自分の求めるものと、幸福と | 幸福恐怖症を抱えた女の幸せ探し

自分の求めるものと、幸福と

 最近知り合えた、似た境遇の女性のブログさん。

 すごく共感して、書きたいことがいっぱい沸いてきたのでトラックバックで記事にします。

 

 

→(7/21) 【許可を頂きましたので記事の最後にリンクを追加しました!】

 

 

 わがままくんだった前の前の彼のことは自分の中で立ち直れたみたいで、ちらちら書いていたんだけど前の彼氏(1つ前の彼)のことはなんとなく書くことを避けてた。

 自分の中で良心が痛むというか、一方的においらが悪いと自覚してるから。

 

 前の前の彼と別れてぼろぼろだった頃、おいらは自分の中で欠落した父性を求めるという原点に戻った。

 初めはそのつもりじゃなかったのに、100%何があっても、何をしてもおいらを受け入れてくれた前の彼氏の居心地がすごく良かったの。

 友達だったところから、何度拒否しても追いかけてくる前の彼は、今までにない安心感をくれた。

 いつもおいらのすることを理解してくれて、この人を好きになれたら幸せになれるだろうな、ってすぐに思えた。

 

 実際すごく幸せだったし安心感もたくさんくれて、彼の家族の中に入れてくれた。

 結婚しよう、そう言われた時はすごく自然で、この人と結婚すれば幸せになれるって思った。

 その姿を想像することができた。

 

 

 だけど2年付き合っていた中で、徐々に、徐々においらの中で何かが違うと感じ始めるものがあって。

 

 

 彼の中に感じていたものは、あくまで父性であって、全てを受け入れてくれる存在であって、恋という感情から離れてしまってた。

 

 彼といれば、彼と結婚すればきっと幸せな家庭になる、自分が育ったような家庭には絶対にならないって思って一緒にいた。

 でも、そんな真っ直ぐにおいらを見る彼の目を見て、限界を感じた。

 

 彼がおいらに抱いている感情と、おいらが彼に抱いている感情はきっと違う。

 

 ときめきが全くないとは言わないけれど、ないに等しかったかも。

 確信に変わった時、幸せを目の前にして、それを全部投げ出した

 正直投げ出すのはものすごく怖かった……。

 二度と幸せにはなれないだろうし、もう恋愛するのも罪悪感から嫌だと思った。

 

 

 でも、後から思ったんだ。

 おいらは目の前にある幸せそのものが怖くなったんだって。

 いつもどんなに幸せでも必ず最悪の結末を想定してた。

 幸せになりたいと過剰に思うがために、身構えてしまう癖がついてる。

 踏み出すために幾重にも石橋を叩きすぎる。

 その結果、幸せ自体が怖くなっちゃって恋という感情もなくなって逃げてしまうんだ。

 

 

 最近アメブロを漂っていて、幸せな本物の家庭の中を見させてもらえることができた。

 これがめちゃめちゃ衝撃的だった!!

 おいらが考えていたものは見たことのない想像上のもので、やっぱり最後には最悪の結末も用意されてて。

(結婚する時がピークで、あとは下降ラインだと、それが当たり前だと思ってた)

 でもそれって本当の幸せじゃないし、見たこともないものに脅えてるだけだって気づいた。

 

 よそさまの幸せそうな家庭をブログで覗いて、自分がマイノリティであることを知ることが現状を抜け出す方法かもしれないって思って、おいらもブログ始めた。

 見たことのないものを作るのは困難だし怖いけど、こうして少しでも覗いて「知る」ことができれば、って。

 

 

 前の彼には謝っても謝りきれない気持ちだけど、あの時別れたおかげで今の彼の存在に気づけた。

 今はあの時の決意に後悔してない。

 

 

 ときめきと、あんしんを同時に絶え間なくくれる人。

 今までにない気持ち、世の中にはそのどちらかしかないと思っていたから。

 でもいろんなブログに、そうじゃないって書いてあった。


 今の彼と出会えて(出会ったのは付き合う1年以上前だけど)、付き合うことになって。

 今このタイミングでブログというものを通じていろんな人に助言をもらえたこと、本当にありがたいって思う。

 もしそうじゃなかったら今の彼とも同じ結末を迎えていたかもしれないから……orz

 

 

 結婚とか、幸せとか、手の届かない憧れだと考えすぎて根本的なことをおいらは知らなかった。

 大好きな彼と、このままずっと一緒にいたい。

 一番大事な気持ちを忘れて、得られるものなんてきっと何もないんだ。

 

 

 

 色々書き過ぎて、何を書きたかったのかごちゃごちゃになってしまた;ω;

 

 

 

 参照ブログ

 AB型のおんな。

 参照記事

 満足と幸福