現代人のストレス | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


平安時代はぽっちゃりとした女性がよかったらしい。現代の感覚からは若干づれる。僕がその時代についてまだまだ勉強が不足しているのは事実なので少し妄想も含めて考えてみたい・・・

まあ、それほど食べ物も豊かでなく肉などもあまり食べていなかった時代だ。たぶん、多くの人はやせていたのではないのだろうか?だから現代で言うところのぽっちゃりよりはだいぶやせていたのではないかと想像する。たとえば、浮世絵の美人。江戸時代にはああいうのが美人だったんだと決め付ける人も多いが、色々と呼んでみると、あれは美人のひとつの典型であってそのように描かれているだけらしい。だから、現代のような目のぱっちりとした人は美人でなかったというわけではないようなのだ。

だから、現代基準でぽっちゃりかどうかはわからない。

まあ、それでもインドなどがいまだにそうであるときくが、体がふくよかであることは富の象徴であり栄養が身体に十分にいき足りていることの証拠である。まあ肌の張りもきっとよく見えるだろう。だから、そういった観点からもふくよかな体というのは美人の条件だったのかもしれない。

さて、そう考えるとどうだろう。現代の女性というのはいやにやせていると考える人も多いだろう。それでもバストはより大きくなりお尻は程よく小さくなったという観点からはおそらく女性のスタイルというのは世界的によくなっている。

海外ではどうか?ルーベンスの絵などを見たら女性はたしかにふくよかで美しいが・・・。その脂肪のつき具合にはちょっとげんなりするのは僕だけではあるまい。イタリア絵画の影響を受けながらも北の人らしくあまりに現実離れした絵はかけなかったのかもしれない。一方で本当のイタリア絵画では女性の肉付きはそれほどでもない。現代に通ずるような美しさがある。余分な脂肪はほとんどついていないからだ。

まあ、それはそうとアメリカ人でもニューヨークなどに行けば、それほど太っている人は見かけない。見た目という意味でもそうだが働くという意味でも以前紹介したように大きなお尻は邪魔だから。。。。小さくなったのだという説もある。

もちろん、それだけではない。飽食の時代においてはふくよかであることは豊かさの象徴ではない。むしろ、自己の節制ができていないことの象徴とみなされる。だから、誰もが食事をコントロールし運動をし若干やせ気味の体格をめざすわけだ。

もちろん、カロリー過多は健康にもよくない。だから、飽食以前の時代にはできるだけ多くのカロリーを採ることが人間が生きていくための本能だったのだろう。そして、ふくよかさとはその本能に照らしても、あこがれるべきことだったのかもしれない。

が、現代においてはカロリー過多は本能に照らして病気の原因であり不健康の象徴なのだ。だから、ほどよくやせていることが憧れの対象となるのだろうか。

もちろん、カロリーを節制し運動をすることはストレスになる。これはつらいことだ。まあ、それでも食べたいものが食べれない時代のストレスよりは小さいかもしれないが。。。現代人はまた別のストレスを抱えているのかもしれない。

人間は豊かになれば悩みがなくなると思ってがんばってきた。そしてより豊かな生活を手に入れた。これは間違いないだろう。食べるものが困らないくらいにあれば・・・。もっとおいしいものが食べられれば・・・。我々はどれほど幸せだろうと思ってきたに違いない。が、それを手に入れた我々はどうだろうか?もちろん、おいしいものをたくさん食べている。が、思ったほどには人間のストレスや悩みは減ってないかもしれない。

難しいものだなあと思うのは僕だけだろうか?

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