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2014-05-25

発信すること

テーマ:映画
なんと、昨年8月8日以来の更新である。自分の書くものに、どれほどの意味があるのか、という思いが常にある。慧眼と認める知人から「つまらぬ」と言われたこともある。打たれ弱い私は、黙り込む。物言えば唇寒し……という思いもある。

昨日(5月24日)から、シネ・ヌーヴォで「革命の映画/映画の革命」という特集上映が始まった。これは、ボリビアのホルヘ・サンヒネス監督を中心とする「ウカマウ集団」が制作してきた全作品のレトロスペクティヴだ。
その1本目として、最新作『叛乱者たち』(2012年)を見た。チラシによれば《18世紀末、スペインの支配からの解放を目指す先住民族の戦いに始まり、(中略)2006年、ついに先住民出身のエボ・モラレス政権が誕生するまでの歴史を物語り……》とある。200年以上にわたって抑圧・差別されてきた先住民たちの戦いの記録と記憶が、83分のうちにコンパクトにまとめられている。南米大陸の内陸部にあるボリビアという国の知られざる歴史に触れるという興味が、映画を最後まで飽きさせないが、私はずっと「健全だなあ」という思いで見ていた。
公園に入ることも、道路の歩道を歩くことも許されなかったという先住民たちの被虐性は目に余るものだが、それに対して、直接民主主義と言ってもよい集団的討論を繰り返すことによって対抗策を考え実践してきた抵抗の歴史、新自由主義を背景とする多国籍企業の水や天然ガスの収奪に対する闘争など、そこには負け戦を覚悟しつつも正しいと思うことを主張し、正義を実現しようとする強い意志が連綿と脈打っている。
それを見て、「健全だなあ」と思った次第。ひるがえって、わが国はどうか。3・11以後、見捨てられる被災者たち、根本的見直し・出直しが行なわれない原発政策、特定秘密保護法、集団的自衛権……。どうしてこんな国になってしまったのか、という思いが強い。そして、私ごときが何を言っても、この流れは変えられないだろうという諦念。

『叛乱者たち』の上映後には、ウカマウ集団の映画を日本に紹介し、今日まで彼らと並走してきた太田昌国さんのトークもあった。出版社「現代企画室」編集長であり、『極私的60年代追憶』『「拉致」異論』などの著書もある太田さんは、世界を覆うグロバリゼーションや新自由主義への違和感を、静かに、しかしキッパリと語られ、それらの言葉は、めずらしくストンと私の胸に落ちてきたのだった。

というわけで、たとえ負け戦であっても、ごまめの歯ぎしりであっても、言いたいことは言っていこうと思ったのだ。小さな発信であっても、いくばくかの影響を他に与えられるかもしれない、と信じて。いや、「信じて」というほど強い意思でもないのだが。
今日も午後4時40分から、ウカマウ集団制作『地下の民』(1989年)の上映がある。続けて、ウカマウ集団にシンパシーを感じている(?)空族(くぞく)の名作『サウダーヂ』(2011年、監督:富田克也)も上映される。で、私は今日もシネ・ヌーヴォへ行く。
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2013-08-08

今日の悔恨

テーマ:日常
今日はことさら蒸し暑い。ちょっと出歩いただけで、汗びっしょり。雨になるかも、と思う。しかし、最近はその雨も、ゲリラ豪雨などと呼ばれるとんでもない降り方をするから、油断ならない。地球全体がおかしくなっているのだと思う。福島第一原発の汚染水たれ流しも、恐ろしいことだ。環境に影響が出ないはずはない。私はなるべく肉を食べないようにしているのだが、そのうち魚も食べられなくなるかもしれない。原発憎し。
さて今日のテーマ。
地下鉄で。私の両隣の席が空いた。立っていた親子連れが来て、母親が6、7歳ぐらいの男の子を私の右側の席に座らせた。私が左にずれれば、お母さんも座れる。だが、私はそれをしなかった。次の駅で降りるし、目立つことはしたくなかった。「いい人ぶってどうするんだ」という思いもよぎった。しかし、お母さんを座らせてあげればよかった、と今も思う。
道路で。信号待ちをしているオジサンがいた。よれよれのTシャツに、髪はモジャモジャ。右手には缶ビール。ホームレスかもしれない。背負ったリュックのジッパーが大きく開いていて、走ったりすると中のものが飛び出しそうだ。背中のことだから彼には分からないし、そういうことに頓着しない人のようにも見える。結局、これも注意してあげなかった。オジサンはオジサンが嫌いだし、逆ギレされるかも、という不安もあった。でも、注意してあげればよかったのに、という思いは残った。
いずれも小さな出来事で、こうして書き留めておかないと、明日には忘れているだろう。思うのは、こういう小さな悔恨、取り返しのつかない大きな悔恨を積み重ねて、私は死んでいくのだろうな、ということだ。だからどうすべき、と人生訓みたいなことは言いたくないし、言えない。
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2013-03-05

