今回の旅行の少し前に、フジテレビによる韓国よりの報道や番組に対する抗議デモがあり、

それを発端に、嫌韓ムードが噴出していました。


いまだ、フジテレビは抗議デモに対するコレといった対応などはしていませんし、

その結果、嫌韓ムードも完全に静まったわけでもありません。


というより、これからもきっとなくなることはないだとう、と思います。


それは、昔から韓国という国、韓国人を嫌う人、あるいは差別する人がいたわけで、

どちらかというと最近の韓流ブームのほうが珍しいくらいでしたから。


一方、その韓国にしても、やはり、昔から日本という国や日本人を嫌う人がいたわけで、

最近では領土問題で日本に対する抗議デモが日本のニュースでもよく取り上げられていました。


そんな中で、お隣の国、韓国に行ったわけですが、

まあ、わたしが行った場所というのが、日本人観光客の多い場所ばかりだった、

ということもあるでしょうけど、でも、そこであった人たちは皆とても親切な人達ばかりで、

日本人だということで卵を投げつけられたり、抗議を受ける、物を売ってくれない、

なんて事は全くありませんでした。


自宅近所の商店街にある、わたしのお気に入りの韓国料理店のオモニもそう。


とても気さくで親切な人。


何が、言いたいのかというと、


報道で互いを批判する、抗議デモなどの運動や活動を目にすると、

わたしは日本人て、とても嫌われているんだな。。。

と思ってしまうのですが、

でも実際に1対1の個人として相対すると、そんな確執なんて、

全くもって、ないんですよね。


個人同士では仲良くなれるのに、日本人と韓国人、日本人と中国人。。。

というように国単位になってしまうと、なんでこうもいがみ合ってしまうのか???


個人同士では言葉がカタコトで通じなくても、

なんとか相手の言うことを理解しようとするのに、

なんで、国対国になると

相手のいう言葉を最後まで聞こうともせず、

自分の言い分ばかりを主張して、

相手を理解しようとしないのか???


とっても不思議。。。


なんですよね。。。


個人は良い人でも、国になると違ってくる。


個人同士では仲良くなれても、国同士になるといがみ合う。。。


なんでなんでしょうねぇ。。。???



もしかしたら、これから先の未来、

わたしたちが目指すべき方向は

国という単位を壊し、

1対1の人間同士としての関係を築くことなのかもしれない。。。


もっというならば、わたし達人間は、地球という星の中に生息する一つの生命体に過ぎないのに、

ほかの生命体から孤立し、自分たちこそがこの星の『主』として君臨しているような錯覚をしてしまっているけど、これからは地球という一つの家に住む一人として他の住人たちの存在を認めて、共に生きていく。


つまり、地球とそこに住まう全ての種を尊重し、

共に生きていく、共存する、ということが求められるのかな?


と、思うのです。



あ、なんだか、壮大な話になってしまいましたね。


でも、言いたいのは、国を変えようとか、そんな大きなところへ働きかけるんじゃなく、

自分の目の前の人、存在との関係を大切にする

そんなことがこれからは求められるんじゃないのかな。


と。。。



と、韓国旅行日記を書きながら考えてみました。。。