朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、德ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我ガ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。爾臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ、德器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ、國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ。朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。

明治二十三年十月三十日
御名御璽




先日、教育勅語の原本が50年ぶりに発見されたというニュースがありました。自民党の現・下村文科相は、「至極まともなことが書かれている」と述べ、産経新聞はこれで教育勅語見直しの気運が高まるなどと書いていました。

私もNHKでこのニュースを知り、伊藤さんのブログで、氏のレクチャーを受けながら熟知しました。


その内容は、「朕惟フニ」から始まって、所謂「君主=父」の立場、「臣民=息子・娘」にその教えを説くという、強制的なもので、伊藤さんの知見をお借りすると、「一旦緩急アレバ義勇公ニ」、の部分は「『徴兵制を前提』としているから嫌だ」、という考え方の人もあるはずですが、教育勅語を学校で教え込むのであれば、「『朕の惟い』と異なる考え方は認めない」と言うことになります。「朕の惟いが絶対に正しい、日本人である限りこれに従わないことは許されない」、といった論理展開にまず問題があります。



さらに危惧する事として、「これは至極まともなことが書かれている」などとして、教育勅語を支持する下村文科相のような人たちが気が付いていないことなのですが、「何が書かれているかと同等くらいに何が書かれていないか」が重要なのです。



教育勅語には、「基本的人権」、「個人としての自由や権利」も一切書かれていません。「上から目線」、「お前たちはこのように考えよ」、「このような生き方をせよ」と言っているだけで、「皆さんにはこんな自由も権利もあります」、「基本的人権も保障されていますから安心して自分の意見を言いましょう」、などといったことは書かれていないのです。



 教育勅語に支配された日本の学校教育のなかで、「基本的人権」や「個人の自由や権利」が教えられる機会がなかったので、日本が人権や自由が無視される社会となり、軍のなかでは不条理や新兵に対する虐待行為が罷り通り、それを当然と考えるようになった兵士たちが、占領地の住民や捕虜に対して戦争犯罪を平気で行なうような状態に立ち至ったわけであり、その点からすれば教育勅語の内容は戦争犯罪のひとつの要因であったと思われます。



そしてなぜこのような「未開人の経典」を、ありがたがって縋りよりどころとする者たちが出てきたのか、一度は占領軍により精神的矯正を受けたはずの日本人が、なぜ再び退歩の道を歩もうとしているのか今一度考えるべき時でしょうが、それは根っこにおける「天皇を中心とした日本人の家系自慢」、それは中華的エピゴーネンにまみれた皇帝コンプレックス国家の表れでもありましょう。


そういう「日本の悪徳」が、かつてユーロセントリストで近代哲学の大御所であるヘーゲルが、「野蛮国家」としてこき下ろした中国のネガティブ的側面をもろにうけついで(自ら望んで)、その頽落精神を鼓舞し、全て注ぎ込んだものが『教育勅語』でありました。

改めて手許の『歴史哲学講義・上』長谷川宏訳・岩波文庫をひも解いてみると、そこに記述されている「中国」の陥穽は、あながち間違っていなく、というのも、それが現在の日本における悪徳の性質として、十分通用するからです。

その「国家体制の精神」の章を見ていくと、まずもって「共同体の精神」と「個人」が直接に一体化していること、人口密度の高いところで、広くいきわたっている家族精神がその実体、「中国」には主体性という要素がいまだ存在せず、個人の意思を食いつくす共同体権力に対抗して、個人が自分の意思を自覚することもなければ、自分の自由意思にもとづいて、共同体権力の正当性をみとめることもありません。


個人は、共同の意思の命じるままに素朴に行動し、共同体権力が自分に対立するようなものとして存在することを知らない。それは嫉妬深い神が個人を否定するユダヤ教の水準にも達しておらず、「中国」では、共同の意思が個人のなすべきことを直接に指示し、個人は無反省・無自覚にそれを追従する。