『セデック・バレ』を見るべし

テーマ:映画
昨日(4日)の夜、大阪・福島のABCホールで『セデック・バレ』の第一部「太陽旗(たいようき)」が上映された。8日(金)から始まる「第8回大阪アジアン映画祭」のプレオープニングとして。監督のウェイ・ダーションさんも舞台あいさつに来てくれた。その中で印象的だったのは「(日本人と台湾人の)和解を願ってこの映画を作った」という言葉だった。1年ぶりに見る彼は、やはりどこまでも誠実で偉ぶらない、好い人でありました。昨年は不肖わたくしがトークショーの司会を務めたので、ひよっとしたら覚えていてくれるかな、などと思っていたが、顔を合わせる間もなく、作品キャンペーンのために東京へあわただしく向かわれた。
映画についての感想は、昨年3月19日のこの日記に書いたので繰り返さないが、今回あらためて見て感じたのは、ウェイ・ダーションは抒情の人なのだなあということだった。その意味では、前作の『海角七号/君想う、国境の南』と変わってはいない。また、殺し殺されという激烈な内容なのに(歴史的事実としてそれがあった)、残酷なシーンは極めて抑制して撮られていると感じた。
この映画、ともかく余計な先入観を持たずに、できるだけ多くの人に見てほしいと思う。第一部・第二部で計4時間36分におよぶ大作。東京では4月20日(土)からユーロスペースと吉祥寺バウスシアターで、大阪では4月27日(土)からシネ・ヌーヴォと第七藝術劇場で、その他全国40館で順次公開される。
ぜひご覧ください。

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2012-10-21

私のトピックス/その3

テーマ:日常
風邪をひいてしまった。もう10日間ぐらいグズグズしている。本当に辛かったのは数日だけなのだが、どうもスッキリ治ったという感じがせず、そうなると「明日からちゃんとしよう」と思いつつ、ついダラダラしてしまうのだ。
しかし、以前から決まっていた用事があり、今日はそれに押されるようにして出かけた。
まず、帽子作家・池田幸子さんの作品展だ。池田さんとは、シネ・ヌーヴォの字幕朗読上映会(目の不自由な方にも映画を楽しんでもらうために、その情景描写やセリフをボランティアが数人で朗読し、「観客」である目の不自由な方たちには、その音声をヘッドホンで聞きながらスクリーンに向かってもらうという催し)のボランティアに参加してくださったことから知り合った。
池田さんは毎年作品展を開かれていて、聞けば、半年間はそれに出品する作品づくりに充て、残りの半年間は注文を受けた作品づくりに充てるのだという。つまり、一年じゅう自宅兼仕事場でコツコツと帽子をつくっておられるわけである。「職人」に憧れている私だが、風邪ごときで何をする気力も失っているようでは、とても彼女の足下にも及ぶまい。
さて、今日も30点ほどの新作を見せていただいた。すでに池田さんにつくっていただいた帽子は三つ持っていて(春・秋用の焦げ茶のパナマ帽、夏用の生成りのパナマ帽、冬用のグレーのソフト帽)、今日は見るだけのつもりだったが、見ると欲しくなり、ハンチングを注文してしまった。後日、仕事場にお邪魔して素材と色を決め、制作に入っていただくという段取り。値段は3万円前後で、私にとっては安くはないが、すべて手づくりなのだから、その手間を考えれば、良心的な価格設定だと言えよう。
その池田幸子さんの作品展は、明日(22日)まで。心斎橋のホテル日航大阪裏のギャラリー「TK art」(電話06-6282-1456)で11時から18時。ご紹介が遅くなってしまったが、興味のある方は駆けつけてください。

