日本のおもてなしの精神は素晴らしいですって?? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

なんてことを主張する人がいる。オリンピック招致のせいもあってやたら増えたような気がする。

と書いたが、確かに僕自身もおもてなしの精神は素晴らしいと思う。またそれを多くの人が受け入れているわけだから頭から否定する気もない。

だが、なんかなあと思うところもあるのでちょっと今日の記事を書いてみた次第だ。

まず、「おもてなしは素晴らしい」というが労働者としては傲慢な客も含めて頭を下げて礼を尽くすことは結構なストレスだろうし、また過剰なサービスは生産性の低下にもつながっているんじゃないかと思ったりもする。スーパーでありがとうございますと丁寧に頭を下げられたりすると「そんな大した買い物もしてないし…」、「そんなのいいから早く仕事をした方がスーパー本来の目的が達成できる」と思ったりするのは僕だけではないんじゃないだろうか?まあ居酒屋とかでも同じだ。

また、そういった態度を逆手にとって横柄な態度や難癖をつける客も多いだろう。日本のサービスをする側は一流だと確かに思うが、サービスを受ける側のレベルを過剰なおもてなしが下げているんじゃないかと思ったりもする。

もちろん、イギリスの横柄な店員の態度にはあきれ果てる。また、最近はお役所でも日本は結構サービス精神がある。そのあたりは非常に素晴らしいと思うけれども。でもまあ、たまに日本のおもてなしはやりすぎだなあと思うことが多いのは事実だ。

後はまあ「日本のおもてなしは素晴らしいねえ」と言って日本を誇る人が多いのだが、当の本人はおもてなしなどしたことがないような人間も結構いるということだ。「日本は素晴らしい」と叫んでみたところ、それを誇ったところで重要なのは当の本人がどうであるかだから、日本が素晴らしいから俺(私)も素晴らしいのだという感覚を持っている人に出会うとなんとなくなんだかなあと思ってしまう。

もちろん、そういった誇りや自然と郷土/国を愛する気持ちを否定する気はさらさらない。いや、むしろそういった精神はついつい自己中心に陥りがちな人間を律するためにも非常に大切だと思っている。

けど、最近の言説を見ると戦後のリベラルに傾きすぎた社会やマスコミへの反動なのだろうけど、「日本は素晴らしい」=日本人であるだけで自分は無条件で素晴らしいというような意見もちらほら見えてそれってなんか違うんじゃないだろうかと思ったりするのである。

おもてなしは素晴らしいけれども、too muchすぎるサービスはどうかなあと海外に行くたびによく思うのは事実なんだけど、これって意外と多くの人が同意してくれることじゃないかなあと個人的には思っているんだけど、どーでしょう?