清武は、81分に選手交代によりピッチを去りました。
0-1の負けている状態。
戦術的な理由ではない。
チームは、点を獲りにいきたいのに、セレッソのエースNO「8」の攻撃的選手が、攻撃的選手との交代。
しかも、「自身の国内ラストマッチであり、壮行試合」に。
監督も苦渋の決断だったとは思いますが、何度か「さすが」と言える光るプレーを見せるものの、それが単発で、試合から消える時間もあった。
今シーズン、清武は五輪代表やA代表の過密スケジュールで、セレッソでは、輝く時間が少なく明らかに精彩を欠いている試合も何試合かありました。
能力は誰もが認めるところなだけに、見ていてもどかしさもありました。
今シーズンのリーグ戦、16試合で、すべて先発出場ですが、フル出場8試合、途中交代8試合です。
ソアレス監督の意図で、清武が抜けた後を見据えた交代などもあったと思いますが、セレッソでは、なかなか本領発揮といっていなかったことを示している数字でもあると思います。
人間ですから、いくら能力が高くても、激務で、体力を失い、キレを失い、判断スピードが鈍り、ミスが出る なんていう悪循環は普通にあると思います。
そんな中でも、セレサポは寛容で、清武の背中を押していたと思います。
清武は、五輪明けからブンデスリーガ一部・ニュルンベルクでプレーします。
日本での実績は移籍の為の材料でしかなく、欧州では、ゼロから実績や信頼を勝ち取るしかありません。
そんな彼が、チーム内で信頼を得て、海外で活躍する為にすべきことは、「自分の軸を持つこと」だと思います。
『自分が輝くために、自身が何をして、チームに何を要求すべきか?』ということを常に考えるべきです。
今の清武は、『自分が犠牲になっても、チームが良くなればいい』という考えが、まず出ているように思います。
それもいいと思いますが、
まず、最初に考えるべきは、『自分が輝いて、更に、チームが良くなればいい』という考えを優先すべきだと思います。
清武は、サッカーにおける技術的要素やセンスを兼ね備えている為に、チームの要求を「器用にやれてしまう」部分があります。
厳しい表現で言い換えれば、「器用貧乏」に見えてしまうのです。
欧州で輝くためには、要求だけを呑んでいても自身は本当の意味で輝きません。
「外的要因」に振り回されて、プレーの質が変わるのはなく、「内的要因(自身の軸や、本当にやりたいこと)」に対して、周りをいかに適用させるかを考える必要があります。
ここで、一つ中国の寓話を出してみたいと思います。
兄弟が2人で、1頭のロバを引いていました。
それを見た周りの人は、「歩いてないで、ロバに乗れいいのに・・・。」と囁きました。
それを聞いて、兄がロバに乗り、弟がロバを引きました。
それを見た周りの人は、「年下にロバを引かすとは・・・。」と囁きました。
それを聞いて、弟がロバに乗り、兄がロバを引きました。
それを見た周りの人は、「年上にロバを引かすとは、何ごとだ。」と囁きました。
それを聞いて、兄弟は、2人でロバに乗りました。
それを見た周りの人は、「2人も乗るなんて、ロバが可哀想だ。」と囁きました。
結局、二人の兄弟は、ロバを抱えて歩いたのでした。
この兄弟は、なぜ、こういう判断になってしまったのでしょうか?
この寓話は何を言いたいのでしょうか?
それは、この兄弟が、『自分がどうしたいのか?』というものが無かった結果の上での判断だったということです。
言い換えれば、周りに振り回されない、『自分の軸』となるものが無かったのです。
軸には太さ、強さがあります。
人がメンタル的に強くなるには、まず、その『自分軸』を設けることです。
今年のセレッソでの清武を見ていると、周りの環境に「自分のプレーが左右されすぎ」です。
自分は、サッカー選手として、どういう選手になりたいのか?
香川真司は、得点に拘り、トップ下への拘りがあります。
乾貴士は、絶対的なテクニックで、ドリブルへの拘りがあります。
それぞれ、軸があるのです。
清武が欧州で結果を残したいなら、自分の軸を作ることです。
周りを活かしたり、戦術に対応する柔軟性は、既に持ち合わせています。
あとは、軸が必要だと思うのです。
器用貧乏にならないために・・・。
清武弘嗣の欧州での飛躍を心から願って。