話変わって、10月12日(金)に梅田ガーデンシネマで『ライク・サムワン・イン・ラブ』の最終上映を見た。先月の映画観賞会で同作品を見て、その後の飲み会で、老教授タカシと女子大生のデートクラブ嬢・明子は「した」のか「しなかった」のかで意見が分かれたからだ。
私は「しなかった」派だったが、再見して、悔しいが意見を変えざるを得ない。
その理由1。夜、明子がタカシのマンションに来て、その翌日、ソファーで寝たと思われるタカシが、ソファーの上の毛布をたたむシーンがある。その時、ネックレスだかブレスレットだか、はっきりとは分からないのだが、金色の鎖状のものが、シャリンと床に落ちる。タカシはそれを拾い上げ、カーディガンのポケットにしまう。つまり、明子は一旦眠ったあと、ベッドからソファーに移動し、何事かを「した」と推測できるのだ! あくまで推測なのであるが、このシーンを見た時、「なんでこれを見逃したんだろう」と愕然とし、それは「した」への確信に私を導いたのだった。
理由2。明子に対して、前夜は「あなた」とか「きみ」と呼んでいたタカシが、翌日は「明子」と呼び捨てにしている点。それは、一夜のうちにふたりの距離が(肉体的接触によって)急激に縮まったことを示しているのではないか。
というわけで、『ライク・サムワン・イン・ラブ』には随分楽しませてもらった。キアロスタミ監督の掌の上で遊んでいたようでもある。監督はニヤッと笑っているかもしれない。

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2012-10-09

私のトピックス/その2

テーマ:映画
ノーベル医学生理学賞を受賞された山中伸弥さん、おめでとうございます! まったく面識はないが、お人柄も良さそうだし、大阪人で、講演でも必ず笑いをとることを心がけているというのも嬉しい。
原発問題で脚光を浴びた京大原子炉実験所助教の小出裕章さんもそうだが、学者・研究者の世界には、本当に人類や地球のことを思い、私利私欲なく地道な研究や実験に没頭している人がいるようで、まことに清々しい。

さて、私が主宰する(と言うのもおこがましいが)月一回の映画観賞会は今も続いていて、先月はアッバス・キアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』を見た。見る作品・日時・映画館を私が決め、毎回30人ほどにメールをお送りしているが、来られるのは大体2~3人。この日は、Nさん、Yさん、K先生の3人がお越しになった。
イランの監督が、日本人俳優とスタッフを使い、日本で撮り、日本語で作られた日本・フランス共同製作という作品。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『珈琲時光』を思い出したりした。
おもな登場人物は3人で、84歳の元大学教授タカシ(奥野匡)、女子大生のデートクラブ嬢・明子(高梨臨)、その彼氏のノリアキ(加瀬亮)。タカシは亡妻にも似たデートクラブ嬢・明子を自宅マンションに呼ぶが、明子はタカシが用意しておいた食事にも手をつけず、眠いと言いだす。翌朝、タカシは明子を車で大学まで送るが、そこにはストーカー的に明子を束縛しようとするノリアキが待っていて、明子に詰め寄る。タカシはその様子を車の中から見ているが、会話の内容までは分からない。ノリアキはタカシを明子の祖父だと勘違いする。やがて、ノリアキはタカシと明子の関係を知り、タカシのマンションに押し掛けて手荒くドアをたたく。その部屋には明子も居て……。
というような展開が、24時間にも満たない時間設定の中で起こる。説明的なセリフはまったくないので、謎がやたらに多い。そもそも、タカシはどこで明子を見つけたのか。明子を部屋に呼んだ理由は何か。ノリアキはどのようにして二人の関係を知ったのか。しかし、その「二人の関係」すらも曖昧なのである。
それはまるで3人の人生の中に突然飛び込み、わけも分からぬままに一晩と半日付き合わされ、また唐突にそれを打ち切られてしまったような映画体験なのだっだ。キアロスタミ監督は「私の映画は始まりもなく、終わりもない」と語り、また、タカシ役の奥野匡も「撮影に入るときになっても台本はないと言われ、毎日翌日撮影する分だけしかもらえませんでした。だから明子とタカシのあいだに何があったのか、僕らにもわかりません」と語っている。だとすれば、この謎の多さ、曖昧さは監督の意図したことではないのか。つまり、人生とはこういうものだと。

