マウリシオが今取り組んでいる作品、夏にはギャラリーで公開される


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 ブエノスアイレスから南東に1時間半ほど行った所にある大学都市、ラ・プラタへ来ている。
3年ぶりのブエノスアイレスの3日間は飛ぶように過ぎていった。
お世話になっている家のマウリシオはアーティストで、家の中はちょっとした美術館のようになっている。

 彼と出会ったのは、私がアルゼンチンへ留学している当時、友達と公園で写真を撮ろうとしていた時に親切に声をかけてくれたのがきっかけである。日本へ帰ってからも小まめに連絡を取り合い、いつかまた再会出来る日を楽しみにしていた。
彼は数年前に離婚し、今は母親の家との間を行ったり来たりする娘と暮らしている。
以前は大手の通信会社で働いていたが、数年前に退職し、美術の大学へ入学した。見た目も振る舞いも完全にアルゼンチン人であるが、彼はユダヤ人系の家庭に生まれており、ヘブライ語も話す。頭の回転が早く、言語、芸術、ビジネスとどれに付けても非の打ち所がないほど、まさに多彩な人である。一般的なユダヤ人のイメージそのままと言った感じの人だ。
アインシュタインやスピルバーグなど、俗に天才と呼ばれるユダヤ人達は、ノーベル賞受賞者の
30%を占め、世界の大手企業の創立者であることでも良く知られている。
彼曰く、ユダヤ人がそう言われるのは、彼らの子供に対する教育によるもので、持って生まれた血筋のようなものでは全くないという。
ユダヤの人たちは、子供達が自分に対して最大の興味を惹き付けるものに出会うまで、何でもやらせてみるという。そして彼らが自ら自分に興味と好奇心を与えるものを探し出し、道を作るのを見守るそうだ。
好奇心旺盛であることは、何よりの宝物であると話した。
話はつきることなく、この続きはブエノスアイレスへ帰ってからとなりそうだ。

 朝
9時半にレティロ駅を出発し、11時にはラ・プラタの駅に着いた。
うっかりバスの中で寝てしまったが、眠ったままリュックを腕に巻き付け握りしめていた。なかなかの防犯対策の技術向上ぶりである。
迎えに来てくれるはずのオラシオさんの姿は見つからず、結局
1時間後に家族の人が迎えに来てくれた。
その間、ゆっくりコーヒーを飲みながら駅構内を散策し楽しんだ。
このような場合はいつも楽しむことに時間を使っている。ラテンの国で教わった時間の過ごし方である。
迎えに来てくれたラウルさん老夫婦の車に乗ると、エンジンがかからず、結局家まで歩いて行った。
ここ何日間か空が雲っていたので、久しぶりに太陽の光を浴びて気持ち良かった。

 今回ラ・プラタへ招待してくれたのは、ラ・プラタ大学のセシリア・オナハ教授である。
ブエノスアイレスでコーディネートをしてくれている、モニカ・コギソさんの紹介で私の旅のプロジェクトを知ってもらい、是非大学生と交流して欲しいということで招いて下さった。
セシリア先生に学校を案内してもらった後、学食でピザをごちそうになり、夕方の日本語クラスで生徒達に話をして欲しいと頼まれた。
私は大学に通ったこともないし、高校生活はバイトに明け暮れ、ギリギリの出席率で卒業にこぎ着けた、ダメ学生である。
学校という所は、所変われど、大体同じ匂いがして、妙な勢いと元気がある。

 今日のクラスは日本語初級クラスで、生徒の大半は日本の映画やアニメ、折り紙などの遊びに興味を持って、日本語を始めたようだった。
クラスが終わると生徒達は近くのカフェへ誘ってくれ、数時間お互いの生活や夢について語った。彼らにとっても有意義な時間であったことを願う。
明日もまた、大学での授業に参加させてもらう。
今夜は家のお湯が出なかった。明日の朝には温かい水でシャワーを浴びれるだろうか。




            日本語を勉強する生徒さんたちと

ERIKO