本間至先生は、

本当に人間らしい人だった。

いや、人間だった。

何をもって、

人間だったと言うのかは、

先生を知っている人なら誰しもが、

『うんうん』と、

頷くはずだ。


先生は、

いつでも、どんなときでも、自らのやりたいように、

感じた通りに、素直に生きられた。

そう、素直なのだ。

あんなにも、

自らを飾らずに誰にどう思われようが、

自らのスタイルを崩さずにいる先生に惚れ込んでいた。


ある意味、

物凄く、わがままなのだ。

それが、

最も先生の魅力なのだから、

何だか不思議だ。


先生は、

エリートと呼ばれるタイプには、

あまり、

興味がなかった。

むしろ、

少しくらい、

道を外れているタイプを好んで可愛がってくれた。

(私も、おそらく、その一人です)


『人間の能力などは、大した差異などないのだ。

あるとすれば、

それは、やり遂げようとする意思の強弱である。

先生の講演で良く聞かれる言葉である。

何度、

この言葉に救われたことか。


特に、

先生のコメントで私が一番実践していることがある。


道元法師の言葉の中に、

『焚き木灰となる。更にかえりて、

もとの焚き木となるべきにあらず。

かの焚き木灰となりぬる後、

更にかえりて焚き木とならざる如く。

人の死ぬる後、

更に生とならず。

生は絶対の生。

死は絶対の死』と、

言う言葉がある。


私たちは、

まさに一本の焚き木として生まれてきた。

母親の胎内に命の灯を灯してから燃え始めた。

燃え始めた以上は、

灰になるまで燃え続けるしかない。


こうしている瞬間も

刻々と命の灯は燃え続けている。

炎が上がらず、

ぶすぶすと燻っていてもいずれは灰になる。

どうせ、

同じ灰になるのであれば、

天にも届くような火柱になってみよう。

絶対に戻ることのない

私たちの人生をどう燃えさせるか。


私たちの人生も1回限りだ。

たった一度しかないこの機会をフルに活用して

勇気をもって挑戦して欲しいと同時に、

人生とは、

自分を変えていく歴史である。

何回変えることができるか、

変化のきっかけは、学ぶ機会から生まれる。


私たち人間の中に、

完璧な人間などと言う者は、

何処にも存在しない。


己を磨くと言うことは、

それに近づくことに他ならない。


世界最高の科学者と言われたアインシュタイン博士ですら、

亡くなられた時、

何億もある脳細胞の1/3も使っていなかったと言われる。

私たちが普段使っていない脳細胞も刺激し活用することで、

脳細胞も活性化し増え続けると言われる。


私達は、

困難な問題に挑戦するたびに心身ともに鍛えられ、

活力を増し、

活発に活動を始める。

そして

その能力の発揮は無限の可能性を秘めている。


今の私は、

天を焦がすような炎を上げていない。

先生との別れをまだ悔しがっているからだ。

しかし、

今、先生が、

今の私を見ていたらどんなことを思うのか考えてみた。


先生は、

必ず、話されると思う。

『悲しむのはお前の勝手だが、

悲しんだところで、俺は、戻ってこないんだぞ。』と。


今、

真にやらなければならないことは、

先生の意志を正しく伝えることである。

その上で、

社業を盛り上げること。

そして、

社長の心を心とするのを実践するかだと考える。


今の私に、

先生の死を悲しんでいる時間は無いのではないか。

もう、

先生の死を悲しむことはしない。

決して、

泣き言を言わなかった先生を見習います。

絶対に

泣き言は言わなかった先生。


先生。

また、会いましょう!!

銀座の『たか』で朝まで飲みましょう。

お待ちしています。


先生。行ってらっしゃいませ。