映画を見終わったあとは飲み会と決まっていて、この日も4人で居酒屋へ。見てきた映画の話になることもあれば、まったく触れられないこともあるのだが、この日は映画の話で盛り上がった。なにしろ謎だらけなのだから。たとえば、老教授はなぜ運転中の信号待ちで居眠りをしてしまったのか、という問題について。K先生は歳をとると眠くなるんだと言い、私はノリアキとの対決で実は疲れていたのではと混ぜ返す、という具合。
そんな話をしていると2時間があっという間に経ち、さてそろそろお開きにするかというころ、K先生が携帯のメールに気づいた。なんと、別のYさんが飲み会に合流しようと、どこかで待っているという。みんな青くなった。話に夢中で、4人とも携帯の電源を切ったまま(つまり、映画が始まる前に4人ともお行儀よく電源を切ったということ)だったのだ。あわてて電源を入れたら、私の携帯にもGさんからのメッセージが残っていた。「ヨドバシカメラあたりで時間をつぶしてます」と。というわけで、この日は2人の女性に待ちぼうけをくらわせてしまったのだった。すみませんでした!

翌日の夕方、K先生からメールが来た。「パンフレットを読んでいたら、女性評論家が、朝うとうとしてしまうのは、あの二人がしていたからだと書いていました。なるほど!と膝を打ちました。」とある。えーっ!?と思い、私もパンフレットを読み返してみた。川口敦子さんが《明かりが消えた後、ふたりは何かをしたのか。》と書いているが、「した」とは断定していない。しかし、朝の車の中で明子があくびをしていたことにも言及していて、これは私が見落としていた部分で、ちょっと分からなくなった。だが、タカシがソファーの毛布をたたんでいるカットもあったはずで、それはタカシがソファーで寝たことを示しているのではないか。うーん、これはもう一度見てみなければ。
京都映画祭で、この日のメンバーを交えてまた飲んだ。当然この話になり、K先生とYさんは「した」派、Nさんと私は「していない」派に分かれた。ますます、もう一度見てみなければという気持が強くなった。
もう上映は終わったと思っていたが、大阪では12日まで梅田ガーデンシネマで朝一回だけ(9:50~)上映していることが分かった。もちろん見に行くつもりだが、何度見ても迷うような気もしている。

ところで、タイトルの意味は「恋をしている誰かのように」ということだろうか。なかなか良いタイトルだと思う。私が身近に感じるのは、当然ながらタカシだが、84歳の恋心はまだ分からない。
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2012-10-08

