の小山3頁)


「事例問題の核心部分は、・(中略)・一行問題群に書き換えることもできる。そして、私は、このような書き換え作業こそが、事例問題における、『そこで問われていることは何か、問題となっていることは何か』を把握する作業であると思っている。

 なお、念のため付言すれば、この『書き換え』は、抽象的に-事案と無関係に機械的に-行われるべきではなく、具体的な事実関係を踏まえて行われなければならない。

 答案の中には、(ややデフォルメして言えば)当該具体的な事案との関係でまったく問題とならないことを『論点』として抽出し、当該具体的な事案との関係でまったく問題とならないことを延々と書き続け、そのために、必要なことを論ずる時間と紙幅が足りなくなったと思われる。ここでいう『書き換え』に失敗した-あるいは、それがデフォルメしすぎだとしても、当該事案と関係のないことも含めてあれこれ総花式に書いた、還元すれば、個々の問題点に対する(問題との関係で必要な)説明が不足した-ものも存在する。このような答案では、問われていることに十分答えたことにはならない(しばしば、『予備校型の勉強』や『「論証」吐き出し答案』というものが存在するとされ、また、それが批判の対象になるのは、この『書き換え』に失敗しているからではないかと-経験的直感によれば-思っている。このような答案が存在する原因が、真に『予備校教育』、『論証』にあるのか否かは、俄には判断できないが)」(前掲亀井24頁)


なお、亀井先生の記事の中で、「論証」という言葉が出てきたので、典型論点に対する回答をまとめておく、いわゆる論証パターンの是非について考えてみると、これは有益な場合と無益な場合があるのだと思います。例えば、刑事訴訟法に関して、強制処分と任意処分の区別、任意処分の限界については、重要論点であり、新旧のどちらの新司法試験でもよく出題されているテーマですから、これに関して試験で書くべき事を、事前にまとめておくことは有益であり、仮にそれをは試験当日に「はき出す」としても、内容が採点者からみて正しければ、丸暗記・論証吐き出しと言われようが、全く問題のないことでしょう。他方で、(民事訴訟法で多いのですが)典型論点を聞いているのに、あえて受験生通説と反対の立場から立論せよ、という問題では、受験生通説の立場の論証パターンををはき出しても、点数がつかないと思います(問いに答えていないから)。例えば反射効について、受験生通説はおそらく否定説だと思いますが、仮に出題されたときに、「しかし、最高裁は明確に否定したとは言えませんし、また、判例は変更される可能性もあります。ですから、肯定する立場から論じてください」という裁判官の会話(誘導)が付いていた場合、反射効肯定説から立論しなければなりませんし、そこで事前に用意した論証パターンを、問いにあわせて「変容」、また場合によっては、「放棄」する勇気を持たなければならないのだと思います。逆に言えば、その「変容」ないし「放棄」することも見込んで、論証パターンを用意するのであれば、問題のない利用の仕方ではないかと思います。また、論証パターンの利用が有益となる前提には、その内容が間違っていないこと、であることは当然です。