善悪・美醜・長短・難易はどれも | ナウでヤングな大人の為の心理学

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カミサマは、何となくこう思う(コラー)


天下皆知美之爲美。斯惡已。

皆知善之爲善。斯不善已。

故有無相生。難易相成。

長短相較。高下相傾。

音聲相和。前後相隨。

是以聖人。處無爲之事。

行不言之教。

萬物作焉而不辭。

生而不有。爲而不恃。

功成而不居。夫唯不居。

是以不去。


老子・道徳経第二章より

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天下のみながそれを
美と知ればそこに醜が生じる。

それを誰もが善と知れば
そこには悪が生じる。

有と無は互いに生じ
難と易とは互いに補う。

長と短は互いを比べ
上と下とは互いを定める。

音と声は和をもってなり
前と後とは付随する。

聖人というものは、
無為を以って為し
不言を以って説く。

あらゆるものを
作っても捨てず
生んでも持たず
為しても頼らず
果たしても力とせず
そのままでいるから
去ることが無い。

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人はとかく

美醜や善悪に

執着をします。


自分は美しい

アナタは醜い。


自分は正しい

アナタは間違ってる。


自分の事を

理解しないのは

アナタが悪い・・・・・。


それは全て

同じモノの

裏表であり

その人の問題であり

その人の主観であり

その人の価値観。


文字を書くのに

両面が白紙の

紙が役立つように

本当は裏表もなく

両方あるから

役に立つもの。


そして

文字を書くのが

表だとしたら

裏だけ不必要な

ワケではない。


有無も難易も

長短も上下も

高低も前後も

同時に存在し

声と音のように

調和をして

世の中に

彩りをそえて

何かの役に

立っているもの。


自らの主張を

善であり

正しいと

声高に謳い

崇高であり

新しくもあり

素晴らしいと

言う人ほど

その裏の影に

一生追われ

心の平穏を

得られないのかも

知れませんね。


我々現代人は

教育やマスコミから

得られた情報で

「これが良い」

「これが正しい」

と刷り込まれて

それを目指して

本当に大事なモノを

忘れているのかも

知れません。


あってもなくても

上でも下でも

前でも後ろでも

生きてるのに・・・。


それぞれの人が

あるがままに

生きているのが

本当は一番

誰かの何かの

役に立つのかも

知れません。


聖人への道は

遠いですねぇ(苦笑)