私のトピックス/その1

テーマ:日常
次の衆議院選挙はどうなるのだろう。民主党のていたらくは目に余り、自民党の支持率が上がっていると聞いても「おいおい、またあの利権まみれの社会に逆戻りかい」と思うばかりだし、日本維新の会も橋下人気に便乗した政治家たちの集まりであることがバレてきたし、さりとて当選しそうもない人に投票するのもなあ……。要するに、推したい人や政党がないのである。
こういう政治がらみの話をすること自体、マスコミに踊らされているようで、なんだか後ろめたい。だって、あの震災からの復興は停滞したままだし、原発問題などは後ろ向きに進んでいるようにさえ思えるからだ。原発利権も、相当に根深くしぶとく広がっているのであろう。
まったくうんざりすることばかりなのだが、そんな中で、映画人はけっこう頑張っていると思えるのが救いだ。先日、京都映画祭で見た『なみのおと』(監督:濱口竜介、酒井耕)は、東日本大震災で津波の被害を受けた人々6組の「語り」だけで構成されたドキュメンタリーで、私は王兵(ワン・ビン)監督の『鳳鳴(フォンミン)ー中国の記憶』を連想した。上映時間142分は、ちょっと長かったけど。
『なみのおと』に限らず、『311』(監督:森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治)、『大津波のあとに』(監督:森元修一)、『3月11日を生きて~石巻・門脇小・人びと・ことば』(監督:青池憲司)、『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』(監督:松林要樹)、『うたごころ~宮城・三陸 女子高校生たちの青春~』(監督:榛葉健)などなど、私が見てきたドキュメンタリー作品はいずれも良質なもので、それぞれに映画制作者たちの真摯な姿勢が伝わってきた。賛否や好き嫌いは当然あるだろうが、うんざり・げんなりすることが多い昨今の世の中で、この映画人による様々な試みと成果は清々しく、見る者に励ましを与えてくれる。
京都映画祭ではほかにも中島貞夫監督の4作品を見、あらためてそのアナーキーな活動屋魂のほとばしりを堪能した。かつて憧れの人だった梶芽衣子さんのトークが聞けたのも収穫だった。スクリーンでの寡黙なイメージとは違い、あんなに喋る人だったとは!

京都映画祭には2日通い、しかも毎晩映画仲間たちと飲むという、楽しく贅沢な時間を過ごしたのだが、私には心配事がひとつあった。それは、自分のビジネスバッグが今にも壊れそうなことであった。バッグを肩にかけるベルトが、バッグ本体から千切れそうになっていたのだ。ベルトは金属製のリングにつながっており、そのリングは2センチ角ぐらいの合成皮革の小片に挟まれ、その小片は糸でバッグ本体に縫い付けられているのだが、その糸がどんどんほつれ、まだ生きているのは1センチほどの縫い目だけ、という状態なのだった。
しかし、そこが切れてしまっても、別の部分についている把っ手で提げればいいのだし、買い替えるのはそれからにしようと思っていた。ただ、いつどこでブチッとくるか分からないので、それが心配なのだった。
そんな気持で2日間を過ごし、やれやれどうやら保ってくれたと安堵しつつ事務所の前まで戻ったちょうどその時、待っていたかのようにブチッ、ドサッときた。合成皮革の小片も飛び散った。しかし、この小片さえバッグにくっついていれば、まだまだ使えるのである。
そこで閃いた。瞬間接着剤を試してみようと。コンビニへ行ってみると、何種類も置いてあった。ゼリー状の「アロンアルフア」を買う。357円だった。指に付着すると大変らしいから、恐る恐る使ってみた。確かに液ダレせず、使いやすい。問題は、これで完璧にくっつくかどうかだ。そのまま一晩おく。
翌朝、見事にくっついていた。力を入れて引っ張ってみても、びくともしない。おそるべし、日本の技術力!
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2012-08-20