したがわない場合は共同体の外に放り出されるが、放り出されても思いが、自分の内部にむかうことがないから、その個人に加えられる罰も、内面に踏み込むものではなく、外形をどうこうするだけです。


国家の全体に主体性の要素が欠如しているが故に、国家は人々の心情に基礎をおくということがない。というのも、「共同体を直接に背負うのは『皇帝という主体』であって」、彼の発する法律がそのまま人々の心情となっているからです。ただし、「主観が活発に活動する、心情ゆたかな『わがまま』」というものがないので、もっぱら共同精神だけが幅をきかし、共同体は個人をよせつけることなく自ら貫くのです。


こうした共同体をわかりやすく申しますと、「家族」を思いうかべると良いです。「中国」の国家は家族的な人間関係を唯一のささえとしていて、家族における信頼関係が客観的な形をとったものが国家です。


「中国人」は自分が家族の一員であることをわすれることがなく、同時に、「国家の息子であること」も自覚しています。家族のなかには人格というものがなく、家族という共同体を統一するのは、血縁という自然の結びつきだからです。同様にして、「家父長制」の支配する「中国」では、国家の内にも人格が存在しないので、政治とは、秩序のかなめをなす皇帝が、家長にふさわしい配慮をめぐらすことにあります。


そして、全体的に儒教主義や大明大皇帝・洪武帝の思想を強く模倣した教育勅語も、その仔細の原理は、『書経』による、最高不動の根本道徳として、五つの義務をあげ、一、君臣の義務、二、父子の義務、三、兄弟の義務、四、夫婦の義務、五、朋友の義務、です。


改めて教育勅語と類推すると、パクリ移植であることは明白です。


以下続き、このような「家族道徳や仁も博愛」も決して「良いもの」などではなく、その義務は無条件にまもられるべきのもので、法律もその義務を基礎としてなりたちます。広間に入るとき、息子は父に話しかけてはいけない。息子は戸口の隅にひかえていなければならず、父の許可なしに部屋を出ることはゆるされない。


父が死ぬと、息子は三年間の喪に服し、肉と酒を断たねばならない。自分の仕事は、国事行為といえども、これを遠ざけて手を出してはならない。支配者たる皇帝でさえ、この期間は政務にたずさわることはありません。


服喪期間中は、家族の結婚はゆるされない。服喪者の体力の消耗を考えて、五十歳以上の遺族にはとくにきびしい服喪規律は適用されず、六十歳以上の遺族は規律がさらにゆるやかになり、七十歳以上になると、服の色が制限されるにとどまります。


そして息子の業績は息子のものでなく、ただちに父の業績とみなされますし、子孫の過失についても、家長に責任があることにもなりますが、おかしなことに、上位者にたいする下位者の義務はあっても、下位者にたいする上位者の義務にあたるものはありません。

父と子の間と全く同じ関係が、兄と弟のあいだにもあって、兄は弟に対して父ほどではないが、尊敬の態度を要求できます。


国家体制の基礎が考えられるとすれば、家族関係の基礎をなすものがそのまま国家体制の基礎でもあります。というのも、皇帝は国家全体の頂点にたつ君主として権力をふるいますが、そのふるまいは、子に対する父のふるまいに似ているからです。彼は、家長であり、国家の威信の一切が彼にかかっている。皇帝は宗教や学問のリーダーであるかあらです。

皇帝が父親らしい配慮をめぐらすのに見合って、家族道徳の外に出る事はできず、未だ自立した市民的自由を得られない臣民は、子としての精神をもってつかえるので、そこにつくりだされる国家、政治、人間関係は、全体として道徳的かつ散文的(自由な理性と想像力はないが、それなりの分別はそなえたもの)です。

皇帝には最大級の敬意がはらわれねばなりません。皇帝はその位置からしてみずから支配権をふるうしかなく、国の法律や自分で認識し指導しなければなりません。ただ、日本の場合は、天皇が国家運営力が皆無がゆえに、政治を臣民に丸投げしましたが。


