成瀬巳喜男の日 | ケセラセラ通信日記

成瀬巳喜男の日

9月3日(土)に行なう『放浪記』(1962年)の朗読上映会(目の不自由な方々に映画を楽しんでもらうための上映会)用の原稿作り。普通はシナリオがあるのだが、この作品にはなく、原稿作りにひどく時間がかかる。試しに、「放浪記 シナリオ」でインターネット検索をしてみると、『麻雀放浪記』のシナリオが出てきた(苦笑)。和田誠監督の『麻雀放浪記』は好きな作品だが、これのシナリオが活字化されていて、成瀬の『放浪記』にはそれがないというのは由々しき問題ではなかろうか。ともかく、そんな理由で原稿作りははかどらず。

午後3時から、シネ・ヌーヴォで1回目の朗読上映会練習。原稿が少ししか出来なかったので、練習も1時間ほどで終わってしまう。いつも、私の原稿作りが遅いので機嫌が悪い世話役のKさんが、なぜかニコニコしている。聞けば、「今日は成瀬の映画を見たかったので、原稿がたくさん出来ていたら(映画を見られないので)イヤだなあと思っていた」とのこと。「この私が、1回目からそんなに真面目に原稿を作ってくるはずがないじゃないですか」と応えたが、次の練習日までには完成させておくので、ご勘弁を。

というわけで、4時40分からKさんと一緒に『舞姫』(1951年)と『浮雲』(1955年)を見る。
『舞姫』は、バレリーナの家庭というのが目新しい。製作当時なら、もっとだったろう。主演は高峰三枝子で、これが若く美しい。ノーブルな顔立ち、というのだろうか。その高峰さん、たしか怪しげなダイエット法のために亡くなったと記憶するが、なんだか悲惨な気がする。夫役の山村聰も痩せているし、娘役の岡田茉莉子も輝くように若々しい。スクリーンに、若く、美しく、痩せていたころの自分が定着されているのって、本人にとってはどんな気分なんだろう。そんなことを考えてしまった。

『浮雲』は、やはりまぎれもない名作。屋久島でのラストシーンは、何度見ても泣かされてしまう。高峰秀子は凄い女優だ。森雅之も頬がこけて見えるほど痩せていて、戦後すぐの精神的「虚無」を体現している。この映画にも岡田茉莉子が出ていて、『舞姫』から4年なのに、お嬢さんから妖艶な女に変貌している。何より、成瀬巳喜男の光をとらえるうまさに、言葉もない。
いいなあ、ナルセは。フリーパス券(23000円)買おうかなあ。でも、もう何本かは上映が終わってしまってるし、これから1カ月は仕事も忙しいしなあ。困った、困った。