愉快・不愉快

テーマ:日常
不愉快なことは、心に残る。最近あった、いくつかのこと。

たばこ屋で。410円の煙草を一つ買おうと思った。店におばさんは居るのだが、1000円でおつりをもらうのも先方の手間だし、店の横にずらりと並んでいる自動販売機で買うことにした。しかし、自販機から出てきたのは銘柄の違う煙草。値段は同じ410円だ。自覚はないが、ボタンを押し間違えたのかもしれない。取り替えてもらおうと思い、店頭でおばさんに「これ、違うのが出てきてしまったんで、取り替えてもらえますか」と言うと、「いや、そんなはずはない」と言う。そう言われても、実際に違うものが出てきてしまったわけで、「ボタンを間違えたのかもしれませんが……」と言うと、「それは見えないから、こっち(店頭)で買ってください。パチンコで取ったのを持ってきたりする人がいるんで。あなたがそうだと言うんじゃないけど」と言いつつ、しぶしぶ取り替えてくれた。そういうこともあるのかもしれないが、気分は良くない。それに、パチンコ屋で取ってきたものを取り替えたとして、たばこ屋に何か損はあるのだろうか。
別の日、同じたばこ屋で。410円の煙草を三つ買おうと思った。今度は仰せのとおり、店頭で1530円を出した。おつりは300円だ。ところが、おばさんは200円しかよこさない。「え、三つで1230円じゃないの?」と言うと、「え~っと。あ、すいません」と100円玉を手のひらに載せてくれた。わざと間違えたのだとは思わないが、もうあの店では買わない。
コインランドリーで。最近のコインランドリーは進歩していて、洗剤も要らない(洗剤は自動で投入される)し、洗濯機から乾燥機に移す必要もない。機械に洗濯物を入れ、お金を入れ、ボタンを押したら、1時間後には仕上がっているのだ。ただ、経験上、きっちり1時間ではなく、1時間と1~2分は機械が動いている。それを見越して、この日も1時間をちょっと過ぎてから無人の店に再び出向いた。ところが、機械はまだ動いている。おかしいなと思ってよく見ると、私のシャツやパンツが機械から出され、機械の前のワゴンにぶちまけられているではないか! これって、どう考えてもルール違反だろう。おそらく、私の機械が空くのを待っていた人が、機械が止まると同時に私の洗濯物を勝手に取り出し、自分の洗濯を始めたのだろう。確かに、機械が止まってもなかなか洗濯物を取りに来ない人はいる。しかし、私の場合はたかだか2~3分遅れただけだ。私なら、機械が止まって15分待っても取りに来る人がなければ、その日の洗濯は諦めただろう。そういうことを言ってやりたかったが、当の本人は影も形もなく、コインランドリーの機械がぐるんぐるんと動き続けているだけなのだった。

このように、小さなことで人は不愉快になる。だから、できるだけ人に不愉快な思いをさせないよう、道を歩くときにも注意はしているつもりだが、さて、どこまでできているだろうか。
愉快なことも、なくはない。ふたつ思い出した。

蕎麦屋で。その店は、以前仕事をしていた会社の近くにあり、よく行っていたのだが、その仕事がなくなり、とんと行かなくなっていた。とはいえ、今いる事務所からそう遠いわけではない。ある日、店の前を通りかかったので、久しぶりに寄ってみた。ご家族でやっている、小さな、ごくフツーの蕎麦屋だ。まずおばさんが気づいてくれ、「まあ、めずらしい。ちょっとお太りになりました?」と声をかけてくれた。出前から戻ってきた寡黙な息子さんも、ニッコリと笑顔を見せてくれた。ざるそばを食べていると、おばさんが前の席に座り、「最近どうしてはりますの」と近況を尋ねてくれる。こちらの顔を覚えていてくれればいいや、というぐらいの気持だったので、悪い気はしない。帰り際には、調理場からご主人も出てきて、三人で見送ってくれた。私など、上客でもなんでもないのに、客商売とはこういうことかと感慨深いものがあった。今度は、あの店で、蕎麦焼酎のそば湯割りなどで一杯やりたいなあ。
8月16日のこと。来年の「大阪アジアン映画祭」の準備のために、プログラミング・ディレクターの暉峻創三(てるおか・そうぞう)さんが来阪された。3月の当日記にも書いた「私の一本」、『セデック・バレ』の日本公開が決まったという。来年の5月ごろになるらしいが。今年の3月17日、私はウェイ・ダーション監督の舞台挨拶の進行役を務め、「この映画、台湾では昨年の9月に公開され、大きな反響を呼んだと聞いております。日本での公開はまだ決まっておりません。前・後編を合わせると4時間半にもなりますが、ここに配給会社の方がおられましたら、ぜひご検討いただきたいと思います。台湾と日本で公開されてこそ、この映画は完結したと言えると思いますので」と発言したので、こんなに嬉しいことはない。わがシネ・ヌーヴォで上映できればさらに嬉しいのだが、それはまだ分からない。ともかく、『セデック・バレ』という映画タイトルを覚えておいてほしい。
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2012-08-09

