大手メディアの限界 | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

イタリアのメディアの本田に対する評価が一試合ごとに乱高下しているようだ。まあ、どこの国でもマスコミなんていうのは短絡的だし、また多くの読者がそういったものを望んでいるのだから仕方ないなあとは思うが、さすがに持ち上げたりすぐにひどい言葉で酷評するイタリアのマスコミは国のレベルが表れているんじゃないか…。とちょっと思ったりする。

一方で日本のメディアはどうだろうか。オリンピックは感動的だったしどの選手も当たり前のようによく頑張っていたしそれに勇気を一スポーツファンとしてもらったのは言うまでもないのだが、 こちらは逆に大手メディアはどんな結果でも美辞麗句のオンパレードである。

勿論、頑張った選手に対して批判を浴びせるのは国民性を考えてもなかなか受け入れられないのかもしれない。もちろん、僕自身もここ最近の記事で書いたように選手はそれぞれ頑張ればいいしそれをたたえたいと思う。

でも、日本のメディアはサッカーのオシム氏やセルジオ越後氏が指摘するように少しでも注目できる若手が出てくるとやたらと持ち上げてほめそやす傾向があるように思う。そして結果が出なくてもあからさま批判はあまりおこなわれない。

たぶん、スポンサーとの関係とかあからさまな批判をすると取材を拒否されるとかあるいは記者のレベルが低いので的確な批判ができないというのがあるのだろうし、大手企業の常で胡坐をかいて馴れ合いで適当に記事を書いている記者も多いのだろう。

まあ、現代においてはインターネットの発達によって大手メディアでなくても情報発信ができるのでちゃんと見ている人はそういったしがらみに関係なく批判や叱咤激励の記事を書いているようには思うが。

そのくせに、ちょっと成績がダメになってくると今度はくだらない私生活のネタでたたき出すことが多い。夫婦関係がどうだの、子供がどうだの、浮気や不倫がどうだのと…。

まあ、どこの国でも大手メディアが短絡的なのは同じなようだし、イタリアなどのように短期的に毀誉褒貶するのは非常にどうかと思う。だが、日本のようにメディアぐるみで一体となって結果が出なくても出ても美しストーリーに仕立て上げようとする姿にも個人的にはあきれ返るのである。

一方で、大手メディアでできない批判をすべき週刊誌や夕刊紙はくだらないタブロイド的ネタばかり。

そう考えるとネットメディアには相当に浸食できる市場があるように僕には思える。ブログやネットメディアを三流と笑うことができなくなる日は近いと思うのである。