若冲は〜ん | ケセラセラ通信日記

若冲は〜ん

京都・相国寺承天閣美術館で「若冲展」を見る。無計画な私にしては珍しく、6月3日で終わってしまう展覧会の土・日を避け、しかも開館時間の15分前に到着するという念の入れよう。それでも、会場近くには「40分待ち」の看板が出ていた。しかし、それも覚悟の上。10時から並んで、午後1時に終わればいいやくらいに考えた。
伊藤若冲(1716~1800年)が現在のようなブームになる前からのファンで、石峰寺(京都市伏見区)の墓にも参り、その境内にある五百羅漢が並ぶ竹林は、誰にも教えたくないお気に入りの場所だった。この五百羅漢は若冲が下絵を描いたとされ、先月、その羅漢像が何者かによって数十体破壊されたというニュースに接し、腹立たしい思いをした。それもこれも、若冲が有名になり過ぎたためかと思う。
さて、40分待ちは少々オーバーで、20分ほど並ぶと第一展示室に入れた。ここには相国寺ゆかりの品々や若冲の襖絵などが展示してある。図録などで見たものもあるが、実物は墨筆の勢いなどが実感できて、やはり凄い。
いよいよ第二展示室へ。お目当ての「動植綵絵」30点と釈迦三尊像である。正面奥に釈迦三尊像が、左右の壁に15点ずつ動植綵絵が並んでいる。どこから見てもいいのだが、やはり端から順に見たい。絵の前のガラスに二重三重に並んでいる人々の後ろから、ジワリジワリと体を入れていく。ついにガラス前の最前列に到達。しかし、今度は人が動かない。係員が「次の絵に移動してください」と叫んでいるのだが、横の人が動かないのだから、どうしようもない。そのうちに気付いた。ひとつの絵に釘付けになり、まったく動こうとしないオタクのようなやつがいるのだ。そこで人の流れがせき止められてしまう。それに気付いてからは、そういうやつを飛び越えてひょいひょいと見ていった。見逃したものや気になるものは、また戻って見た。それでも、大変な混雑ぶりであることは変わらない。周りから聞こえてくる、くだらぬおしゃべりが腹立たしい。それは素朴な感想であり、それに腹を立てる私が大人げないのかもしれないが、「俗物ども!」という思いがどうしても拭えないのだ。
それはさておき、動植綵絵30点は、色彩が見事に残り、豊富な技法や斬新な構図も目の当たりにでき、見た甲斐があった。商売を嫌い、仏教に帰依し、生涯独身で、絵を描くことのみに専念し、作品一点と米一斗を気軽に交換した(別号を斗米庵という)若冲は、京都で「若冲はん」と親しみをこめて呼ばれていたように思えてならない。先月、私が編集を担当した太田順一さんの写真集『群集のまち』(ブレーンセンター)が出来上がったが、その「あとがき」に、太田さんが《時空を隔てていても人は作品においてつながることができる》と書いておられたことが思い出された。
図録2500円を買い、動植綵絵の絵葉書30点も買い、相国寺を出たのは12時だった。その前の道を行けば京阪の出町柳駅ではないかと見当をつけ、どんどん歩いていくと、これがドンピシャリ。駅の近くでパスタを食べ、柳月堂でパンを買って帰った。
少し休んでヨーガ教室へ行くつもりだったが、思いのほか疲れがひどく、断念。風邪をぶり返してしまったようだ。