木下惠介を見直す

テーマ:映画
シネ・ヌーヴォで「生誕百年 木下惠介監督全作品上映」が始まっている。全49作品が一挙に上映されるのは、世界初。しかも東京発ではなく、この大阪だけの企画である。
木下惠介といえば『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』あたりが有名で、抒情的でセンチメンタルというイメージが強いかと思う。私もそう感じていた一人だが、今回あらためて見直してみて、それだけではない幅の広さと透徹した人間観察眼に驚いている。
『お嬢さん乾杯』『破れ太鼓』などはコメディで、しかも実に上質なセンスの良い笑いに接することができる。
『二十四の瞳』にしても、小豆島の美しい風景(余談になるが、今日8月9日は長崎に原爆が落とされた日。それを教訓として生かせず、再びこの風土を放射能で汚してしまったのかと、木下作品の美しい風景を見るたびに思う)、無垢な12人の子どもたちと大石先生との心温まる交流だけでなく、当時の貧困、太平洋戦争へと突き進んでいく世相の息苦しさ、そして戦争の悲惨さ理不尽さもきっちりと描かれている。
『少年期』という作品も素晴らしい。ここにも戦争が影を落としているが、疎開した家族を通して、価値観を押し付けられることの怖さ、それでも節を曲げない人間の潔さ誇り高さを、静かに映し出している。
『惜春鳥』もいいなあ。中学時代に仲の良かった5人の青年が、20歳ぐらいになって再び集う。しかし、それぞれの経てきた人生があり、もう昔と同じ5人ではない。将来を嘱望されていた一人は、詐欺事件にかかわって逮捕される。貧困の苦しさを知っている一人は、見合いの相手が友の好きな人だと知りながら、条件の良いその話に乗る。しかし、とことん友に尽くし、守ろうとする一人もいる。8月4日にシネ・ヌーヴォでトークをしてくださった追手門大学名誉教授の佐々木徹さんは、その著書『木下恵介の世界』の中で《『惜春鳥』は、友情の挽歌である。》と書いておられる。言い得て妙、という言葉が浮かんできた。
木下監督の実験精神・チャレンジ精神にも舌を巻く。オールロケで、登場人物はほぼ男と女の2人だけという『女』。そうかと思えば、オールセットで歌舞伎仕立ての『楢山節考』。相思相愛の人がありながら、犯された男の妻にならざるを得なかった女の情念を描いた『永遠の人』では、なんとフラメンコが映画音楽に使われ、しかもその歌詞は日本語!
『日本の悲劇』『女の園』などは、山本薩夫も真っ青の社会派作品と言ってもいいだろう。
というわけで、何を見ても面白く、作品ごとに期待も高まるのだが、今のところ「私の」木下作品は『野菊の如き君なりき』である。泣くもんか、泣くもんかと思いつつ、最後にはこらえ切れずに涙してしまう。こんなにうつくしく、陶酔できる恋愛映画があるだろうか。政夫と民子の健気さ、他者への思いやり、秘められた一途さがたまらない。それゆえ、流す涙でこちらの心が洗われてゆくように思えるのだ。
「生誕百年 木下惠介監督全作品上映」は、9月7日までシネ・ヌーヴォでやってま~す。
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2012-07-25

天神祭となでしこジャパン

テーマ:日常
25日の夕方から、友人たちと天神祭に出かけた。蒸し暑いし人出は多いしで、早々に天満宮でお参りを済ませ、近くのフランス田舎料理の店に飛び込んだ。涼しい中で、おいしい料理をたらふく食べ、スパークリングワインを2杯ほど飲んだら、急激に眠くなってしまい、花火も宮入りも見ず、友人たちと別れて事務所に戻った。
シャワーも浴びずに寝てしまったが、12時半ごろに目が覚め、おかげでロンドンオリンピックの女子サッカー、対カナダ戦を見ることができた。ちょっとハラハラしたが、見事な勝利に思わず拍手が出た。あの広いサッカー場を、前後半を合わせ90分も衰えることなく走り回る体力と根性には頭が下がる。べつに金メダルを取らなくてもいいから、ケガをせずに残りの試合を乗り切ってほしいものだ。
今、夜中の3時半。まったく眠くないので、これから仕事します。
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2012-07-21