「中国」では「皇帝のもとの絶対平等の国」であり、個人や団体に独立の権利が認められず、しがたって、行政のありかたしか問題となりません。そして政治形態は専制政治というしかなく、西洋における人間は、多くの利害や特殊な活動の領域が補償され、そこで自由にふるまうことがゆるされますが、「中国」においては、特殊な利害はその自由な追求が許されないし、政府もまったく皇帝の傘下にあって、皇帝が国の中心にいて、すべては皇帝のまわりをめぐり、皇帝へとかえってゆくのはあきらかです。

日テレ主催の「日本全国ダーツの旅」における吹奏楽部特集の「体罰賛美」の件や、「スポ根全盛時代における教師の暴力」についても、西洋は体罰は屈辱的なことですが、いまだ名誉の感情のない「中国」ではそうでない。自分が生理感覚に左右される人間だと思われることが許せないから、「もっと上品な感受性の持ち主」でありたいからです。が、「中国人」には高潔な主体性というものがなく、殴打を罰としてよりも、「しつけ」としてうけいれます。


罰はもともと責任の観念をふくみますが、「しつけ」はもっぱら「矯正」をねらいとしています。体罰を避けようとするのは、なぐられるのが怖いからであり、ここにはまだ行動の性質に関する反省がなく、したがって、不正が内面的に自覚される事もないのです。「中国流」の罪の問いかたの恐ろしい点は、行動者の主体的自由や道徳心の一切が否定されることです。


そして、皇帝の前では万民が平等であり、万民が等しく臣下であるから、いかなる名誉も存在せず、だれも特権をもたない社会で、卑屈な意識が広がり、それが容易に悪の意識に移行します。

「中国人」の悪徳の多くは、この意識と結びついています。


終わりに、皇帝はいつも、威厳と父親のような善意と思いやりをもって国民に話しかけるが、国民は自分を誇りに思う気持ちなどまったくなく、威厳に満ちた皇帝権力の車をひくためだけに生まれてきたと信じ込んでいる。地面におしつぶされるほどの重荷を背負いながら、それをどうしようもない運命だと諦め、奴隷として売られる事も、苦しい奴隷生活をおくることも、おそろしいこととは思わないのです。

この平等は、戦いを通して内面的な人間の価値をみとめさせたものではなく、区別が生じてくる以前の、低次元な自己感情なのです。


という具合に、近代初頭の中国における数々のネガティブ的側面は、19世紀欧州ナショナリズム時代の偏見的主潮はあったものの、魯迅の指摘にもある「乗り越えるべきもの」で、中国自身も改革に必死でした。対する日本人は中国人が近代化のために行ってきた苦労をすることなく、中国古典からのパクリで教育勅語を作り、家族制度で家父長制を保持してきました。

教育勅語や明治憲法も、そのような国家精神性のもとでつくられ、封建的儒教主義と天皇絶対主義をくっつけただけの簡素なものでしたが、その「簡素さ」ゆえに、民衆の洗脳工作の道具として大いに力を発揮し、それを現在も崇める未開人が多くいるのです。無論、下村氏もその一人でしょう。

家族道徳が良いだのなんだの、とんでもない、ヘーゲルの指摘の通り、「下位者の上位者に対する義務は盛りだくさんにあるが、上位者の下位者に対する義務がない」といったあたりは、「臣民の天皇に対する義務は山ほどあるが、天皇の臣民に対する義務がない」という、明治憲法の内容にそっくり酷似していることから、ただちに棄てるべき悪習であることは、かわりありません。


おしまいに、本記事における核心的記述は、伊藤先生の知見やご教示によるものです。
いろいろと力添えに頼り、私自身もたいへん認識を向上できた次第であります。

改めて、感謝の念を伝えたいと思います。



<参考資料・文献>

・『伊藤浩士のブログ』「教育勅語を評価する文科相の愚劣さ。 」
・『歴史哲学講義(上)』ヘーゲル著・長谷川宏訳 岩波文庫