出戻りヨーガ | ケセラセラ通信日記

出戻りヨーガ

「嫌われてはいないな」と思うと、調子に乗る。馴れ馴れしくなる。甘える。少々のことは許してもらえると思う。親しき仲にも礼儀あり、を忘れる。
そして失敗する。失敗すると、くよくよ気に病む。すぐに謝れば済むものを、妙に居直る。小心者のくせに頑固なのだ。
思えば、人との付き合いのなかで、そんなことを何度繰り返してきたことだろう。通い始めて1年を過ぎたヨーガ教室でも、そんな傾向が出始めた。はたから見ればたいしたことではなくても、後ろめたく思う。自己嫌悪に陥る。教室を休む。一度休むと、行きにくくなる。また休む。そんな悪循環と、実際に用事が重なったりして、また丸々2週間休んでしまった。日数にすれば、21日ぶりである。
「悪循環は、どこかで断ち切らねばならない。今日は絶対行くぞ」と決めて、準備万端おこたりなく、いささか緊張して参加。行ってみれば、しんどくはあったが、気持よく終われた。瞑想も、初めて集中できていたように思う。案ずるよりなんとかで、実践あるのみ! だと思った。

いつも感心するのは、指導者たちの変わらぬ態度だ。明るく軽やかで、わだかまりをもたない(こちらは小さなことにこだわっていたりするわけだが)。信仰をもつ人にありがちな、押し付けがましさもない(指導者たちの拠り所が〈信仰〉であるのかどうか、私には分からないが)。つまり、特に変わっているわけではないが、いつ会っても〈気のいい人たち〉なのである。これは、なかなかできることではない。そして、私はそのことに救われてきたのだと思う。

あんまりヨーガのことばかり書いても、読者は面白くなかろうし、どこまで伝わるだろうかとも思うのだが、私にとっては人生の大きなテーマであるし、そのことを今日改めて感じもしたので、記録として記しておきたい。