行ってきました、反原発行動

テーマ:日常
昨日は、あいにくの空模様だったが、「7.20 原発再稼働に断固反対! 関電本社前抗議!」に参加してきた。

朝から雨がパラつき、「あんなこと(ブログに)書かなきゃよかった」と思ったのが正直なところ。しかも、出かける直前になって、中之島の図書館に返却しなければいけない本があるのを思い出し、あわてた。私と一緒に関電前へ行ってみようと思う人は、午後5時45分までに淀屋橋駅に集合とブログに書き、普段は使っていないFacebookにも転載したからだ。呼びかけた本人がそこに居ないのでは、話にならない。結局、15分前には指定した場所に着けたが、雨は本降りだし、遠くで雷まで鳴っている始末。やれやれ。5時48分まで待ったが、案の定、誰も現れず、一人で関電ビル前に向かった。

正式名称を「関電ビルディング」というが、これが凄い。2004年に完成したばかりの超高層ビルで、地上41階・塔屋1階・地下5階、高さは195メートルだという。省エネを徹底して追求したビルだそうで、なんとも皮肉かつ笑止。この馬鹿でかいビルに入っているのが、関西電力本店と、その関連会社だけだというのだから驚く。場所は、中之島のフェスティバルホール、朝日新聞ビルを過ぎ、もう少し西へ行ったところ。ビルの南側と西側に広い歩道があって、参加者はそこに立って抗議行動を行うのだ。

私は定刻の6時に着いたが、やはりこの空模様ではという感じで、その時点での参加者は200人ぐらいと見た。しかし、ビラを配る人、手作りのプラカードや横断幕を掲げる人など、「動員」ではない個人参加の人々の、それぞれに工夫を凝らした抗議の表現が好ましい。参加者の年齢層も幅広い。ハンドマイクや鳴り物の行使も抑制されている。歩道から車道に人がはみ出さないように、スタッフが注意して回っている。つまり、非常にお行儀の良い抗議行動なのである。
そういう中で、それぞれが立っている場所を動かず、「再稼働反対!」「大飯原発、再稼働反対!」のシュプレヒコールを繰り返す。シュプレヒコールはこの2種のみで、30分もやっていると飽きてしまった。また、集団の最前列にいたので、報道のキャメラや個人的に記録している(?)キャメラを向けられることが多く、べつに写されたって構わないのだが、いささか気恥ずかしく、少し動いて全体を見渡してみることにした。知り合いが来ているかもしれないし。6時ごろには小降りになっていた雨も、いつしか止んでいた。
短時間のうちに参加者はどっと増え、ビル南側の歩道を埋め尽くしていた。しかし西側の歩道に回り込むほどでもなく、大雑把に言って500~600人というところか。警官も数十人出ていたと思うが、東京のように規制に動くことはなく、道路の向こう側に立って見ているだけ。
かくして、私は立つ位置をあちこち変えながら、解散の7時半まで付き合った。最後まで整然とした抗議行動であった。主催者側の青年が、「私たちは、29日に東京で行われる脱原発国会大包囲という行動に参加するので、来週の金曜日はここに来ません。しかし、別の方たちが主催して抗議行動は行われると思います」とマイクで告げていた。まあ、毎週来なくてもいいし、でも、毎週金曜日にはここで抗議行動をやっているというのは大事なことだと思った。

ビールを飲みたかったが、一人で飲んでもつまらないし、結局いつもの喫茶店でコーヒーを飲み、サンドイッチを食べて帰った。何より、早くシャワーを浴びたかった。
調べてみたら、この日、東京をはじめ日本各地の30カ所ほどで、ほぼ同時刻に抗議行動が行われていた。これらの動きは、ジャスミン革命ならぬ「あじさい革命」と呼ばれているそうだが、本当に原発を止めるためには、まだまだ息の長い地道な活動が必要だろう。大阪の抗議行動にも、せめて万単位の人が参加してほしいものだ。とはいえ、29日の「脱原発国会大包囲」に、とんでもない数の人々が参加すれば、この国を変えることができるかもしれない。う~ん、私も行くべきか。
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